親しかった友人の追悼に思う

昨年(2023年)年末、親しかった友人が亡くなったとの訃報を受けた。30代だった頃からの旧友だった。

大牟田田隈川にて

友人は福岡大牟田在住で、すぐに北海道から葬儀には出られなかった。四十九日前に友人宅を訪問した。彼は私より3才若かった。

彼は71才で亡くなった。身につまされ、哀しさがこみ上げてきた。言葉に出せなかったが、少々早すぎる死だと思った。

ふと、新聞の御くやみ欄を見てみると70代で亡くなる人は多い。自分も今年75才を迎え、いよいよ後期高齢者に入った。これまで大きな病気にかかったことがなく、健康でいることに感謝してる。

ただ、運命の日が突然に来ることもあるかも知れないと思うようになった。お一人様であるから尚更なおさらである。だから成人後見人、遺言信託、エンディング・ノートなどの準備が要るように思えた。

特にマネーに関することは信託銀行にはプランが沢山ある。

他人事ひとごとではなく自身の身に当たって考えておく必要に迫られてきた。

突然に亡くなることも考えられるし、認知になるかも知れない。自身で心配できるうちに、判断できるうちに、準備しておかなくてはならない。

人の生命いのちははかり難いが、あっけなく人生は終わるように思える。だから、生きていることは素晴らしい。ふと童謡を思い出した。

「手のひらを太陽に」

ほくらはみんな生きている。
生きているから歌うんだ。
ぼくらはみんな生きている。
生きているから哀しんだ。
手のひらに太陽をすかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮

親しかった友人が突然亡くなり、自分も相応の年になって友人の追悼に思うこと少なからず、といた日々であります。

 

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