自然とのお付き合いⅡ

自然とのお付き合いは、モリパパmoripapaのライフワークです。北海道に住むことになった理由の一つでもあります。老後の趣味で始めたカメラも、自然とのお付き合いとして始めたバードウォチングの副産物なのです。

人から「なぜ北海道に移住する気になったの?」とよく聞かれれました。それは「自然とのお付き合い」を生活に取り入れたかったからです。バードウォッチングを始めてからすでに6年が経ちました。でも初心の頃の気持ちは、今も変わっていません。

自然との触れ合いコミュニケーションをどう保全するかというテーマはこれから重要な課題です。持続可能な自然を存続させるために何か係わり方が出来ればありがたいと思っています。

うらやましい人、牧野富太郎の他に、うらやましい人がもう一人います。それは「どろ亀さん」こと高橋延清さんです。

「どろ亀さん、最後のはなし」を読んでみた。2003年12月出版で、どろ亀さん亡くなった(2002年1月没)のちに出版されました。

どろ亀さんは「来世、生まれ変わるならトドマツさんになりたい」という言葉を残して亡くなったそうです。

お会いしたことはないが、どこか飄々ひょうひょうとしたところがあります。どろ亀さんの語り口で、散文的な表現をしてみると…

森はほどよく混じりあっている。森をいつくしんでごらん。
子供たち「ウンチ」の話をすることにしたどろ亀さんは、二度童子(わらし)になった。
決して相手をおどろかせない。まわり道でいいからゆっくり楽しんで、得意種目をやればいいのだから。
素朴であるがままに、持ち味を生かせばいい。
自然を破壊するのは一瞬、森を育てていくには長い時間がかかるんだ。森が死ねば、人も死ぬんだ。(ドイツの諺)
樹を植えると愛着がわくだろ。その人の’緑のふるさと’ができるんだ。

モリパパは?と言うと、北海道に来て[オコジョの会]に入り、里山や野山の散策を楽しんでるだけです。こんな鳥に出会えたとか、こんな写真が撮れたと嬉しがってるだけなんです。
また健康のためだと言って、近くの公園で野鳥の写真を撮り散策している程度です。それでも北海道の自然を感じながら歩くだけで満足しています。

今さら有名になるとか、何かで受賞するとか、考え無くてもいいのです。里山や公園を歩いてるだけで、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれません。

先日、思いがけずミコアイサにえました。北海道で始めてみたミコアイサに心がうきうきしてきました。自然を愛する人には、自然がプレゼントをくれます。

ミコアイサ♂Smew♂撮影日2024.3.10 場所 石狩 茨戸川にて パンダガモとして人気が高いミコアイサ(巫女秋沙)です。

またその翌日、思いがけずタンチョウにえました。長沼近くにタンチョウが3羽になったと聞いてはいましたが、逢えるとは思いませんでした。その日は心から嬉しくて止まりませんでした。

タンチョウ Red-crowned Crane 撮影日 2024.3.11 場所 千歳市 舞鶴貯水池近く 長沼の舞鶴貯水池にいるタンチョウは、昨年雛がかえって3羽になった。真っ白な雪原の中で3羽が遊んでいた。幼鳥が飛び立つのを親鳥(2羽)が見守っている。

自然を愛する人には、自然の方からプレゼントがあります。
自然とのお付き合いって、自然からも歓迎され幸せなことです。

 

恵庭の冬の探鳥散策(その2)

前回「恵庭の冬の探鳥散策」では1月20日頃までの様子でしたが、北海道の冬は長く3月上旬まで氷点下の真冬日まふゆびが続きます。

今回は、1月20日以降3月上旬までの探鳥散策の続編です。

千歳のサーモンパークで見た白鳥は、雪のように純白でした。

ほとんどの白鳥は宮城県伊豆沼や蕪栗沼あたりまで南下して越冬します。中には北海道に留まる白鳥もいます。そんな白鳥が千歳川にいました。清流の白鳥は雪のように純白で印象的でした。

