No More HIROSHIMA(広島)

2023年G7が史上初めて原爆の地、日本の広島で開催された。

中央にゼレンスキー大統領

米、仏、英、独、日、伊、加のG7首脳のほかEUのMichel大統領、von der Leyen委員長の2人が加わり計9名が慰霊碑の前に揃った。

またこのG7にウクライナのゼレンスキー大統領も参加した。この写真はグランド プリンス ホテル 広島の一角で行われた。このG7は当時首相であった岸田の大功績である。

その栄誉を記念して今もホテルのロビーに2023G7のモニュメントが飾られていた。図らずもこのホテルに一泊させてもらった。

このホテルは、瀬戸内を望む宇品の突端に在る。江田島や宮島さえ望むことができる。朝食の後ゆっくりコーヒーを飲みながら景色を楽しませてもらった。

ホテルの中から瀬戸内の海を眺めた。

さて、広島平和記念公園は二度目の訪問だが、前回は昔のことで殆ど覚えていない。だが今も変わらずに在ると思った。

資料館の中は薄暗く、ゆっくり見て歩く人で混雑していた。しかし静まりかえっていた。
突然 赤ちゃんの泣き声がして、原爆の写真を前にしてその泣き声にギクッとした。

資料館の外に出て晴れた空のもと噴水を目にし、息詰まるような思いが溶けて何故かホッとした。

資料館前の噴水

今もウクライナで戦争が続いている。先日、米トランプ大統領とウクライナのセレンスキー大統領の会談は、激しい口論だった。

激しい口論となった会談

トランプ大統領が「あなたは何百万人もの命を使って賭けをしている。第3次世界大戦をめぐって賭けをしている」と言った。

とうとうトランプは第3次世界大戦という言葉を使った。
言ってはならない言葉を使ってしまった。そんな大統領が、核のボタンを持っている。

  • 2017年I C A N核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した。
  • 昨年(2024年)日本被団協日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞した。
見入る外人客の二人

世界の良識が、必死になって原爆・核廃絶を願っている。
にも拘らず、日本は未だに核兵器禁止条約へのオブザーバー参加もできないでいる。

残された時間は長くない。核廃絶に向けてサタン(悪魔)を排除しなくてはならない。

どこか目に見えない処に隠然として「サタンの爪」が潜んでいる。

原爆の惨禍を招いてはならない。
No More HIROSHIMA(広島)

被爆地を訪れないと分からないことがある。次回は長崎平和公園に訪問しようと思っている。

 

長州・萩の旅

「明治維新胎動之地」

山口県こと長州・萩に行ってきた。
ここは明治維新の胎動期に吉田松陰の私塾「松下村塾」があった場所です。

今では観光地になっている。明治維新のすさまじい変革の時代を知らない人たちまでが、神社仏閣を参拝するように来ています。

松下村塾

若き吉田松陰こと寅次郎は安政の大獄によって死罪を宣告され、江戸伝馬町の獄に殉節しました。29才の若さであった。

八畳間の松下村塾から明治維新が始まった。この部屋である

萩の街は小さい。未だに残る武家屋敷のたたずまいを見て想った。
真っ直ぐな路地が、怜悧れいりで理屈を真っ直ぐに通す気質を育てたのだろうか? 吉田松陰の真っ直ぐな気質、直情、人を諭し、感化した。この小さな萩の町並みが松陰にそうさせたように思った。

松陰の門下には、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文など明治維新に活躍した偉人が連なります。

明治初期、萩で反乱を起こすことになってしまった人物がいる。武家屋敷を歩きながら、やっと思い出した。前原一誠まえはら いっせいである。

前原一誠

前原一誠も松下村塾に学び、後に明治2年政府の参議にまで名を連ねたが、大久保ひきいる政府に意見が合わなくなり下野し萩に戻った。
そして明治9年、不平士族を統率して萩で挙兵し、敗走し萩で処刑された。

明治初期、士族は路頭に迷った。これまでの身分も俸禄も失った。

そしてその後、佐賀の江藤新平の乱、神風連の乱、西郷隆盛の西南の役へと歴史は繋がっていった。

いま明治維新の頃(170年前)を見ることはできない。ただ昔も咲いていたであろう梅の花の写真を撮った。(季節は梅花の頃だった)

