寛容と包摂の時代

いままでの時代は、いまという時代は、そして、これからの時代はどんな時代なのか?
いまという時代、経済はゼロ成長、ゼロ金利、ゼロインフレとなり、資本主義の終焉だと言われています。人口は7年連続減少し続け、日本が変わってきている。少子高齢化が進み、空家が問題になり、首都圏への一極集中が止まりません。

1979年出版 best seller

ボクたち団塊の世代は、こんな時代になるとは、想像もしていなかったのです。大阪万博(1970年)の頃は21,22才、高度成長期の絶頂期にあり、Japan as No.1(1979年出版)が売れた時には、実は高度成長は既に終わっていました。
振り返ってみれば、僕たちは高度成長期の終盤に社会人となり、やれ公害だの、省エネだのと、謂わば高度成長のツケを払ってきました。それが団塊世代です。

そして、団塊世代の一斉、定年退職がやって来ました。その団塊は、いま前期高齢者となりました。気がつけば皮肉にも少子高齢化の推進役が、自分たちだったと悟ったのです。

いま、下り坂をそろそろと下る時代を迎えようとしています。著者:平田オリザは ”里山資本主義の文化版”だと言っています。

  1. もはや日本は、工業立国ではない。
  2. もはや日本は、成長社会ではない。
  3. もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。

否定形で今の時代を見たくはないのですが、でもその通りです。当ブログ「里山資本主義が注目されている」に書いたとおり「里山資本主義は大人のファンタジー」なのです。
芸術家の目からみて、彼は概略つぎのように、寛容と包摂が大切だと言ってます。

文化による社会包摂、すなわち寛容と包摂ほうせつの社会・時代へ

自分と価値観が違った意見にも耳を傾けることができるといった、寛容さや知的体力を持つことです。
あるときは地道な作業にも献身的に参加し、あるときは局面打開のために創造性豊かな発言を行なうといった柔軟性を持つ。
様々な欲求、要望がぶつかる中で、どうにか折り合いをつけていく合意形成能力を持つことです。

アサーション(assertion)という聞き慣れない言葉があります。
主張, 断言と直訳できますが、実は臨床心理学の言葉で、コミュニケーションスキルのことだそうです。「人は誰でも自分の意見や要求を表明する(又は表出しない)権利がある(自己受容権利)」として、アサーティヴ(assertive)という「自分のことも、相手のことも大切にする、適切な自己主張」がベストなのだそうです。

日本は、アサーティヴになるべきです。自分と他者、我が家と環境、自国と国際の関係に、寛容さや知的体力を持つことにつながります。自分のことも、相手のことも大切にしながら、適切な自己主張をしてゆく成熟した社会を作り上げること、すなわち折り合いをつけていく合意形成能力を持つことにつながります。

そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さくつぶやき、今日も、この坂を下りていこう。

これから時代は、確かに長い下り坂かもしれません。…ではありますが、これでは零落感、孤独感、閉塞感、疎外感といったマイナス・マインドが漂い、新たな創造性を阻害してしまいます。

人々の心、文化や教育は、下り坂であってはなりません。いつも希望と勇気を駆り立てるような、新しい処へ向かって前進していく逞しさがないと、この国は凋落してしまいます。

成長だとか、拡大だとか、上昇だとかいった次元(尺度)から離れることだと思います。成長/拡大/上昇と直行する座標に立つことです。これが異次元というものです。
上質にしたり、健康にしたり、深めたり、熟成したり、醸成したりすることが創造性を伸ばします。政治・教育をも包摂した文化に価値創造を見出していく、本格的な新時代を迎える以外にないのです。