その子悪魔

Amsterdamのオランダ東インド会社
Amsterdamのオランダ東インド会社

コーヒーの商売は、東インド会社を抜きにしては語れません。(この頃「インド」とは、ヨーロッパ、地中海沿岸地方以外の地域の総称だった) つまりコーヒーは、貿易で荒稼ぎする歴史から始まったわけであります。 ここがワインとは全く違っているんですネ。

17世紀初頭、オランダの東インド会社が、 インドネシアのプランテーションでコーヒーを栽培し、大儲けをした。 オランダ東インド会社は目の敵にされ、インドネシアのモルッカ諸島(Molucca) 即ち「香料諸島 (Spice Islands)」の中心 アンボン(Ambon)島での戦いで、イギリスに大敗してしまう。それからというものオランダはボロ儲けの権利をすっかり失ってしまった訳です。 イギリスは七つの海で覇権をにぎり、ヨーロッパのコーヒー市場に参入し、アロマをばらまいていったのです。 英国LondonのTwinings (established in 1706)も初めはコーヒーハウスだったんですよ。

Josephine(1763-1814)
Josephine(1763-1814)

フランスの海兵隊士官ガブリエル・マチュー・ドゥ・クリュー がルイ14世の温室からコーヒーの木を盗み出すようにして、カリブ海に浮かぶ小さな島 マルティニーク島へ初めてコーヒーの木を運び込みました。1723年のことでした。

マルティニークといえば、 有名なナポレオンの妻ジョセフィーヌの出生地です。 そう彼女の実家(タシェ家)は砂糖で大儲けして(後にコーヒーを栽培)、娘を華のパリへ送り込み、何とナポレオンを射止めたという訳です。

(余談) 大航海時代の初期(16~17世紀)はスパイスでボロ儲けし、18世紀に入ると三角貿易でまたボロ儲けしたんです。
ヨーロッパから武器,雑貨を西アフリカに運び、武器を売って奴隷を買い、その奴隷をカリブ、中米の植民地へ売り、帰りの船にプランテーションで作った砂糖や綿花を乗せて帰って、ボロ儲けしていたんです。
プランテーション側も、砂糖より更に儲けが大きいコーヒー栽培に切り替えていったので、コーヒーがアッという間にカリブ、中米に拡がっていった訳です。
パリの温室にあった1本のコーヒーの木が、コーヒーベルト(北回帰線と南回帰線の間) といわれる地域に広がった大事件になろうとはネ。

Pirates of Caribbean
Pirates of Caribbean

まさに、映画「パイレーツ オブ カリビアン」のような世界です。
強欲と無法、カッコつけたエセ国家主義のなかで、コーヒー文化は生まれ育ったんです。ヨーロッパのコーヒー文化は、その裏で植民地支配と奴隷貿易という文化には無縁な”悲惨”に支えられていたんです。

World Coffee Map
World Coffee Map

18世紀半ばまで、コーヒーといえばイエメン産かエチオピア産(どっちもモカ)だったんですが、一気にカリブ海や中米から、 そしてブラジルからもコーヒーがヨーロッパにやってきた。 大航海時代とは、植民地支配とその掠奪戦 それは凄まじい欲得と今までにないスピード感で展開し始めた新時代だったんです。

そして、そのエネルギーはコーヒーの木を、回りまわってアフリカ東海岸のキリマンジェロ山麓にまで運んでしまったんです。 コーヒーは、アフリカのエチオピアを起源とし、ヨーロッパに渡り、カリブ海を巡り、 とうとうアフリカの大地に戻ってきたという皮肉な歴史をたどった、大航海時代の遺産なんです。

ワタル・グルメコーヒーから引用「コーヒーの木伝播図」
ワタル・グルメコーヒーから引用
「コーヒーの木伝播図」

19世紀に入ると、植民地政策、即ち国策としてコーヒーは、ますます重要になってくるんです。 イギリスに継いで、フランスも後れを取ってはならじと19世紀半ば、 ナポレオンⅢ世の時代にフランス領の各地でコーヒー栽培が始められました。 その一つがブルボン島(現レユニオン島)だったんですネ。 しかし、1820年以降、各地で独立気運が昂まり、植民地拡大は簡単にいかない時代に入っていったんです。 こうして、オランダ、イギリス、フランスの国策と商売によってつづられてきたコーヒーの歴史のなかで、 ただドイツだけが後れを取り、ほとんど植民地を支配できなかったんです。唯一、19世紀末に東アフリカ(タンザニア)のプランターションでコーヒー栽培をしただけでした。それが皆さんご存知のキリマンジェロです。