そして、昔も在ったであろう「白砂青松」の海岸をながめた。

泊まった千春楽旅館の前に、ぽつんと門だけがある空き地があった。いまの萩の街の象徴的な景色のように思えた。

明治維新は遠い歴史の彼方となった。

 

宮古島の旅

冬になると何処か南の島に行きたくなる。どこでも良かったのでツアーへ参加して沖縄・宮古島へ行ってきた。

沖縄那覇空港(OKA)にて

新千歳空港(CTS)から羽田空港(HND)で乗り継いで宮古島空港(MMY)へ直行する予定だったが、CTSで便が遅れて乗り継ぎ変更になった。沖縄空港(OKA)経由となり、8時間もかかてしまった。

お陰で沖縄空港も見学できて、蘭の花が飾り付けられた南国の雰囲気を味わうことができた。

北海道から宮古島まで2,500Km。北緯42度54分から24度46分まで南下するとさすがにあたたかい。でも沖縄は北半球だから季節は冬。曇りの日は上着やヤッケが要るほど寒かった。

サトウキビ畑の向こうに空港の屋根

宮古島空港近くのホテルに泊まった。

サトウキビ畑の向こうに空港の屋根が見える距離でした。

歌にもある通り、沖縄の名物はサトウキビ畑です。

サトウキビのジュースを飲んでみたが、思った以上に甘かった。

宮古島は平らなサンゴの島です。山がないから水がない。水は地下ダムにめてあるそうです。地下ダムは見えないけど5つ大きなダムがあるそうです。

地下ダムからの水はサンゴの石灰が溶けるので、水の硬度が高いそうだ。ホテルのシャワーの水もヌルヌルしていた。

平安名へんなへ行ってみた。宮古島の東端で灯台がある。

あいにく曇り空だったが、サンゴに囲まれた島の様子がうかがえた。

バスで、次に与那覇前浜へ行った。これぞ南に島の絶景でした。

こんな写真を撮りたかった。これだけで満足の写真旅行になった。

かつてニューカレドニアNewCaledoniaイルデパンil de pin 島に行ったときに見た砂浜に匹敵する光景に大満足。(参考にイルデパン島の写真も載せます)

南の島にはヨットとヤシが必要ですが、宮古島にはそれがない。一寸 淋しいが、でも人工の浜ではない素晴らしい砂浜です。

沖縄の「めんそーれ」とは違って宮古島では「んみゃち~」と言う。ようこそ「Wellcom」も島によって違うという。沖縄は島の集合体だそうですが、沖縄ならではの色彩がありました。

市街地の宮古食区ショックという場所で昼食を採った。面白い名前を付けたもんだ。ここは、夜はさぞや賑やかな場所だろう。若ければ夜来て飲んで踊ってヘベレケになるところだ。

沖縄返還の翌年(1973年)に石垣島に行ったことがある。野外調査で観光はしなかった。泡盛を飲みすぎて三日酔いした 思い出がある。あれから52年も経った。今回これが二度目の沖縄旅行です。

この宮古島は数々の巨大津波、大きな台風の災害、疫病の大流行そして戦争に遭ってきている。でも巨大津波が残した奇岩の海岸をいまや観光にしている。沖縄は楽観の島なのかもしれない。

短いツアー旅は3泊4日で帰途に就いた。帰りの便は順調で宮古空港(MMY)から羽田空港(HND)直行し、新千歳空港(CTS)に乗り換えた。12時出発し18時到着、6時間で日本縦断した。

今回の旅で新しく買ったLeica D-Lux8で写真を撮った。旅行に持ち出して沢山写真を撮った。GPSもしっかり記録されていた。

密かに、LEICA D-LUX8 を堪能する旅でもありました。

 

 

名馬ディープインパクト

サラブレッドの写真を撮りたいと思い、新千歳空港近くのノーザンホースパークに連れて行ってもらった。それが切掛きっかけだった。

束の間の快晴、牧場にサラブレッドが遊んでた。

競馬をやらなくてもディープインパクトは知っている。

その名馬ディープインパクトが誕生した所がノーザンファーム(北海道勇払ゆうふつ安平あびら早来)はやきたです。

ノーザンホースパークノーザンファームの関係会社で、社台しゃだいグループ吉田ファミリーの系譜に連なるらしい。ノーザンファームは、日本のサラブレッドを育てた名牧場の一つなんです。

