スメタナの一生

Smetana
Smetana

A.Dovorakと同じチェコ(Cheska)出身で、17年先輩に当たります。
ベドルジハ・スメタナ(Bedrich Smetana)と言えば、 連作交響詩《わが祖国》“DIE MOLDAU” (VLTAVA) の印象しかないのが正直なところです。 巨匠 Beethovenと同じように、完全に聴覚を失ってから作曲したのが、この《わが祖国》“DIE MOLDAU”です。ここが凄いところなんです。 毎年行なわれる 国際音楽祭[プラハの春] のオープニング曲として演奏されています。 もうこの曲はチェコ国民音楽として記念碑的な作品なんです。 日本でも「さだまさし」や「イルカ」が歌ってるほどで、様々な 歌詞 が付けられてますが、ちょっと?

西暦 年齢 生涯 作曲
1824 0才 3月2日、ボヘミア北部のリトミシュル(Leitomischl)でビール(→チェコ・ビール) の醸造技師の息子として生まれる。  
1825 1才    
1826 2才    
1827 3才    
1828 4才    
1829 5才    
1830 6才    
1831 7才    
1832 8才 ≪Goethe亡くなる≫  
1833 9才    
1834 10才    
1835 11才    
1836 12才    
1837 13才    
1838 14才    
1839 15才    
1840 16才    
1841 17才    
1842 18才    
1843 19才    
1844 20才    
1845 21才    
1846 22才    
1847 23才    
1848 24才 作曲家フランツ・リストからの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。  
1849 25才    
1850 26才    
1851 27才    
1852 28才    
1853 29才    
1854 30才    
1855 31才   Piano Trio in G minor:ピアノ三重奏曲 ト短調
1856 32才 故国ボヘミアを離れてスウェーデンのヨーテボリでピアニストおよび指揮者として、 1861年まで活躍していた  
1857 33才  
1858 34才 交響詩『リチャード三世』作品11
1859 35才 交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14
1860 36才  
1861 37才  
1862 38才   交響詩『ハーコン・ヤルル』作品16
1863 39才    
1864 40才    
1865 41才    
1866 42才   “Prodana nevesta” 売られた花嫁=The bartered bride By Czech Philharmonic
1867 43才    
1868 44才    
1869 45才 交響詩の連作の形で創作しようとスメタナが考えたのは、オペラ『リブシェ』を 作曲していた1869年から1872年の間のことであると言われる。 当初は「ジープ」(?ip )、「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「リパニー」(Lipany )、 「ビーラー・ホラ」(Bila hora )の5つの地名を各曲の題名として構想していたが、 最終的には「ヴィシェフラド」、「ヴルタヴァ」、「シャールカ」、 「ボヘミアの森と草原から」、「ターボル」、「ブラニーク」の6曲が作曲された。  
1870 46才  
1871 47才  
1872 48才  
1873 49才    
1874 50才 梅毒に起因して中途失聴者となり、完全に聴覚を失ったが作曲活動を続けた。
この出来事の後に書かれたのが、代表的な作品『わが祖国』がある。
『わが祖国』第1曲「ヴィシェフラド」完成
1875 51才 Má Vlast (My Fatherland) 『わが祖国』の内容(1874~1884年に作曲された6曲の内容)
第1曲:ヴィシェフラドVysehrad(高い城) :プラハの南、モルダウ河畔にある要塞の名称、 昔のVysehradの栄光と闘争、没落の歴史が語られる。
第2曲:Vltava (The Moldau)第 2 曲《モルダウ》Bedřich Smetana: Má Vlast Moldau (Vltava)

Gunther Emmerlich

:チェコの母なる川Vltava。Smetanaは、 上流から下流に向かって音楽によってこの河川を描写し、ボヘミアの風土への賛歌としている。 曲は源流の暖かいモルダウと冷たいモルダウを象徴する繊細な響きで始まり、 2つの流れが合流した小川が、野原や森、村々を通り過ぎていく。
第3曲:シャールカSarka :チェコ古代の勇女Sarkaは、恋人に裏切られて以来、男に復習を誓う。 ツチラト率いる兵士が通りかかり、木に縛り付けられたSarkaに魅せられる。 彼女を助け、酒宴が始まり、彼女は兵士たちを酔わせ眠らせる。 彼女の合図で隠れていたアマゾネスたちによって兵士は皆殺しにされる。
第4曲:ボヘミアの森と草原から Z ceskych Luhu A Haju (Aus Bohmens Hain Und Flur) :美しい風景を前にした人が抱く感情を音楽によって表現した。 ほのかな哀愁を帯びた伸びやかな旋律で始まる。
第5曲:ターボルTabor :ボヘミア南部の街Taborは、処刑された宗教改革者ヤン・フスの 意志を継ぐ人々の街。ローマ法王の弾圧を跳ね返し自治政府を樹立するが、 最終的にカトリックに反旗を翻した革命は失敗に終わる。 曲はフス派の勝利を表す輝かしい響きで閉じられている。
第6曲:ブラニークBlanik :ボヘミア南部の深い森に覆われた山地Blanik。 そこはチェコ王ヴァーツラフの臣下が眠り、民族の危機の際には救いの手をさしのべるという。 この曲は、邪悪に襲われた祖国をフス派の勇者が眠りから覚めて出陣し、 勝利を収めるまでを描いている。

187652才187753才187854才187955才『わが祖国』最後の第6曲「ブラニーク」が完成し、 連作交響詩『わが祖国』はこの年完成した。 Ma Vlast (My Fatherland) :連作交響詩『わが祖国』(6曲)188056才  188157才6月11日にオペラ「リブシェ」を 国民歌劇場(Národnì divadlo)で初演。 188258才11/5:『わが祖国』Pragで初演される。 188359才  188460才梅毒の進行による脳障害により正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、 この地で生涯を終えた。ヴィシェフラットの有名人墓地に葬られている。