コロナの終息とは…

コロナの終息について考えてみました。まず何を以ってパンデミックと判断するのか?  逆に、そのパンデミックの出口を考えてみましょう。

パンデミックはいつかは終わる」と思ってから、もう1年以上も経ってしまいました。
皆んなが「終わった」「終わったことにしようと」思った時を、コロナが終息したことになるのだと、いま思っています。

コロナ禍の初期は感染者が1人出ただけでも大騒ぎになったものです。毎日がニュースになってました。

新たな感染者数の推移(東京都 全期間)

ところが、最近では東京の感染者は減り始めて、5千人から3千人、更に2千人に減ってきても誰もが驚かなくなってしまった。
そして身近にコロナ感染者を見ても驚かなくなったし、コロナもインフルエンザ並みに扱われるような気分になってきました。

当初は人の命を守るためにコストを度外視してきましたが、これからはコストと負担のバランスを考えなくてはなりません。穏やかにもとに戻っていくことが大切でしょう。

行動制限を緩和したり、解除したりして、社会経済活動を正常化しなければなりません。そのように多くの人が思うようになりました。これこそがコロナ終息のときだと思うようになりました。

コロナ終息は不明瞭かも知れませんが、きっとこの夏から秋にかけて顕著になってくると思います。そうあって欲しい。

いま衆目を集めているロシアのウクライナ侵略戦争も、始めるときより、終結するときが実は難しいのです。それと同じです。

コロナにれることが解決ではありません。ワクチンの他に治療薬が開発され、それで安心感が広がった時が終息なのでしょう。

コロナ禍の終息についても色んな意見や見解があります。
それを包摂したなかで、パンデミックの耐性を得た新時代が拓かれえるのでしょう。
これがコロナ禍の出口だと思います。

さて、公園や屋外でマスクを外す勇気を出しましょうか!

 

 

釧路と釧路湿原

枯野の釧路湿原は観光には時期外れで、電車もバスも良い接続がありません。釧路駅の観光案内のアドバイスで、4月18日には釧路湿原西側の釧路市湿原展望台と温根内を見学し、19日には東側の塘路湖へ行ってきました。

釧路市湿原展望台の施設は古くなっていて、観光で来るにしても面白くない。

この展望台から一周2.5Kmの林内歩道が続いているが、小鳥も少なかった。

この展望台より更に北に、温根内ビジターセンターがあります。

環境省が管轄する施設で、清潔で綺麗な新しい施設だった。

木道もよく整備されていました。バリアフリー木道です。

温根内ビジターセンターの方が仰ってたが、この木道整備には湿地を傷つけないように、凍結する冬季間に整備するそうです。ご苦労が伺われます。

翌日、4月19日は、湿原の東側にある塘路湖付近を散策してきました。

塘路までJRで行きました。

駅を降りて暫く行くとキツツキのドラミングが聞こえてきました。辺りを探してみるとすぐ近くの鉄道の電信柱をアカゲラが突っついているのです。

こんなところでアカゲラを見るなんて、国立自然公園の真っ只中でなければあり得ない光景です。

塘路湖全体を見渡せるサルボ展望台に登ってみた。標高72mだったが登山の雰囲気を味わえました。夏なら景色にもっと感動したと思うが枯野で残念。自然の中の展望台は気持ち良く最高です。

登山口でまたエゾシカに出会った。

シカだから良いけどクマがでたら堪らない。

北海道観光の自然は一流です。

遠方にタンチョウ、近くの川柳にコジュウカラ、ウソ、アトリなどを見ながら一日を過ごしました。残念ながらシマエナガを見たが、写真に収めることはできなかった。

北海道のこの時期は東京なら2月頃に当たるでしょうか?