ノーザンホースパークにあるディープインパクトの像

ディープインパクトは2002.3生まれで、2004.12から2006.12まで活躍し三冠王を成し遂げた名馬です。獲得賞金は 合計14.5億円というから凄い。そして2019年7月(17才余)で没しました。

競馬界では、名馬を生み出すために血統を競って種付けをする。メス馬を牝馬ひんば、オス馬を牡馬ぼばという。名馬となった牡馬ばばは引退後、種牡馬しゅぼばとなって優秀な牝馬に種付けをする。その数(子孫)は何十頭に及ぶらしい。種付け料も一回、何百万円もするそうだ。

種牡馬サンデーサイレンス(USA)

ディープインパクトの父はサンデーサイレンスで、米国から種牡馬しゅぼばとして11億円で落札したらしい。
サンデーサイレンスはカナダで生まれで然程さほどでない血統だったが、何回も優勝した名馬だった。

血統だけで名馬は決まらない。血統が良くなくても名馬が生まれることがある。サンデーサイレンスもそうだった。だから生産者も馬主も調教師もそこに賭ける。鼻の差で勝敗が分かれる競馬だから、予期せぬ名馬が現れることがあるようだ。

素人ながら競馬史をかじってみたら実に面白かった。YouTubeで動画を楽しみながら勉強している。新しい興味を一つ見つけた。


ところでノーザンホースパークは観光客が来る公園だから、現役の競争馬はいない。

園内遊覧馬車や、ポニーショウや、乗馬体験などがあり、なごやかな公園です。

乗馬体験用の厩舎をのぞいたら、グスタフ・マーラー(クラシックの大作曲家)という名前の馬が居た。この馬の性別は「せん」とあった。調べたら、馬にはオスの牡馬ぼば、メスの牝馬ひんばの他に、去勢された騙馬せんばがいるとのこと。

もちろん騙馬せんばは種付けにあずからない。現役で走る騙馬せんばもいるそうだが、この馬は既に24才の老馬で、おとなしく余生を送っている。

騙馬せんばとなってこんな風に余生を送れるなら、無理して名馬にならなくても幸せだと思った。・・・馬は人に近い動物かも知れない。

馬は人と気持ちが通じ合う動物のようだ。ドイツでは馬はペットとして飼う人がいるくらいだ。競走馬の殆んどが現役引退後、殺処分されている悲しい現実もある。なので動物愛護のフォスターペアレント制度もあるという。

やや横道に逸れてしまったが、急に競馬に興味が湧いてきた。
否、競馬の馬に興味が湧いてきた。 また季節が良くなったら
ノーザンホースパークに行ってみようと思ってる。

 

LEICA D-LUX8 の魅力と操作感

コンデジことコンパクト・デジタル・カメラは一つのジャンルだと考えてる。スマホと一眼カメラの間に位置するカメラだと思う。

ズームができるチョコ撮りカメラが、最近性能が格段に良くなってきた。ズームコンパクトならぬ名付けてズームインパクト

Panasonic DC-LX100M2
Panasonic DC-LX100M2
早すぎた名機と今も惜しまれている。

LEICA D-LUX8は、実は、Panasonicの LUMIXのDC-LX100M2 (2018/10/18発売)とほぼ同じハードウェアなのです。

初めてマイクロフォーサーズ(m4/3)を創設したPanasonicが作った、m4/3のコンデジがLX100M2です。残念ながら、2020/10月〜生産・販売中止となり、わずか2年の寿命でした。

LX100M2の後継機として、D-LUX8が名門LEICAから返り咲いた恰好かっこうになりました。LEICAの血筋を引くPanasonicのLUMIXのコンデジが、本家LEICAから復活したといったところでしょうか? m4/3ひと筋にカメラを愛好してきた者にとって、このコンデジD-LUX8 は高みの一品 になったのであります。

D-LUX8のデザインはQ3とそっくりなので話題を呼びました。
洗練されたフォルムと比類なき美しさが魅力なLEICA機です。


さて、D-LUX8のセンサーは4/3型で、通常のコンデジの1/2.3型より大きなセンサーを積んでます。スペックはm4/3機そのものですが、レンズ一体型のコンデジなので、公式マイクロフォーサーズとしては扱われていません。