同じ千歳川にホオジロガモのペアがいました。このカモは潜水して魚を獲っていました。氷点に近い川に何回も潜ってました。

千歳川の上流にカワアイサが元気に潜水して餌(小魚)を獲っていました。ここも氷点に近い川の中でも元気に泳ぎ回ってます。

氷結し雪に覆われてしまうとえさを見つけ捕ることもできません。凍らない川は餌を捕るのに恰好かっこうの場所で、どんな冷たく寒くても水鳥にとって貴重な場所なのです。

茂漁川もいざりがわでもカワアイサのカップルが元気で泳いでえさ取りに夢中。寒いときに恋の季節を迎えます。

茂漁川にて、カワアイサのカップル

恵庭市の恵み野中央公園にある池には流れがあり、全面凍結しません。なのでカモが集まって一冬この池で過ごしています。

恵み野中央公園の池で元気に泳ぐキンクロハジロ

恵み野中央公園の池にはカルガモ、ヒドリガモ、コガモ、キンクロハジロ、オナガガモなどが、冬の風景に彩りを添えています。

東京で見るキンクロハジロより冠羽が長く、何処か違うのです。キンクロハジロの動きを動画で見てください。

更に、コガモの動画も撮ってみました。可愛いコガモです。

北海道の冬は長い。恵庭は札幌より2℃ほど寒い。でも3月中旬になれば雪が溶け始め一気に春がきます。その時まであと一週間。

 

春の訪れとともに冬鳥は北に帰ります。来年まで「さようなら」

 

 

初めての然別湖コタン

今年は札幌の雪まつりが終わった途端、暖かい日が2,3日続いたので、支笏湖ブルーで有名な氷濤まつりも早々に中止となってしまった。でも、十勝の然別湖は大丈夫なようで、初めて然別湖コタンに行って楽しんできました。

然別湖は帯広の北の山岳地にある(星印)

同年代の方に誘われ急に話がまとまって4人で十勝然別コタンへ行くことになりました。

然別湖しかりべつこは大雪山国立公園の自然湖で標高880mと道内では最も高く、湖の最深部は約100mと比較的浅い湖です。

2024年は1月下旬より3月上旬まで開催される

真冬、湖面は一面に結氷し、60cm~100cmの厚さの氷に覆われるそうです。

しかりべつ湖コタンは氷上に作られた、アイスバー氷上露天風呂が有名なところだそうです。

然別湖 一面に白い雪に覆われ、その下は分厚い氷(60cm~100cm)なのです。

 

アイスバーを訪れてみた。バブル(泡)が入った氷のテーブルや透明な氷の窓、氷のアイスバーなど、見るだけでも楽しい。

氷のグラスは素敵なグラスですがお持ち帰りできません。(残念)

そして然別湖コタンの氷上に作られた露天温泉があるのです。

外気温ー5℃です。男女混浴で、水着の着替えも大変です。

血圧のことをすっかり忘れて、氷上の露天風呂に飛び込んだ。芯まで温まりました。

温かいお風呂の背景は、-5℃です。こんな露天風呂で有名になった然別湖コタンです。

旅館もありますが、今 営業しているホテルは1軒だけとか。

遠景はホテル。右が氷上露天風呂の入り口、手前に足湯への通路口があります。

その他スノーモービルやアイスロッジなどがあります。楽しい然別湖コタンでの ひとときを過ごさせて頂きました。

でも、然別湖への往復の道は大変です。恵庭から往復366km、車で高速道路を走って十勝清水ICで降り、更に一般道を通って標高880mの然別湖まで雪道を登ります。

片道3時間、往復6時間をお一人で運転されました。その元気に敬服しました。高齢だからと諦めたらアカンですね。70代でも元気な方々とワイワイ楽しく旅行させて頂きました。
ますます元気を頂き本当に楽しかった。 私、来月から後期高齢者になりますが、そんなこと意に介さないで今まで通り元気にいこうと思ってます。

運転くださった上に元気までもらい、感謝で言葉もありません。

 

