上野殿御返事(p.1561)の御書講義を聞いて

先日、M副会長から、上野殿御返事の講義を受けた。今更ながら感動したので、御書講義の感想を書きます。(感動を忘れないために)

かれは人の上とこそ・みしかども今は我等がみにかかれり、願くは我が弟子等・大願ををこせ、去年去去年のやくびやうに死にし人人の・かずにも入らず、又当時・蒙古のせめに・まぬかるべしともみへず、とにかくに死は一定なり、其の時のなげきは・たうじのごとし、をなじくは・かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ、法華経の第三に云く「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云、恐恐謹言。
十一月六日 日蓮花押
上野賢人殿御返事
此れはあつわらの事の・ありがたさに申す御返事なり。

いずれ人は必ず死ぬ。死ぬことは一定であり間違いない。
如何に生きるか=いかに死ぬかに通じてる、同義なのだろう。
ならば法華経のために、学会のために、広布のために、同志のために、平和のためにと…
生き抜く中に、人生の意義、使命を観じて生きてきた。

仏法の視点からでないと、本当に人生が理解できない。
生活、家族、仕事の現実問題の中で、戦いに闘って行く中にしか、人生はない。
間断なく襲い来る苦難、労苦に立ち向かい、戦いに闘っていく中にしか信心もない。
仏法のいう仏界は、こういった境地なのかもしれない。

生命は、一念三千だから、瞬間瞬間に命が変わる。
今、豊かな平穏な精神状態だったかと思うと、次の瞬間は悩みのどん底、そして次の瞬間に天にも登るような気持ちになったりする。
人間の気持ち、人生は千変万化です。だから押し登るように、題目だ、題目だ、と登攀の人生を歩む、其の姿が最高の幸福境涯(仏界)である。

頑張り続けること、学会活動から離れないこと、題目を挙げ続けること、折伏すること、その姿が自体が、最高の幸福境涯である、仏界なんだということだ。
何と厳しい仏法なんだろう、何と厳しい人生なんだろう。
でも、やり抜いている姿、やり切っている姿が、それこそが仏界だそうだ。何と劇的ドラマティック、何と動的ダイナミックなことか。

だから到達点はない。ここが仏界だという到達点はない。
いつも劇的ドラマティック動的ダイナミックで、そのドラマが永遠に続く、そのプロセスのなかにしか仏界はない。

それも、人生の最終章が最も大事だそうだ。そこに人生の総決算があるんだそうだ。最後の、最後の一瞬まで手を抜いてはならない。
最後まで戦い続けることが、この信心なんだそうだ。

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