初めてライカを手にした高揚感と、DーLUX8を使い始めた操作感について書いてみます。ダイヤルやボタンなどの配置が良く、シンプルで洗練されている。「さすがLEICAだ」と感心しました。

(既に、LEICA Q3をお使いの方には当たり前でしょうが…)

普段は、絞りもシャッタースピードもAutoにして持ち歩くようにしてます。つまり、咄嗟とっさのシャッターチャンスのためにプログラム(P)モードにしてます。そして余裕があれば被写体に応じて、絞り優先(A)モード又は、シャッタースピード優先(S)モードに切り替えることができます。即座にモード切り替えできるようPモードにしている訳です。これぞスナップ写真のためのコンデジ設定ですね。さすが合理的でシンプルなLEICAだと感心しました。

絞りリングは Auto からリングを回せば最初にF1.7から始まる。これが良い。

Aモードに切り替えたい時は、暗いかボケを出したいときだ。だから、絞りがF16からではなくF1.7から始まるのが良い。

シャッタースピードがダイアルなのも良い。Autoからダイアルを右回しにして1/2000から始まる。1/2000と言うと水しぶきを止めたり、強風の中で揺れる花を止めたり、鳥の羽ばたきを止めるシャッタースピードです。そこから始まるのがまた良い。

サムホイールは初期設定で、ダイアルを回して露出補正できるようになってる。ボタンを押せばISO感度設定になるが、
露出補正の設定はそのままに、ボタン🔘を押したときはホワイトバランス設定にカスタマイズした。こうした方が良い。

LUMIX G9 MK2 の右肩部

ホワイトバランス(WB)、ISO、露出補正など頻繁に使う設定は、LUMIX G9では特別にボタン配置してあります。
D-LUX8もサムホイールで、使い安い設定にすることができて、良いと思います。

さらに撮影時と再生時で機能が変わり、再生時では★マークをつける機能となり★マーク1っ個に設定され、シンプルでこれで良いと思います。

function🔘ボタンも撮影時と再生時とで機能が変わる。そして、それぞれカスタマイズ設定することができます。

左の function1🔘ボタンは初期設定ではEVFモニター切り替え設定になっていたが、これを STD、VIV、NAT、BWNAT、BWHCなどのフィルムモード切り替え設定にした。
▶でフィルムモードを選択できるが、ボタンを押してモードを選ぶことができ、この方が使い易くて良い。
再生モードでは全コマ削除に設定した。

右の function2🔘ボタンは初期設定では動画へ切り替え設定になってたが、動画を頻繁に撮らないので撮影モード(シーン)に設定用にした。
これも▶でフィルムモードを選択できるが、ボタンを押してホワイト・バランスを選ぶことができて良い。
再生モードでは1コマ削除に変わる。これが使いやすくて良い。

センターボタンは撮影時、情報画面切替になっている。これもfunction🔘ボタン同様カスタマイズできるが、初期設定のまま使ってる。

ファインダー(電子ビューファインダーEVF)は、236万ドット OLED(有機EL)で見易い。倍率0.74はコンデジにしては見やすくて良い。

フラッシュユニットが別付属している。

初期設定では後幕シンクロになってる。シャッター幕が閉じる直前にストロボが発光するので、動きのある被写体撮影では、動きの軌跡が自然になる。先幕にも変更できるが初期設定のままで良いと思う。

センサーはマイクロフォーサーズ(m4/3)ですが、モニターはアスペクト比 3:2です。これまでm4/3でもアスペクト比 3:2で撮ってきたので、モニターも気に入っている。

最後に、DC Vario Sumilux f1.7-2.8/ 10.9-34mm ASPH.(24-75mm [35mm判換算])の明るいズームが良い。

マイクロフォーサーズ(m4/3)のコンデジの極み、LEICA D-LUX8の機能美と高揚感にひたっています。

ライカは単に写真を撮るための道具ではない。ライカを持つ魅力に取り憑かれてしまいました。ライカは精密な美術品だわ。


参考:

「まさか」の後継機、パナソニック「LX100 II」の実力は?

Leica D-LUX8 実写レビュー × 鈴木 誠|Leicaらしさを高純度に味わえるカメラ