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2024道新・UHB花火大会

札幌の花火大会(道新・UHB花火大会)に行って観賞した。
どのくらいの人出だったか?おそらく3万人位ではなかろうか?

北海道新聞(道新)を電子版を年間申し込みしたら、道新花火大会にカップルで招待いただいた。楽しみにして当日、恵み野を14時に出かけ、お弁当とビールを持参して花火大会会場の豊平川河川敷に開場17:40に付き、花火を観賞してきました。

花火は19時40分予定通り始まり、1部、2部、3部形式になっていて約4,000発の花火が50分続いた。
花火の火の粉をかぶるような招待席で鑑賞できた。こんな真近で花火を見たことは初めてだったので感激も一入ひとしお

第2部No.2のタイトル:白粉花オシロイバナで「協賛は北海道創価学会…」とアナウンスされた時「あぁそうした時代なったんだ」と何か誇らしくなってしまった。一緒に行った人も「スポンサー創価学会だよ」と言ってくれた。

来年(次回)は、道新電子版の実況中継で観ることになるかな?

 

旧島松駅逓

恵庭市の北端、北広島市の南端に旧島松駅逓きゅうしままつえきていがあります。
ここが、久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓です。札幌農学校一期生に「少年よ大志をいだけ」と言った送別の地であります。北海道に来る観光客は大概 羊ケ丘のクラーク像を見ますが、ここ旧島松駅逓に来る観光客は以外に少ないようです。

2024年7月16日から暫く改修工事に入り再開は2026年春になるようで暫く見学できません。そこで休館する前に再訪してみた。
(現在の旧島松駅逓はM14年の平面図をもとに、S59年に完成したもの)

明治9年9月に開拓使より駅逓を拝受していた

旧島松駅逓は、中山久蔵翁の「北海道米のふるさと」としての紹介されてます。

クラーク博士が離任最後に挨拶したとされる時期(明治10年1877年)には、中山久蔵翁は駅逓に在任していました。

久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓にも書いた通り、クラーク博士の残した言葉が如何なるものか?議論は多かった。しかし以下のような言説がもっともらしいと思っています。

“Boys, be ambitious like this old man”
“ Boys, be ambitious in Christ (God) ”諸説ありますが、
“ Boys, be ambitious for what a man ought to be. Gentlemen, good-bye. ” というのが一番穿うがっています。
即ち「人間として役に立つ仕事をするために、人間というものは野心的であらねばならぬ」です。(知的野蛮人のすすめ 岡野加穂留著 P6)

真実は確かではない。しかし札幌農学校の二期生となった内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、岡崎文吉など錚々たるメンバーによって、クラーク博士の言葉を箴言たらしめたのだと思います。

駅逓所とは人馬を備えて、宿泊・運送の便をはかるために設けられたものです。嘗て北海道に600以上の駅逓があったそうです。
昭和22年に駅逓制度が廃止されて、現在は殆ど残っていません。

さて、中山久蔵翁に話を戻しましょう。中山久蔵は”稲づくりの久蔵”として、北海道の米作に寄与したことは勿論、勤勉実直の人格だったようです。

開拓使 松本十郎の「中山老翁81有一寿序」明治41年

同時代の開拓使 松本十郎は中山久蔵翁を「中山老翁八十有一寿序」で富・貴・寿の三者集まる者として褒め契ほめちぎってます。

91才で没するまで慕われたようです。

 

 

後に正式に島松駅逓取扱に任命され、更に明治14年明治天皇の北海道巡幸に際して御昼幸在所に当てられる栄誉に浴しました。

再来年(2026年)の春になればまた見ることが出来ます。旧島松駅逓の佇まいは、明治期の様子を観ることが出来ます。

恵庭市民の一人として、旧島松駅逓を観光スポットにして欲しいと思っています。

 

PMF2024

今年もPMFのコンサートへ行ってきた。

今年34回目の開催だそうです。7月(7/4~30)全30回公演があるそうです。

そのうち7/14PMFオーケストラ演奏会へ行ってきました。

演目は、R.シュトラウスの交響詩「ドンファン」、プロコフィエフ「バイオリン協奏曲」、ドビッシー「牧神の午後への前奏曲」そしてストラビンスキーのバレエ組曲「火の鳥」でした。

PMFは、新鋭の若き音楽家を育ててます。今回の公演の指揮者はエリアスEliasグランディGrandyでした。

キタラの前に立つバーンスタイン像
中島公園にて

PMFはレナード バーンスタインが残した北海道遺産です。

この人がPMF(Pacific Music Fesithival)を創設した。

そして札幌のコンサートホール(キタラ)の前で、バーンスタインはキタラを見つめています。

バーンスタインにとって最期の仕事は札幌のPMF創設でした。そしてPMF創設した数カ月後、バーンスタインは亡くなってます。

私はと云うと、耳が遠くなって補聴器が必要になり、コンサートからも縁遠くなってしまいました。でもPMFに賛同し、これからもPMFコンサートには参加させていただこうと思ってます。

 

