札幌誕生といった魅力的な言葉に惹かれて、北海道新聞の連載小説を読むようになった。連載は2023年12月~2024年4月だった。
最初は島義勇(開拓判官)から始まった。内村鑑三、バチラー八重子、有島武郎と続き、最後は岡崎文吉で終わった。
連載途中で、あれ?っと思った。この連載は短編小説を時系列に並べたようなものではないか?札幌に関する歴史小説ではない。
先日(2024年11月30日)、北海道新聞(道新)で「札幌誕生を書き終えて」という講演会があった。
著者;門井慶喜の講演会でした。
会場となったのは道新の新社屋だった。道新の新社屋イベントの一つとして、この講演会が開催されたようだ。
公演で、著者;門井氏は「土木」への興味がこの小説を書くベースになった言っていた。
最後に岡崎文吉の章を書くに当たって、遡って小説を書くに至ったことを聞いた。それでやっと この連載小説の展開が理解できたが、実は期待した展開ではなかった。
そもそも札幌の歴史は浅い。他の首府(都市)と比べ、余りにも歴史が浅く近代史から始まる。北海道の歴史と重ねて僅か150年ほどの歴史しかない。
都道府県の首府となっている都市は、少なくとも江戸時代以前に遡る。福岡は太宰府に遡り、大阪や奈良京都など近畿は平城京や平安時代に遡る歴史を持っている。
ところが北海道は蝦夷地として長く眠っていた。江戸時代にやっと北前船の往来で、函館は殷賑を極めた。だが北前船の往来は北海道の沿岸部であって、内陸部の開拓は明治に入ってからです。
その明治期に札幌は忽然と誕生した。北海道の首府をなぜ札幌に定めたのか?そこに疑問があった。なぜ函館や小樽ではなく、内陸に入った不便な札幌を首府としたのか?という疑問です。
小説「札幌誕生」では最初に島義勇から繙いている。これは誰もが頷く。
原野であった札幌を「五州第一の都」にと意気込んだのは島義勇だった。前に鍋島藩主;鍋島直政が開拓総督に任ぜられ初代開拓使となり、次いで第二代に東久世通禧となった。この等判官は北海道守護神(開拓三神)を奉じただけであった。
鍋島直政の命に感じて、北海道の首府を札幌にしたのは島義勇であることに違いないが、なぜ不便な札幌の地を選んだのか?その疑問は消えない。背景はロシアの圧迫とだけ説明されている。
明治の初期、西郷隆盛でさえロシアの圧迫を警戒し征韓論を掲げたほど、当時の明治政府はロシアに脅威を感じていた。
しかし、その脅威と札幌誕生に断層があった。説明が足りない。
当時の軍隊は陸軍中心だったからなのか?海洋国家ではなかったからなのか?札幌の地を選んだ理由が釈然としないからだ。
ともあれ、札幌は人工的に誕生した。翻って考えてみれば、近畿の平城京(奈良)も平安京(京都)も当初は、人工的に造られたに違いない。…が、余りにも古く日本書紀にまで遡るような、祭り事「政」で決まった気分がある。
北海道もその始まり方は神国日本として祭儀や託宣の神事で、札幌の地が選ばれたのであれば、もうこれ以上詮索する気はない。
交易や経済、地理的な理由から決めたのではなさそうだ。神国日本の威信と権威によって北海道の首府;札幌は誕生した。