現代市民社会の黒い血液

IDA-MARC 010「黒い悪魔か、赤いダイアか?」と言われてきた、これまでのコーヒーの歴史はともかくとして、 今では、消費国が気にしてることを生産国もよく知っています。 昔から、コーヒー価格はグローバル相場に依存してきました。 先物市場では、需給バランスではなく投機で価格が決まって、これに生産者は振り回されてきました。 しかしながら、ジャマイカ・ブルーマウンテンや ハワイ・コナのように一旦高い評価を得るとゆるがぬブランドとして、 生産地主導の高値安定が望めます。 冷淡な相場価格に振り回されてきた生産国は、いま新たな市場の時代を模索し始めています。 多くの農園は後継者に悩み、ハリケーン被害に怯え、スタバの我がままを許しながらも、 消費国の情報戦に挑み、価格維持のために努力し始めています。
DSC01454smallコーヒーは石油に次いで、世界貿易高は第2位です。 商品相場 ICE (Inter Continental Exchange) でのコーヒー取引は、投機マネーで先物・空取引が当たり前です。 だから過去7倍近い暴騰暴落があった相場です。 相場で大儲けしたり大損したりする投資家はもちろん、 カフェや消費者にとっても、まさにアイス(ICE)の様な冷たい市場です。 最近も2010年5月以来高騰し始め、2011年には生豆相場は約2倍に跳ね上がりました。 コーヒー扱う人々は実に欲深い、焙煎や小売りは「安いものを如何に高く売るか」が業界常識で、 原価を聞いたら呆れるコーヒー業界です。 だから焙煎小売市場は寡占化が進んでいません。 2004年以降、ボルカフェ、EDエフマンが影響力を持ち、スターバックス、ドトール、タリーズなど カフェ・チェーンが急成長し、SCEA(ヨーロッパ)、SCAA(アメリカ)、SCAJ(日本)など スペシャルティコーヒーの機運は高まってきました。 もちろん生産国でもSCBA(ブラジル)、(SCCA)コロンビア、コスタリカ、グァテマラ、ニカラグアなどが スペシャルティコーヒーに挑んでいます。 カップ・オブ・エクセレント COEなる品評会を開催しています。 そして、 「近代市民社会の黒い血液」 と言われるコーヒーは、また新たに“現代市民社会の黒い血液”になろうとしています。

コーヒーのお国柄

コーヒーは生産国のお国柄も様々、お国事情が余りにも違います。 生産者の意識が違うのも当たり前で、コーヒーの味も違ってくる訳ですね。 代表的なところをチョット紹介してみましょう。

原産地エチオピアEtiopia_market

まづ耕地といった考えじゃなくて、権利地みたいなところに育ったコーヒーを、 仲買業者のところに持ってくる。その数や2000を超える人々から集荷するというのであるから何処の産地か 分からないコーヒーまで混じっているのは、当たり前のこと。 でも仲買業者も、少しでも高値で販売したいから、なるべく産地を限定しているように見えるが、 その管理は確かなものじゃない。 「でもエチオピアのモカは、おいしいよね」 モリパパもエチオピアのモカが大好きです。 すべて昔から栽培している古木から採取したもので、 大まかに間違った品種が多量に混合することはないから、それはそれでエチオピアらしい コーヒーとして流通することになるのでしょう。 面白い話があります。エチオピアは2005年9月「シダモ」「SIDAMO」「イルガッチェフェ」「YIRGACHEFFE」 の4件を、日本で商標登録出願しました。これに対し全日本コーヒー協会は無効審判を請求し、 一旦商標登録は無効とされました。 しかしその後、訴訟を起し特許庁審決は取消され、商標登録が認められました。 スペシャリティー・コーヒー流行の裏話しです。

コロンビアのFNCJuan_Valdez

FNCは、 日本の農協(JA)よりもっと強力な組織であります。 FNCは1927年設立され、一時は内部分裂の危機もありましたが、今では米国市場をはじめ世界的に定着してます。 ラバとフアン・バルデス(Juan Valdez) そしてエメラルドマウンテンとして、 世界的に知名度を上げてきました。 コロンビアの農家は小さな農家ですが、FNCが農家から パーチメントを購入し、生豆の精製、 品質格付けから流通まで、 さらに市場に乗せ、殆どUSAに向けですが相場を通して販売まで行っています。 こうでもしないと売りさばけなかったのでしょう、さすがアラビアカ・コーヒー第2位の生産国だけはあります。 コーヒー政府といわれるほど、 FNCの役割は大きい。 学校、病院、道路などを建設し、研究開発センターまであります。もちろん政府への影響も大きいようです。 麻薬やコカインの暗黒世界があるような国柄で、コーヒー農園をコカやケシ栽培から守ってきました。 最近でこそスペシャルティコーヒー市場で、 格付け品でなく、もっとおいしいコーヒーはないかと要求するようになりました。 この要求にFNCが チャンと答えられれば、さらに発展すると思うんですが。

大生産地ブラジルCerrado_scape

ブラジルの新開拓地であるセラードは これまでになかった新しい産地です。 閉ざされた大地という意味の セラードに、30年前から入植がはじまりました。 その開拓には日系人が大変努力されたようです。 日本からのODAが決まったのは、田中角栄の時代だそうです。 Cerrado_warehaus 大平原に地平線まで続く穀倉地帯、そこにコーヒー農園地帯がある。 まるで大陸の穀倉地帯のようです。コーヒーをゲートの様な機械で摘み、灌漑設備も巨大、 トラック、ホッパー、コンベア、なども巨大。倉庫たるやこれまた巨大である。 CERRADOでは、コーヒー以外にも大豆、コーン、小麦などの栽培拡大がまだ続いています。 大規模農園、ある意味で資本力にものを言わせる取り組みでもあります。 セラードコーヒーは 日本に販売会社 (株)セラード珈琲 (CERRAD COFFEE & COMPANY Ltd.)まで持っています。

高級ブランド

価格維持される、ジャマイカ・ブルーマウンテンや ハワイ・コナでは 独自に農園Estateとして採算が取れるようになります。 ここまで来ると、まがい物も出てきます。ハワイ・コナ のスキャンダル(1996年)は有名だし、 ジャマイカ・ブルーマウンテンの ハリケーン・ギルバートの被害は壊滅的で大変でした。 色々な事件や災害がブランドの事情を変えていきます。

HACIENDA La Esmeralda
HACIENDA La Esmeralda

ワイン畑をシャトーごと買収するのと同じように、 資本力にまかせてコーヒー農園の買収が行われる時代になったようです。 COEでトップとなり、一躍人気が出てきたパナマの エスメラルダ農園は、 資本家によって投資され、活発な営業に成功した農園です。 今やエスメラルダ農園の ゲイシャ種は、売り手市場となっています。 こういったワインのシャトウーに似た経営が、コーヒー農園にも及んできた時代になりました。