コーヒーには、Specialty,Premium,Gourmet,Exoticなど形容詞がいっぱい使われてるけど、レアコーヒーと言った方がいいかもしれない、ものすごく高いコーヒーがあるものです。
誰がこんな高いコーヒー飲むんだろうと思っちゃう。マニアの世界は際限がないもんですね。
品種には在来種とハイブリッドがあると説明しましたが、同じ在来種のティピカでも生産国によって、どうも違うようです。
18世紀半ば生産地は一挙に拡がったのですが、その土地に合った在来種として定着してきたようです。
特に、レアなコーヒーは一応在来種ですが、その味わいには、はっきり違いがあります。
幻のブルボンポワンチュ
ブルボン島(現在のレニュオン島)で ブルボン種が栽培され、そのブルボン種の原産種がブルボンポワンチュ です。
すべてはブルボンポワンチュ から始まったと言われるほどの原々種なんです。だが、その歴史は複雑です。
レニュオン固有のコーヒー種は「マロン」とも呼ばれ、 1711年 セント・ポール市近くで発見されましたが、苦すぎたようです。
1715年にデュフレーヌ・ダサール船長が、 60本のモカの変種を運び込みました。 しかし船内で枯れたり、栽培途中で枯れたりして、残ったのはたった2本だけでした。 その後この2本のコーヒーが、この島に自生している木と似ていると言われ、 自生種の栽培が奨励されましたが、繁殖も栽培も難しく栽培されませんでした。
これに代わって、ふたつの起源をもつモカ種の苗7,800本からレユニオンに持ち込まれ、栽培され、ある程度成功しました。 1727年に45トンのコーヒーを収穫・産出したと記録されています。 1731年にはフランスへ出荷され、その後もしばらくは栽培、出荷されていたようです。これらレユニオン島で栽培されたコーヒーの中から、突然変異種 ブルボン ポワンチュが出現したようです。これがブルボン ポワンチュの起源です。
この島から1856年にナポレオン三世の経済政策の一環として、南太平洋における殖民地拡大のため、 カトリック系マリスト修道会のReunion人宣教師が 仏領ニューカレドニアに ブルボンポワンチュの苗を持ち込み、 現在のサンルイ・ロベンソン地区に植えられました。
1862年には農業技術者のアドルフ・ブータン氏が60,000本の苗を配布し、 ニューカレドニア各地で栽培が始まりました。 1911年、マルティニック人の商人アルモガム氏がニューカレドニア のブルボンポワンチュを パリに持って行き販売したところ、コーヒーの専門家であり、フランスの大手輸出入業者の ポール・ジョバン氏の目に留まり、ニューカレドニアのブルボン・ポアンチュをフランスにて販売促進するアーブル・カレドニアンという会社が設立され、カフェルロワ(Cafe Le Roy)として販売されました。
この頃ニューカレドニア各地でのコーヒー栽培は盛んで、 ブルボンポワンチュや 他のアラビカ種を年間2000トンもフランス本国に輸出していました。ニューカレドニア各地で大々的に栽培されていたそうです。
その後20世紀前半、原産地レニュオン島では砂糖栽培に転換され、コーヒー栽培そのものが廃れ、ブルボンポワンチュは絶滅。 また、仏領ニューカレドニアでもニッケル鉱山の隆盛でコーヒー栽培は衰退し、輸出できないほど栽培が減りました。だからブルボンポワンチュは、この世の中から絶滅したと思われてきたのも無理はありません。
幻のブルボンポワンチュを再発見したのは、コーヒーハンターを書いた川島氏のように思われてますが、実は、ニューカレドニアのべローム氏の方が早くからブルボンポワンチュに着目しており、 川島氏が初めてレニュオン島に行った1999年以前、既に栽培に成功していました(1998年)。 現在、ニューカレドニアのイダマーク農園(Domaine Ida-Marc)で唯一栽培され、輸出されています。
セントヘレナ島のモカ
絶海の孤島セントヘレナは、ナポレオン流刑(1815年)の地として有名ですが、 実はスエズ運河が1869年に開通するまでは、喜望峰を回る航路の重要な中継基地でありました。
スパイスやコーヒーを乗せたオランダ、スペイン、イギリス、フランスの船がこの島に寄港していたのです。 そして当然ながら、コーヒーの木が運び込まれ栽培されました。 イエメンのモカが直接運び込まれたものだったようです。
流刑されたナポレオンが 『セントヘレナでいいものはコーヒーだけだ』 と言った という記録が残っているそうです。フランス皇帝の座まで登りつめた人間ですから、当然、口も肥えていたと思います。
1851年に開催された第1回ロンドン万博のコーヒー品評会に セントヘレナ島のコーヒーが登場しています。
見本として最高級のコーヒーが、S.マグナスという個人の庭園から送られて来たそうです。 品評会はこのコーヒーに栄誉賞を与えています。
この栄誉賞をきっかけにコーヒー栽培がはじまり、パリで「最高のモカを凌ぐほどでないにしろ、それに匹敵する」 と称賛され、プレミアム・コーヒーの価格が付きました。
1990年代、イギリスは実験農場をDevid Henryに貸し与え、再びコーヒー栽培が始まったようです。 彼のコーヒーは、日本、USAへも試験販売され、収穫量は少ないがSpeciality Coffeeとして販売されました。 「その結果、セントヘレナ島のコーヒーは世界でもっとも高価なものになっている。」 とアントニー ワイルドは書いてます。
今から160年前の万博での評価が、今でも通用するかどうか分かりませんが、現在も僅かながら輸出されており日本にもサンディーベイ農園のブルボン種が輸入されています。
エチオピア・ハラールのモカ
