モリパパの持論“発酵は食文化” からすると、唯一例外の食文化がCofffeeであります。 茶でさえ紅茶や烏龍茶は発酵でその味を競っているのに、コーヒーという飲み物に発酵はありません。
そのアロマ、その香り、その魅惑的な茶色 「やみつきのおいしさ」を持つCoffeeという小悪魔は人類を虜にしてきました。
人生に恋があがるように、もしコーヒーが無かったら、どんなに味気ない一日を送らなくてはならないか?
酒でもない飲み物で、こんな文化史的な位置づけをなした飲み物は他には無いでしょう。
“発酵は食文化”だと思っているモリパパから見ると、発酵のないコーヒーに、これほどウンチク話が多いなんて、とても不思議でならないのです。
「赤いダイアか?黒い悪魔か?」と言われてきコーヒーは、植民地と奴隷、搾取と強奪を引換にして獲得したアロマティックな文化なのです。
その後、近代史にあっても「近代市民社会の黒い血液」とまでいわれ、コーヒーは17世紀以降、劇的に発展した近代・現代の文化史を綴ってきました。
そして今もなお、石油に次ぐ貿易額をほこるコーヒーは、身近で注目される飲み物であり続けているのです。命をつなぐための食糧ではないCoffeeは文化をつないでいます。