SchumannはRobertとClaraの夫婦一緒に編集してみました。
交響曲第3番変ホ長調”ライン”を Düsseldorfでライン川を眺めながら聞くと、
この曲がホントに良く解ります。Düsseldorfへ行く機会があったら是非どうぞ! Robert:5人兄弟の末っ子として、両親のすすめで大学で法学を学んだが、
音楽の道を捨てきれずClaraの父についてPianoを学び、ずいぶん回り道をして音楽の道に入りました。
そしてClaraと恋に落ち、裁判をしてまで結婚。
それから16年(弱冠46才)精神障害の末に一生を閉じてしまいました。
でも短い人生の中で名曲を残してます。もう少し長生きしてたらネ。
Clara:天才少女のPianistとして期待され、その後Robertと大恋愛、父の猛反対に屈せず結婚。
Robertの精神障害に苦労し、子育てをしていきます。
そのRobertが亡くなってとき、Claraは37才という若さなんです。 Bramusとの噂はあったにせよ、ともあれClaraは77才で亡くなるまで40年間独身を通しました。
今はRobertのBonnの墓に一緒に仲良く眠っております。
西暦 | 年齢 | 年齢 | 生涯 | 作品 |
1810 | 0才 | Robert:Zwickauで生まれる。 | ||
1811 | 1才 | |||
1812 | 2才 | |||
1813 | 3才 | |||
1814 | 4才 | |||
1815 | 5才 | ≪フランス7月革命≫ | ||
1816 | 6才 | |||
1817 | 7才 | |||
1818 | 8才 | |||
1819 | 9才 | 0才 | 9/13Clara誕生(父Friedrich Wieckはピアノの名教師として知られていた)。 | |
1820 | 10才 | 1才 | ||
1821 | 11才 | 2才 | ||
1822 | 12才 | 3才 | ||
1823 | 13才 | 4才 | Clara:FriedrichはClaraにだけPianoを教育し「第二のモーツァルト」に仕立てようとし、他の子供の育児を放棄していたという。 | |
1824 | 14才 | 5才 | Claraの母(Marianne)が家を出る(叔父のPrauenに移る)。 | |
1825 | 15才 | 6才 | ||
1826 | 16才 | 7才 | Robertの父が亡くなる。 | |
1827 | 17才 | 8才 | Clara、9/9自宅でPiano協奏曲(Mozart)を演奏。 ≪3/26 Ludwig van Beethoven逝く≫ |
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1828 | 18才 | 9才 | Robert:Universität Leipzigに入学。Klavierkonzert a-Moll op. 54を作曲を始めたが、これは未完のままとなり1845年(17年後)にやっと完成する。 ≪RobertとClaraとの出会い≫ Clara:Gwant Hausの演奏会で初めて演奏し天才少女として有名になる。 |
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1829 | 19才 | 10才 | Niccolo Paganini(47才)に自作のporonesを聞いてもらう。 | |
1830 | 20才 | 11才 | Clara:父とDresdenへ演奏旅行。天才少女として熱狂的な人気を博す。 Robert:Friedrich Wieckに師事しPianoを習うため、Wieck家に寄宿し始める。 |
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1831 | 21才 | 12才 | Clara:9/25演奏旅行の際、Götheの前で演奏し”才能ある芸術家Clara Wieckのために”という銘文を刻んだ青銅メダルをもらう。 | |
1832 | 22才 | 13才 | Clara:4月~父Friedrich Wieckと共にParisへ演奏旅行。しかしParisではコレラ大発生で集客に失敗。旅行途中(11/18)LipzigのGewant hausで開いた演奏会で、Robert作曲のSinfonie Nr.1-1を演奏。また初めてRobertの母に会う。 Robert:作曲第1作をClaraに演奏してもらうが、ある意味「刺身のツマ」であった。 ≪Goethe亡くなる≫ |
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1833 | 23才 | 14才 | Robert:Sinfonie Nr.1-1は大幅改訂され、2/18 Sachsenで、4/29 GewantHaus で演奏されたが、成功とは言えなかった。 | |
1834 | 24才 | 15才 | ||
1835 | 25才 | 16才 | Clara:MendelssohnやChpinの前でRobert schumann の曲を演奏。Chpinは「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性」と絶賛。 | Klavierkonzert a-Moll op.7:Clara作曲の唯一のピアノ協奏曲 1/3、2/3 3/3 |
1836 | 26才 | 17才 | Clara:Dresdenで音楽理論と声楽を学ぶ。 Bethovenの記念碑をボンに立てる発起人に名前を連ね、寄付のために幻想曲(Fantasie op.17)を作曲した。 クララとは結婚の約束をするが反対され、心は不安定。幻想曲(Fantasie)は、その心の不安定さが現れている。 | Schumann: Fantasie op.17 by Anna Fedorova |
1837 | 27才 | 18才 | 結婚の約束をするが、Claraの父 Friedrich Wieckに大反対されRobertとの交際を禁止される。 | |
1838 | 28才 | 19才 | Clara:オーストリア皇帝は1838年18歳のClaraを「天才少女(Wunder Mätchen)」と呼び、 オーストリアでもっとも栄誉ある「王室皇室内楽奏者」の称号(外国人女性の立場では前例のない名誉)を与え、 |
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1839 | 29才 | 20才 | 結婚の許しを求める裁判を起こす。 | |
1840 | 30才 | 21才 | 裁判に勝訴し、9/12結婚。 この頃二人で歌曲を作曲。 <歌の年>と言われるほど100曲以上のLied(歌)を書きまくった。 |