アビシニア高原(現在のエチオピア)では、殆どのところでコーヒーが自生している将にコーヒー王国です。
樹齢200年というコーヒーの木もあるそうで、天然記念物のような木があります。 樹高も高く脚立に登らないと採れないそうです。
1880年11月、フランスの詩人アルチュール・ランボーは、 アビシニア唯一のジュゴルの城郭都市ハラールに到着した。 武器商人としては失敗するが、ハラールでコーヒー商人として成功する。 当時ハラールはエチオピアの中心的な交易都市で、コーヒーは殆どハラールから出荷されていました。
エチオピア・ハラール(Echipia Harar)の城郭都市
エチオピア・モカはレアなコーヒーではありませんが、モリパパの思い入れがあり特別に載せました。
エチオピアでは、まづ耕地といった考えじゃなくて、権利地みたいなところに育ったコーヒーを 仲買業者のところに持ってくる。 その数や2000を超える人々から集荷するというのであるから何処の産地か 分からないコーヒーまで混じっているのは、当たり前のこと。
でも仲買業者も、少しでも高値で販売したいから、なるべく産地を限定しているように見えるが その管理は確かなものじゃないと思います。
「でもエチオピアのモカは、おいしいよね」 モリパパもエチオピアのモカが大好きです。
エチオピア・モカは、比較的新しい産地でも独特な風味があります。 はっきりとしたフェノール臭があって、素人でも目隠しテストで 分かるような強烈なフレーバーです。 現在はチャント流通に乗るようになってきた奥地のシダモやイルガッチェフェは、比較的新しい産地なのですが、その美味しさは変わりません。
「何処掘っても」という言葉がありますが、エチオピアは何処で採っても美味いコーヒーが採れるのでしょう。
最近の農園経営について、
2008年11月に旧オークションにとって替わるECX制度ができ、 Sidamo やLekempti 、Djimmah、Harrarなどの一般品の調達は、このECX経由で仕入れることが義務付けられているようですが、 それでも次第にECX外の取引・単一農園及び農協が増えているそうです。
- 国営農園:Limu,Tepi,BebekaなどJimma,Kaffa地域の国営農園(民営化進んでいる)
- 民間系農園会社:農園経営ライセンスを持つ民間企業
Ethio Agri-CEFT PLC、Green Coffee Agro Industry PLC、S.A. Bagersh他、 - 農協系:オロミア農協、イリガチェフェ農協、シダマ農協、オロミア森林公社、他農協組織
面白い話があります。
エチオピア連邦民主共和国は、2005年9月「シダモ」「SIDAMO」「イルガッチェフェ」「YIRGACHEFFE」 の4件を、日本で商標登録出願しました。これに対し全日本コーヒー協会は無効審判を請求し、一旦商標登録は無効とされました。 しかしその後訴訟を起し、特許庁審決は取消され、2007年1月 商標登録が認められました。スペシャリティー・コーヒーm流行の裏話しです。
参考:登録第4955562号商標の商標登録無効審判事件
最近、隣国ソマリアではマラリアが流行はじめ、コレラ流行の恐れもあるそうです。心配ですね。石油も何にもない山岳の国エチオピアには世界に誇るコーヒーが採れる。エチオピア万歳!
ハワイ・コナのスキャンダル
1996年のことですが、中米のコーヒーをコナ・コーヒーの袋に詰めなおして、ハワイから出荷したことが 発覚したのが「コナ・スキャンダル」となって今に語り伝えられている。
世界中のコナ・コーヒーの消費量は、生産量より多く、時には10倍以上だったこともあったそうです。 まさに過熱した市場であります。
この詐欺で代用された中米のコーヒーは、専門家の Cupping Testで本物のコナより味が 良かったというから、皮肉なものです。
当然、コナコーヒー協議会とハワイ・コーヒー協議会によって対策が取られ厳密な生産地管理がされることになり、現在では、本当のコナ・コーヒーを入手するのは大変難しいと言われている。
なんでも「偽物が出回るようになったら本物」だと言われますが、ジャマイカのBlue Maoutainでも起こっています。 コーヒー学のすすめ―豆の栽培からカップ一杯まで (豆栽培からカップ1杯まで)を参照
Wineと同じ。テロワール(Terroir)で決まる
ワインでは、土壌、地形、気候、風土など、生育環境を総称してテロワール(Terroir)と云い、何だか良く分からんTerroirですが、フランス的でいいですね。
土壌は気候や地形によって変わります。地形や標高によって気温が違い、 気温の変化や、降雨の量と時期が違ってきます。(モリパパは、学生時代、土壌学を学んでましたから、この辺りは自信があります。)
さらに、コーヒーでは Shadowing Tree などの栽培管理や肥培管理によって その土地に育つ品種特性が大きく変わってきます。
世界に広がる遠く隔たった生産地では、生育環境は大きく違っていて、同じ品種でありながら、 その特徴や風味は大きく違ってくるのは当然だと思います。
ワインには Apperation(AOC)というのがあり、その地域で採れたワインをブレンドして出荷しています。 AOCの地域範囲が狭ければ狭いほど、その特徴が出て良いといわれてます。 実はコーヒーにも AOC のような考え方ができるのでしょうか? 生産国の事情にもよりますが、 生産者組合、集積地の業者、輸出業者での Blendがそれに当たります。 例えば、EtiopiaのHarar, Yirga Chaffe, SidamoといったのがAOCに当たるでしょうか?