島松駅逓

久蔵とクラーク邂逅の地、島松駅逓

北海道旅行で初めて島松駅逓しままつえきていを訪れて一つ驚きがありました。中山久蔵とクラークは、明治10年(1877)ここで直接対面していたのです。私の不勉強かもしれませんが、驚きの発見でした。

中山 久藏

中山久蔵という名は知ってました。北海道の魅力は開拓史 お米とワインの稿で、北海道のお米の開拓史として中山久蔵に触れたことがあったからです。
現在、米生産量で北海道は日本一となり食味でも「ゆめぴりか」がブランドになりました。昔の「やっかいどう米」は今は昔の話です。

島松駅逓
左が中山久蔵の碑、右がクラーク博士

久蔵が初めて赤毛種を生産したのは島松駅逓の脇にある50坪ほどの小さな田んぼからでした。
島松駅逓で別れを告げたクラーク博士の碑とともに並んで、久蔵の碑が建てられています。

羊ケ丘クラーク
羊ケ丘クラーク博士立像の先に札幌ドームが見える

羊ケ丘のクラークの銅像は観光で知らない人はいませんが、中山久蔵を知らない人は多いようです。

”寒冷地では稲作は無理”と言ったクラークと”稲づくりの久蔵”として知られる者同士が邂逅したのが島松駅逓です。クラーク50才、久蔵49才この二人同じ年代の人でした。そして島松駅逓で仕組まずしてめぐり逢ったのです。

北海道に残る最古の建物、島松駅逓

札幌から一つ目の駅逓となる島松は、島松川を挟んで北が北広島市、南が恵庭市の境界にあります。

屯田兵には稲作禁制が布かれた頃、この禁制に挑んだ人が久蔵で、北海道に米作事業を成しました。

北大の権威クラーク博士は二十数名の見送りを受けるなか、島松駅逓守えきてい もり久蔵はひそかに見守るようにその光景をうかがったようです。

William Smith Clark

1年契約で来日したクラークの札幌滞在は僅か8ヶ月でしかなかった。

早春4月、この島松で別れに当たってクラーク博士が残した言葉が、今も語り継がれて、北海道のレガシーlegacyになっています。 「青年よ大志を懐け」

“Boys, be ambitious like this old man”
“ Boys, be ambitious in Christ (God) ”諸説ありますが、
“ Boys, be ambitious for what a man ought to be. Gentlemen, good-bye. ” というのが一番穿うがっています。
即ち「人間として役に立つ仕事をするために、人間というものは野心的であらねばならぬ」です。(知的野蛮人のすすめ 岡野加穂留著 P6)