この時期しか見られないエゾエンゴサクの花を見ることができました。

塘路でたった1軒しかない食堂(ラーメン店)で昼食をとり、JRの塘路駅内の喫茶室で、時間を潰して午後3時に釧路へ帰った。

 

春国岱でバードウォッチ

春国岱の読み方が分からなかったが、これもアイヌ語でスンク・ニッ・タイから来てるそうでシュンクニタイと読みます。意味はエゾマツの林だそうで、アカエゾマツが群生する珍しい所です。

ラムサール湿地に登録された長さ8kmの砂州で、野鳥がワタリの休憩地としている所です。この4月中下旬運が良ければミヤコドリが見られると聞いて4月15日~17日に行ってきました。

4月15日午後4時頃に到着し早速カメラを持って出掛けてみた。

はるか向こうの木道手前にいる鳥はミヤコドリらしいことが分かった。にげられないよう、ゆっくり近づこうとしたが、辺りのオナガガモが一斉に慌てて飛びったってしまった。

双眼鏡を外したら、すぐ脇をキタキツネが魚をくわえてゆっくり歩いてたのです。なんだキタキツネのせいだったのか?

否、キタキツネが来たからカモが慌てて一斉に飛立った訳じゃなかった。

反対側にオジロワシがテトラポットの上に舞い降りてたのです。これに驚いてカモが一斉に飛び立ち、つられてミヤコドリも何処かへ行ってしまった。

はじめてオジロワシを見ました。隣のカラスの大きさと比較すれば、その大きさが分かります。実に大きく風格があります。

初日はミヤコドリを確認するだけで満足し、バードウォッチを終え宿に帰りました。


さて、翌日の朝は天気が崩れ、午前中は気温1℃で強風が吹き荒れました。ダウンジャケットのフードをすっぽり被っても、寒くて手袋した手もかじかむほどでした。
でもせっかく来たんだし、10時の干潮時に合わせて、昨日の場所の先500mまで強風のなかを出かけました。

だがミヤコドリは見かけません。がっかりして帰りかけたとき、僅か2羽のミヤコドリを見つけました。
どこからともなくミヤコドリが集まり、近くまで来ていました。連写で写真を撮りまくりました。そのころ風が止み始めました。風が収まるまで鳥は何処かへ退避していたのかも知れません。

幸運にもミヤコドリを近くで見て写真を撮ることもできました。
他に、ここ春国岱ではオオハクチョウが沢山飛来します。飛翔する姿や餌をついばむ白鳥を見ることができ、たくさん写真を撮ることもできました。コハクチョウは居ませんでした。

タンチョウもまだ抱卵期の直前で、あちらこちで見かけました。

カモはオナガガモ、ヒドリガモが大群をなしています。その中にウミアイサが混じっていました。これも初めて見ました。

カモメも多く見られました。数も種類も多く他では見られないようなオオセグロカモメ、シロカモメ、ズグロカモメも普通に見られました。


春国岱のネイチャーセンターとその周辺の森を散策しました。

林内では早春に咲くミズバショウ、ザゼンソウ、フクジュソウが見られました。

春国岱のアカエゾマツ林への木道が崩れていたため、近くまでいけませんでしたが遠くからでも楽しめました。また夕日が素晴らしかった。

野鳥の宝庫、春国岱はバードウォッチャーなら一度は訪れたい、道内屈指の名所です。
バードウォッチャーなら、何が観られるか時期を決め、潮位を計算し、準備して出掛けてみてください。一日いても見飽きない体験をすることでしょう。

根室市ワイズユースの会が作った「春国岱の原生野鳥公園ガイド」に乗っていた4月の野鳥はこんなふうに分類されてました。
これってうまい分類(表現)ですよね。気に入りました。

