初めて佐渡へ行ってきた。地元では佐渡ヶ島と言わず佐渡というそうです。つまり一つの世界になっていて、高い峰がある北が大佐渡と南の低い山の方が小佐渡、内に広がるのが国中平野です。

日蓮大聖人縁の地
佐渡といえば、最初に日蓮大聖人の佐渡流罪を思い起こします。
竜の口の法難のあと流罪された地が佐渡であります。
御書は佐前と佐後を意識して読みなさいと言われたことがある。つまり発迹顕本(迹を発いて本を顕す)の前後では違うそうです。
大聖人が佐渡に渡ったのは1271年(鎌倉時代)。今から754年前のことです。今の佐渡に大聖人の面影など何処にもないと思って、せめて山や空などの景色だけでも見たいと訪れた。
フェリーで両津港に入り加茂湖ほとりの旅館に泊まった。

この風景は日蓮大聖人が見た風景と同じだろうと思って眺めた。大聖人は11月1日に佐渡に渡ったから同じ時期だったはづです。
御赦免になり1274年3月に佐渡を離れるまで2年5ヶ月滞在されています。この間、佐渡で重要な御書「開目抄」「観心本尊抄」が著されています。
佐渡の地で大聖人に帰依する人が現われ、中でも阿仏房・千日尼夫妻は後に大聖人を身延に尋ねているほどに強情な信心でした。
今は、観光地になっている妙宣寺五重の塔があります。観光で来て山門を見てびっくりした。山門に「阿仏房」と掲げられていました。

御書に「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」の一節を思い出しました。
山門の横には国指定重要文化財になっている五重塔がありました。新潟県では唯一の五重塔だそうです。

この五重塔は1827年建造なので鎌倉時代には無かったものです。 宝塔を模したものが五重塔でしょうから、阿仏房の宝塔に因んで後に建造したのかも知れません。
今は通いで住職が管理されているようです。佐渡の観光に一役かっている阿仏房の宝塔でした。
島倉伊之助の記念碑
島倉伊之助こと司馬凌海は天保10年(1839年)佐渡真野町に生まれ独、英、蘭、仏、露、中の6ヶ国語に通じ語学の天才として小説家 司馬遼太郎も取り上げている。
祖父伊右エ門に連れられて佐渡を離れた。そして佐藤泰然の下で蘭学を学んだ。医師 松本良順に師事した。安政4年(1845年)長崎へ行き、医学伝習館でポンペに学んだ。4年後破門になって平戸で岡口の娘の婿となる。
祖父に連れ戻され佐渡に帰るが、間もなく江戸へ出た。いろいろ有って明治9年(1876年)愛知医学校、名古屋医科大学などに務めた。
後藤新平は伊之助の教え子に当たる。名古屋で開業するも、明治12年(1879年)40才のときに神奈川で亡くなっている。
長々と島倉伊之助のことを書いたが、せっかく佐渡に行ったので、真野小学校の校庭にあるという記念碑を見たかった。
観光ツアーなので、自由時間はなく半分諦めていた。ところが、バスツアーで真野小学校近くの尾畑酒造に立ち寄った。
酒造の方に島倉伊之助の記念碑を尋ねたが、知らないという。
別名 司馬凌海とも云うと言ったら、店舗をでたところにあると言う。早速歩いて写真を撮りに行った。それがこの写真です。
あとで尾畑酒造のWeb Siteを調べて分かったことだが、この尾畑酒造は創業1892年の老舗で、2014年に廃校を酒蔵として再生したようです。だから既に廃校になった小学校の校庭にあった記念碑が、酒造の横に残されたのかもしれません。
マニアックなお話しで(._.)。でもモリパパご当人はひとりご満悦でした。尾畑酒造の「真野鶴」を1本土産に買いました。旅行は予習が大事です。それが旅行の楽しさを倍加させてくれます。
トキの佐渡ヶ島
バードウォッチングが大好きで、ひょっとしたらトキに会えるかも知れないと思っていた。バスツアーの中でガイドさんが「トキが居ます」というので、慌てて取った写真がこれです。
撮った写真はピンボケですが、野生トキを見られただけでも大満足。稲刈りが終わった田んぼだから見通しが良い時期で良かった。

野生最後のトキは、キンと名付けられ保護センターで飼育されていましたが2003年亡くなりました。これで佐渡の野生トキ 学名 Nipponia Nippon は絶滅しました。
その後、中国から贈呈されたトキの繁殖に成功し、今では佐渡の国中平野の水田地帯でも野生トキが見られるようになりました。
トキの森公園にはガラス越しにトキを間近に見られます。
野鳥は保護しないと消えていく時代です。北海道のタンチョウも保護活動が奏功して、道東では野生のタンチョウを見かけるようになりました。
シマフクロウやオオワシなども保護活動が盛んです。そのうち北海道にもシマアオジが帰って来るようになればいいのですが…。
佐渡金山、たらい船、宿根木など
最後は楽しいアトラクション「ランタン・イベント」でした。

坐骨神経痛を患ってから5ヶ月が経とうとしている。まだ痛み止めの薬を飲んでツアー旅行に参加した。まだこれからも体を労りながら旅を愉しみたいと思っている。
