夏の美瑛・富良野

夏の北海道は観光客がどっと押しかける。だから有名な観光スポットではオーバーツーリズムになってる処もあるようです。

さて今回は美瑛の「青い池」と富良野の「ファーム富田」の観光スポットを中心に紹介します。

  • 美瑛町「青い池」

美瑛町の「青い池」なんて昔は聞いたことがなかった。でも今は観光スポットとなった。平日でも近くの道路は渋滞するほどです。

美瑛 青い池

「青い池」は、Apple社の壁紙に採用されて一躍有名になった。
十勝岳の噴火で1988年防災ブロック設置したら「青い池」が出来てしまったそうです。だから謂わば人工池です。今では有名な観光スポットです。

55年前、大学の研究室の土壌調査で、美瑛町に調査に入ったことがあります。もちろん「青い池」はまだ無かった頃の話です。
そのとき見た真っ青な美瑛川をもう一度見たく、橋の上からながめたが見られませんでした。川のpHは低く魚も虫も住めない死の川でした。でも清冽な青い川は目に焼き付いています。その清冽な美瑛川はもうありません。

観光スポットとなった「青い池」も何時まで、この姿を留めてるでしょうか?

美瑛のゆるやかな丘は十勝岳山系の噴石や火山灰によって出来あがりました。ガラス質の白い土壌層を見たとき、施肥の処方をどう書けばいいか悩んでしまった。作物ができるような土壌改良は到底できそうもない土地なのです。
そんな大地を開墾して出来上がったのが美瑛です。今では畑が延々と続き、その景観は観光にもなっています。

Expanding Hrizons 素晴らしい!

 

  • 富良野「ファーム富田」

中富良野に「ファーム富田」という観光農園があって、人気のスポットとなっている。

ファーム富田

55年前(1969年)、学生時代に土壌調査で富良野に来た頃は、ラベンダー栽培がピークを迎え、富良野は一大生産地で有名だった。しかし、合成香料の急激な技術進歩と貿易の自由化でラベンダーオイルの価格が下がり、その後苦境に立たったそうです。

こんな観光スポットになるとは、誰が想像したでしょう?苦節の時代を乗り越えて、今では世界に誇る観光地を築くことができました。素晴らしい!

決して地味ちみえた農耕地でなかったからこそ、苦境を乗り越えて咲いた「ファーム富田」にエールを送りたい。

ラベンダーだけでなく、季節のお花を楽しませてくれます。
すばらしい観光地。スケールの大きさに観光客を引き付けてやみません。他にもお花畑が沢山あります。

 

夏の富良野・美瑛は北海道のフラワーランドです。
一度は北海道に来て見て下さい。そして楽しんで下さい。

Flower Land Hokkaido 素晴らしい!

 

認知症への備え

そもそも「認知症」という言葉は1980年代頃から言われはじめたらしい。それ以前は「老人性痴呆ちほう」と呼ばれていました。

有吉佐和子の小説「恍惚の人」は日本の文学作品の中で初めて認知症を扱ったもので、72年194万部のベストセラーになるや翌年73年には映画化されるほどでした。

痴呆高齢者介護の関心の高まりから恍惚の人は当時の流行語にもなった。

物語は、立花家の嫁である昭子が、しゅうとである茂造の介護に忙殺される日々から始まります。茂造は認知症を患っており、昭子は家事と仕事をこなしながら彼の世話をしていきます。でも、昭子の夫である信利は実の父の病状を見て自身の未来を重ね、介護には殆ど関わりません。近所に住む門谷家のお婆ちゃんの恋愛。昼間は茂造の面倒を見ることになった大学生のエミなど茂造を「モシモシさん」と言った。
認知症が進んだ茂造の会話は、「モシモシ」としか言えなくなった。最期は頬笑、微笑をたたえて息を引き取っていく。

先日、ファイブコグという認知機能を評価する集団用認知検査を受診してみた。この検査は、手先の運動機能と5つの脳機能の計6分野を判定し、性別や年齢、教育年数で調整された基準で得点をだして、認知レベルを診断するものです。

私の検査結果は右のようなものでした。

得点45~54の範囲の「ふつう」の範囲のものでした。

手先に運動機能が低かったこと、共通単語(思考)が高かったことくらいで、認知の危険信号はなく正常でした。

この検査で学んだことは「認知機能の備え」です。もし認知機能が衰えても、備えが大切だそうです。備えとは「希望が見つけやすくするためにできることを考える」ことだそうです。

備えが大切だと解説されていた。「自分らしく生きる」ために予防、運動、規則正しい生活をすることだそうです。

さて、認知症にならなくてもその前に低下することがあります。軽度認知障害(MCI)は1年で10%が認知症になるらしいから、早めに自覚することは大切でしょう。

  • 新しいことがなかなか覚えられない
  • 物や人の名前が出てこない
  • 信号を見落とす。ブレーキが遅くなった
  • クイズの回答が遅くなった
  • 物にぶつかることが多くなった

これらは認知症の前兆だそうです。自分の苦手を把握して、自分にあった予防を楽しみながら取り組むことが大切らしい。

さぁ、最期まで自分らしく生きることを目指して!