  1. ぜったい見られる(と思う)
    ヒドリガモ、オナガガモ、ウミネコ、シロガモ、オオセグロガモ
  2. ちょっと気をつければ見られる
    オオハクチョウ、ウミアイサ、タンチョウ、ミヤコドリ、オジロワシ、アカゲラ、ハシブトガラ、シジュウカラ、ゴジュウカラ
  3. よぉーく気をつければ見られる
    マガモ、ハシビロガモ、コガモ、スズガモ、クロガモ、ホオジロガモ、アオサギ、ワシガモ、オオワシ、コゲラ、ヒガラ、ヒバリ、ミソサザイ、カワラヒワ、ベニマシコ
  4. めったに見られない
    ヨシガモ、ビロードキンクロ、カワアイサ、ダイサギ、メダイチドリ、オオジシギ、オオソリハシシギ、ハウロクシギ、キョウジョシギ、ユリカモメ、カモメ、セグロカモメ、オオアカゲラ、カケス、キクイタダキ、ショウドウツバメ、ウグイス、エナガ、エゾムシクイ、キバシリ、アカハラ、ツグミ、ルリビタキ、ノビタキ、アトリ、マヒワ、ベニヒワ、ウソ、シメ、アオジ、オオジュリン

この中で「1.せったい見られる。」と「2.ちょっと気をつければ見られる」は、全て見ることができました。

「4.めったに見られない」の中でもキバシリを見たときは、感激でした。

写真にとっても、どこに居るか分からないですね。(右上です)

バードウォッチャーになりきってますね。小生の道楽も講じてきました。

さて、時期を変えてまた訪れたいと思って、帰路につきました。

 

北海道は道東の旅

今回もレスパイト旅行で、釧路から根室、更に納沙布岬まで足を延ばしました。バードウォッチングが目的だから春国岱で2泊、根室で1泊、そして釧路で2泊し釧路湿原を見てきました。

春国岱と釧路湿原でのバードウォッチングについては別に投稿しますが、道東の旅で想ったことを少々書きめておきます。
帰宅後あっという間に1週間たってしまいましたが、記念のため旅日記の投稿です。

道東は寒い。出発した4月15日(金)早朝は、東京の気温11℃でしたが、目指す釧路の気温は2℃、にわか雪が降っているようです。



果たして釧路空港に着いてみると、少し気温は上り4.6℃でした。北海道はまだ東京の真冬なみの寒さです。

初めて見る釧路駅。何だか活気がなくさびれています。

東京の人混み雑踏からカルチャーショックを受けました。

これこそが、旅の面白いところでしょう。早速、昼食を何にしようか?事前に調べておいた駅近くの和商市場へ行ってみた。

やはり花咲カニが名物だった。そう釧路は漁業の町、サンマ漁で有名でした。

勝手丼を食べてみました。丼にご飯を頂いて、ご飯の上に刺し身などを勝手に載せて、お会計をします。

釧路から根室まではバスを使いました。実は、目指す春国岱はこのバス路線で途中下車した所にあるのです。何もない原野をバスで移動します。それも冬景色の殺風景な景色が広がっています。


春国岱近くのバス停「東梅とうばい」に着きました。東京の我が家から民宿までドア・ツー・ドアで約8時間。気温もさることながら景色も大違い。このカルチャーショックが旅の面白さでしょう。

5泊6日の一人旅、目的がなければ行きゃしません。バードウォッチが趣味になり一人旅もイソイソと出かけるようになりました。いい趣味を持ったと独りごちています。

春国岱のバス停「東梅」からJR根室駅までは、路線バスで15分程度です。根室駅に着いて驚いた。想像以上にさびれた駅でした。

この街からさらに東端の納沙布岬まで行くことにしました。納沙布岬まで路線バスで約45分です。この路線バスも日に何本もありませんから、計画して乗り遅れないようにしないと大変。

ここは北緯43度23分、東経145℃48分の東端です。貝殻島灯台まで3.7km、そこから先はロシアに占領された北方四島なのです。

ロシアはいまウクライナで戦争をしています。この極東でも緊張が走ります。最近、自衛隊機がスクランブルをかけたそうです。

さて、根室で一泊したあと釧路へ向かいました。

JR根室駅の先はありません。終着駅( Terminal )です。

ここからJR釧路駅へ戻りました。途中の厚床、厚岸を通って海岸に沿って移動です。

根室から釧路までの道東は、北海道の中でも寒いところです。
オホーツクからの寒流が太平洋側へ回り込んで寒い気候を生んでいるそうです。笹が生える痩地と湿原が続く地域なのです。