真冬の小樽観光

今年(2024年)2月9~10日、真冬の小樽に行ってきた。初めての 小樽の旅は2022年11月秋だった、今回は真冬の小樽観光です。

Otaru Beerにて、ツララまで昔懐かしいように目に映る。

前回来たOtaru Beerに入って昼間っからアルトビールを飲んだ。観光でなきゃできない気楽さで、後ろめたさもなく一杯やった。

運河の明かりを背にし、照り返しの明かりに包まれている。
Otaru Beerにて、室内の灯りも工夫してる。

お店も工夫を凝らしている。ランプまでアンティーク風だ。

こりゃドイツのビアホフに居るようだ。

 

小樽運河はまだ明るい。大勢の観光客が運河沿いに歩いていた。

かつて日本銀行支店は札幌ではなく小樽にあった。金満都市であった小樽を象徴するかのような旧日本銀行支店です。

旧日本銀行支店 ちょっと雪を頂いて小都市ながら、かつて小樽が栄えた象徴です。

かつてこの天井を見上げた人々はどんな思いを馳せたことか?
天井は高い。天井の回廊から何を見張って、何を思っていたのだろう。
このカウンター越しに、どんな取引や会話が行われたんだろう?

旧日本銀行支店の向かいに、旧北海道銀行本店があった。いまは小樽バイン(ワイン)となっている。

小樽バインの店内はアンティーク調に整えてあった。

小樽バインでワインを一杯いただく、いい雰囲気に酔いしれた。

床だって、なかなか凝っている。

窓越しに見ると、まだ外は明るい。

もう一軒、旧三井銀行の小樽支店を覗いてみた。

屋根の模様まで、凝っている。
今は博物館になっているが、当時の威光が忍ばれる。
今は博物館になっているが、当時の威光が忍ばれる。

小樽の旧銀行支店は今博物館となっている。昔の小樽です。さてホテルに帰ることにしよう。ホテルNordは小樽では老舗らしい。

ホテルNordの表玄関。小樽運河に面している。

ホテルNordの前には小樽運河のナイトクルーズ乗船所があって、その船に乗ってみた。

そして翌朝ホテルから、倉庫街の向こうに朝日がきれいだった。

ホテルNordの展望室から見た朝日。僅かながら光条が見られた。
ロビーにまで雪あかりが差し込む。ホテルNordに別れを告げる。

翌日はオルゴール館へ足を運んだ。オルゴルール館はキラキラの世界だった。

見て回るだけでも楽しい。これが観光地の所以ゆえんでしょう。

そして観光地 小樽を後にしました。深いことを考えずに歩くのが観光です。健康で歩けなければ観光は楽しくありません。

歩けるうちに観光でも何でも旅行を楽しもうと思っています。

 

親しかった友人の追悼に思う

昨年(2023年)年末、親しかった友人が亡くなったとの訃報を受けた。30代だった頃からの旧友だった。

大牟田田隈川にて

友人は福岡大牟田在住で、すぐに北海道から葬儀には出られなかった。四十九日前に友人宅を訪問した。彼は私より3才若かった。

彼は71才で亡くなった。身につまされ、哀しさがこみ上げてきた。言葉に出せなかったが、少々早すぎる死だと思った。

ふと、新聞の御くやみ欄を見てみると70代で亡くなる人は多い。自分も今年75才を迎え、いよいよ後期高齢者に入った。これまで大きな病気にかかったことがなく、健康でいることに感謝してる。

ただ、運命の日が突然に来ることもあるかも知れないと思うようになった。お一人様であるから尚更なおさらである。だから成人後見人、遺言信託、エンディング・ノートなどの準備が要るように思えた。

特にマネーに関することは信託銀行にはプランが沢山ある。

他人事ひとごとではなく自身の身に当たって考えておく必要に迫られてきた。

突然に亡くなることも考えられるし、認知になるかも知れない。自身で心配できるうちに、判断できるうちに、準備しておかなくてはならない。

人の生命いのちははかり難いが、あっけなく人生は終わるように思える。だから、生きていることは素晴らしい。ふと童謡を思い出した。

「手のひらを太陽に」

ほくらはみんな生きている。
生きているから歌うんだ。
ぼくらはみんな生きている。
生きているから哀しんだ。
手のひらに太陽をすかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮

親しかった友人が突然亡くなり、自分も相応の年になって友人の追悼に思うこと少なからず、といた日々であります。