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1841 | 31才 | 22才 | Robert:Gewant HausでSinfonie nr.1 全楽章をMendelssohnにより演奏され、実質初演となる。 9月長女Marieが生まれる。 | Symphonie Nr. 1 B-Dur Op. 38 “Fruhling”春:交響曲第1番変ロ長調作品38「春」 |
1842 | 32才 | 23才 | <室内楽の年> | Klavierquintett Es-dur Op. 44:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44 By Martha Argerich Piano |
1843 | 33才 | 24才 | 父Friedrich Wieckと和解。Felix Mendelssohnが開校し自ら院長となった、Leipzig音楽院での作曲とピアノの教授に招聘される。 | |
1844 | 34才 | 25才 |
1/25 St.Peterburgへ夫婦で演奏旅行へ出かける。 |
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1845 | 35才 | 26才 | Klavierkonzert a-Moll op. 54:ピアノ協奏曲イ短調 、 :シューマン唯一のピアノ協奏曲。翌年1/1にライプツィヒにおいて妻クララの独奏と、Gewandhausorchester LeipzigのFerdinand Hillerの指揮により初演。 |
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1846 | 36才 | 27才 | ||
1847 | 37才 | 28才 | Dresdenに移る(2男3女)。11月Mendelssohnが亡くなる。 Clara:女性が作曲家になる事は世間に認められておらず、女性というだけで曲を正当に評価してもらえなかったため、ピアニスト及びピアノ教師として生きる事を決意する。 |
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1848 | 38才 | 29才 | ||
1849 | 39才 | 30才 | ||
1850 | 40才 | 31才 | Robertが9月Düsseldorfの指揮者となり、家族と共に Düsseldorf へ転居。 | Symphonie Nr. 3 Es-Dur Op. 97 “Rheinische”ライン:交響曲第3番変ホ長調 1/4、2/4、3/4、 4/4 :1851年2/6,Düsseldorfにおいて自身の指揮で初演。 Concerto for Cello and Orchestra in A minor, Op.129:チェロ協奏曲イ短調作品129 By Andreas Brantelid , cello 、:生前には演奏されなかった。 |
1851 | 41才 | 32才 | 何と3ヶ月でSinfonie Nr. 4を書き上げてしまうという凄まじさ。最も充実した日々だったようです。 | Sinfonie Nr.4 in d-Moll op. 120 (Bernstein) :1841年に作曲され、1851年に改訂。1853年12/30 Düsseldorfにおいて自身の指揮で初演。 |
1852 | 42才 | 33才 | ||
1853 | 43才 | 34才 | 秋 Johannes Brahms (20才)とJoseph Joachim に出会う。 | Das Violinkonzert in d-Moll (WoO 23):ヴァイオリン協奏曲ニ短調(遺作) 1a、1b、 2a、2b |
1854 | 44才 | 35才 | Robert精神病に犯され2/27 Rhein川へ投身自殺(未遂)、入院。 Brahmsは家の近くに住み、家の面倒をみた。末っ子Fericks生まれる。 |
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1855 | 45才 | 36才 | ||
1856 | 46才 | 37才 | 7/29Robert亡くなる。 最期の言葉「Ich weiß」が没後、150年を経た現在でも Bramsとの不倫説が絶えない原因となった。 また、Claraはこの頃、作曲をやめピアニスト及びピアノ教師として生きる事を決意していく。 |
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1857 | 38才 | Clara:1月ゲバントハウス(Gewandhausorchester Leipzig)で演奏会。 | ||
1858 | 39才 | |||
1859 | 40才 | |||
1860 | 41才 | |||
1861 | 42才 | |||
1862 | 43才 | |||
1863 | 44才 | |||
1864 | 45才 | |||
1865 | 46才 | |||
1866 | 47才 | |||
1867 | 48才 | |||
1868 | 49才 | |||
1869 | 50才 | |||
1870 | 51才 | |||
1871 | 52才 | |||
1872 | 53才 | |||
1873 | 54才 | |||
1874 | 55才 | |||
1875 | 56才 | |||
1876 | 57才 | |||
1877 | 58才 | |||
1878 | 59才 | 夏Frankfurt音楽院に迎えられPianoを教える。10月Pianist 50周年記念の演奏会開催。 | ||
1879 | 60才 | |||
1880 | 61才 | 5月Schumann memorial(Bonn)でBrahmsと再会。 | ||
1881 | 62才 | |||
1882 | 63才 | |||
1883 | 64才 | |||
1884 | 65才 | |||
1885 | 66才 | |||
1886 | 67才 | |||
1887 | 68才 | |||
1888 | 69才 | |||
1889 | 70才 | |||
1890 | 71才 | |||
1891 | 72才 | |||
1892 | 73才 | |||
1893 | 74才 | |||
1894 | 75才 | |||
1895 | 76才 | |||
1896 | 77才 | 5/20脳出血で亡くなり、BonnのRobertの墓に一緒に眠る。 |
文中マーク
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