昔ロシアのゴローニン事件でカムチャツカに連行された高田屋嘉兵衛が、国後や択捉へ渡ったのはこの海からです。

最近ではサンマ漁も激減し、人口は毎年流出して過疎化が進んでいるようです。

サンマ漁で賑わいを見せたであろう釧路港も、今はどこか寂しそうな街でした。

人が集まり人口が増えるわずらわしさからから比べれば、人が去り人口が減るサビしさはなんとも言えないみじめな感覚になります。

旅行者でさえそんなことを肌で感じるんだから、ここに生活する人にとっては如何ばかりなことでしょう。
否、通りすがりの旅行者が勝手なことを言ってはいけません。何も知らずに勝手なことを言ってはいけませんね。

釧路駅前で「風雪の樹」と銘打たれた一本の老木を見つけました。

風雪に耐え、風雪を乗り越えたからこそ、歴史を拓いた「釧路」の発展があったのでしょう。

人生も風雪を乗り越えたところに人生讃歌が輝くようなものです。

道東にエールを送ろう。輝く未来を祈ろう。しばし、この樹をじっと眺めて、帰路につきました。

 

勝海舟を偲ぶ

今日4月4日は、江戸無血開城えどむけつかいじょうの記念日です。そう慶応4年(1868) 4月4日、西郷吉之助(官軍大総督)が初めて江戸城に入場しました。江戸城が新政府へ引渡された無血開城の日なのであります。

150年以上も遠い昔のことですが、三百余年続いた徳川幕府は、血生臭い戦いを避け、無血で政権交代を叶えたのです。
勝海舟など幕臣に人物がいたから為し得たもので、今も日本が誇る歴史だと思っています。

穏やかな洗足池に桜とキンクロハジロ (2022.4.1)

無血開城の立て役者である勝が西郷と開城談判したの所が、池上本門寺です。勝海舟がその近くの洗足池あたりを歩いたのは桜の季節にだったと思う。

そんな想いで桜の季節に洗足池を訪れてみました。

のちに、勝海舟はここ洗足池に隠居を構えました。今は大田区の勝海舟記念館が建てられています。
勝海舟の図書を収集した清明文庫が有形文化財となって大田区の所有となり、リニューアル(2019.9.7)されています。

近くには勝海舟と妻”おたみ”の墓があり、いまも誰かが供物と供えていました。
勝海舟(1823~1899)は、ここで享年77歳で亡くなるまで洗足池あたりに居ました。

現役の頃は、赤坂の元氷川に住んでいました。安政6年(1859)から明治元年(1868)の足掛け10年住んでました。
ここに坂本龍馬や勤王の志士が出入りし、江戸城の無血開城を成し遂げるまで、忙しい日々を送っていました。

元氷川の旧邸(2021.11.19))
東京赤坂の元氷川にあった勝海舟の旧邸の今 (2021.11.19))

長崎で海軍伝習所を指揮したり、咸臨丸で米国に渡ったり、兵庫で海軍操練所を営んだり、江戸開城に苦心したりした頃は、この元氷川の邸が舞台でした。

今では旧邸の跡地にビルが建てられて、1階はBARになってるようです。周りも昔を偲ぶものはありません。

勝海舟の余生は長かった。江戸開城以降は余生だったと云える。

明治維新後、新政府の諸役に就くが、腰掛けのように短かった。

僅か70万石となった徳川の藩地駿府へ下ったが、再び東京へ戻った。

明治24年(1891)に洗足池の別荘「洗足軒」に隠居し落ち着いた。
亡くなるまで約8年間ここで過ごしたようです。

近代日本の黎明期、激動の時代を生きた薩長の群像の中にあってひとり江戸っ子気質かたぎの勝海舟の存在は一際ひときわ面白く思った訳です。