自分自身の発迹顕本について(追稿)

数年前の投稿した「自分自身の発迹顕本について」の追稿です。


発迹顕本とはハット気が付き、何か「一皮めくれる」ように、パッと人生が変わるのかと思っていましたが、違います。
宿命転換を果たし、山のいただきに上り詰めたように、人生が変わるのかと思っていましたが、それも違います。

自分自身の発迹顕本とは、題目に挑戦し、教学や御書を学び、
功徳だと喜ぶ学会員に会って「素晴らしい」と拍手し、
苦労している学会員に「一緒に題目あげよう」と励まし、
学会批判されても「学会は素晴らしいよ」と心揺れることなく、聖教新聞はいいこと書いてあるよと勧めたり…
こんな創価学会員の日常の中にあるように思うのです。

2015.8.28 聖教新聞

他でもない信心は日常のなかの大確信です。

合言葉は「前進!」

仏法上の視座から見ることが「自分自身の発迹顕本」となるのではあるまいか?

 


以上が当時の結論でした。いま改めて追稿を書こうと思います。

何のために生きるのか?何のために生まれてきたのか?と問えば 、若い時「衆生所遊楽」だと答えたでしょう。

いまよわいを重ねて「題目をあげる」ことだと簡単明瞭に答えます。
題目は絶対です。題目は正義です。題目は勝利です。題目は利他です。題目は平和です。題目は人生です。題目は全てです。

これに気づける年齢になりました。題目をあげるために生まれてきたのです。人の生死をみてきて解るようになりました。

 

9月初旬の野鳥公園

コロナ禍で今年は野鳥公園に出かける機会がめっきり減ってしまいました。9月11日(土)久々に野鳥公園に行ってみました。

キンモクセイが咲き始め良い香りが漂ってました

キンモクセイが咲き始め、園内は良い香りが漂ってました。少し早いような気もしますが、もうコガモが来ていました。

コガモが7羽ほど来ていました。

珍しくカワセミ(翡翠)を近くで見られました。

前浜デッキに行ったら、イソシギとササゴイが来ていました。

最後に、ネイチャーセンター近くで、またカワセミを見つけました。水辺の宝石と言われるカワセミは人気です。

こちらのカワセミはどうやらオス(♂)のようです

来月初めには田んぼの稲刈りも始まるでしょう。イヌキクイモが満開でした。

 

 

ヒタキの秋

今年はコロナ禍で出かける機会もすっかり減ってしまいました。その上、東京では9月に入って長雨が続き、青空を見ることがありませんでした。

昨日(9/10)やっと朝から青空がのぞいたので、近くの公園へカメラを持って出かけてみると、案の定ヒタキ類が来ていました。

写真のヒタキはコサメビタキです。ミズキやエノキの枝の中をすばしっこく飛び回ってました。久々の天気をよろこんでるようです。

9月から10月初め、ヒタキ類は北から南へ移動するワタリの季節を迎えます。元気に公園の樹上を飛び回って木の実や小さな虫を捕食します。
ヒタキは英語でFlycatcherといいます。ツバメと同じように小さな虫を空中で捕食する名人なのです。

コサメビタキより少し大きいエゾビタキも木の頂上に停まっていました。

コサメビタキより一回り大きい、エゾビタキ

その他、シジュウカラ、エナガ、コゲラなど、久々に晴れた青空のもと賑やかでした。でも囀りは聞こえませんでした。
また、キビタキは来ていなかったようです。

ヒタキのワタリのわずかな季節、この時期バードウォッチャーにとっては見逃せない楽しみの一つです。

 

晩夏の季節

夏も終わりとなると、草木は猛って葉は虫に食われて、艶っぽさは無くなってしまいます。でもそんな中ですが花を咲かせている草木もあるのです。

マクロレンズで撮れば、虫食いを避けて局部で何とかないます。大した写真ではありませんが最近の作品です。

RAW現像はAdobe Lightroom Classicを利用するようになりました。

しばらくRAW現像の勉強をしようと思っています。

日本は小国寡民で良いのでは?

実は、すばらしい日本になったと思っている。劇作家の山崎正和(故人)は「日本は小国寡民を目指せ」と言っていた。

小国寡民。
使有什伯之器而不用。 使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗、隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往来。     “出展:「老子」(老子道徳経)独立第八十”

小国寡民しょうこくかみん
什伯じゅうはくの器有れども用ゐざらしむ。
民をして死を重んじんて遠くうつらざらしめば、舟輿しゅうよ有りといへども、之に乗る所無く、甲兵こうへい有りといえも、之をつらぬる所無ところなし。
民をしてなわを結びて之を用ゐ、其の食をうましとし、其の服をうつくしとし、其のきょやすんじ、其のぞくたのしましめば、隣国相望あいのぞみ、鶏犬けいけんの声相聞あいきこゆるも、たみ老死に至るまで、あい往来せざらん。

 

こんな小さな国が、経済(GDP)世界第3位であることが不思議。小国でも豊かで安全な国になることの方が大切だと思っている。日本より小さな国がヨーロッパには沢山あります。

まだ経済成長できると、成長神話を煽ったアベノミクスや、これに同調した日銀が、異次元の量的質的金融緩和、ゼロ金利政策などの政策で「借金に麻痺した日本」を作り上げてしまいました。
この先20、30年で返せる財政赤字ではありません。借金に依存した政府は何も問われず、コロナ禍で有耶無耶になってしまいました。でも未来への膨大な借金が消えたわけではありません。

人口減少は止まりません。明治初期6千万人程度だったのですから1億2千万人ははるかに過密なのです。
人口減少にはわびしさを感じますが、成熟な国を目ざすことだと考えれば、決して悪くありません。ただ東京首都圏に一極集中するのが問題です。

日本でもコロナ禍に見舞われたのは、都市の過密による弊害かも知れません。今や適度な空間的余裕がないと、健全な生活が成り立たなくなって来ています。

また日本は憲法で戦争を放棄を謳い専守防衛を国是としました。徴兵制もありません。非核三原則を貫き核(原爆)はありません。戦争を手段としない文化を育ててきました。

ジェンダー・ギャップGender Gapに、社会は敏感になっています。「男らしさ」や「女らしさ」を求めるのではなく「自分らしさ」を求める社会に成熟してきました。

女性の平等へ努力する中で、さまざまな障壁を乗り越えなくてはなりません。これからその作業をやる時がきています。従来は家庭内で完結しようとしてきた育児も、介護も、社会化してきました。

女性の権利を大切にしなければ”人間の権利” を大切にする社会を築けないことに気づきはじめたのです。育児や介護などのケアが、公的な責任を担った社会を築くために。

コロナ禍は「生命の世紀」の最初の試練となりました。新型コロナとmRNAワクチンは、人類の新しい戦いとして象徴的なものです。何より大切なものは生命いのちなのです。

あらゆる分野でパラダイム・シフトが起こっています。

米国や中国などの大国が幅を利かすような世界は終わらせなければなりません。

日本は「小国寡民」を貫く使命も資格も持っていると思います。小国寡民となっても日本は世界に対する役割を持っていることは少なくない筈です。

帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か(出典:立正安国論 御書P31)

この精神が小国寡民の日本の精神とならんことを祈って、この投稿を終わります。