コロナ禍と日本の精神風土

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WHOシニア・アドバイザー
進藤奈邦子さん

WHOの進藤奈邦子さんは日本のコロナ対応を評価している。

日本が、可能な限り普通の生活を維持しながら感染拡大を抑え込んだことは、世界で奇跡的と見られている。
世界に類を見ない人口密度と人の移動頻度・距離が大きい日本ではもっと早い段階で感染爆発が起こっていたに違いない。

日本でここまでコロナ対応できたのは、世界的に見れば素晴らしいことなのです。しかしながらこの日本でも、コロナ感染者は18,110人に及び、死亡は968人に達しました(2020.6.25現在)。

この数字、実は交通事故で亡くなる人数より少ないのです。
交番には昨日の交通事故で死んだ人数が掲載されています。交通事故では年間3000人程亡くなります。コロナで命を落とす人より多いのです。
熱中症で亡くなる方も年間1500人程度。コロナより多いのです。

コロナが爆発的に感染するとワクチンも特効薬もない現状では、何十万人の被害を与えると言われてるから怖いのです。それをこれまで日本は見事に押さえ込んできました。

もし日本がアメリカと同じ感染率、死亡率だったら、感染者は53倍の958,284人、死亡も50倍の48,503人にもなります。
日本は、よくぞここまでコロナを抑え込んだもんだと思います。

2020年6月24日時点の統計(厚生労働省)

都市ロックダウンはせずに、ほとんどの人が自粛要請を守った日本は世界的に珍しい国なのです。

ところが一方で、どうも「お上には逆らえない」「長きものにはまかれろ」といった精神風土が、いまの日本にあるような気がしてならないのです。

もともと日本は、人種に白も黒もありません。日本は阿吽あうんの呼吸が分かる単一な文化です。文化の標準偏差が狭いがゆえに良くも悪くも「察する文化」となりました。

それに、日本ほど生真面目な人種も少なくないでしょう。
遅刻することがない風土、サボることを知らない風土、守らないと最低だという風土、そんな生真面目さが「コロナの自粛」につながった一面を感じるのです。

少しれるかも知れませんが、敢えて言えば、戦前・戦中の日本は、統制に従順だったことを思い起こしてしまいます。

軍部の暴走が悪いのも確かだったし、ジャーナリズムが体制迎合して物言わなくなったのも悪いし、何よりも大衆が「非国民」と言われることに首をすくめたのです。
「お上には従順に従った」その責任も極めて重いと思うのです。

そして最後は「民意の暴走」を許してしまったのです。まるで「自粛警察」のようなことが大規模に起こって、いともたやすく戦争に突入してしまいました。

戦争は絶対反対だと叫ぶことは大事ですが、何気なく民意の暴走を許す精神的な風土を見破り、主張するべきは主張すべきだと思うのであります。

マスクを付けずに外出しろと言っているわけではありませんし、2メートル離れてなくても良いと言ってるのでもありません。
これはどうかと思えば、マスク無しでジョギングしていいし、自然公園なら外出してもいいと思うのです。
排除や分断、特に社会的な分断に敏感になって、研ぎ澄まして考えることが大切です。

今日の聖教新聞(6/26)に掲載されていた御書「頼基陳情」にある通りです。

僕らは決して流されない。自分の評価尺度を持ち、それを忘れないことが「戦争を絶対許さない」ことにつながることだと思っています。

今月(2020年7月)の大白蓮華の巻頭言に、戸田先生の立正安国論を講義で、こう呼びかけられたと載ってました。

ご本尊を、ひとたび受持した以上、個人としての成仏の問題は必ず解決する。しかし、一家のことを、一国のことを、さらに動乱の二十世紀の世界を考えた時、私は、この世から一切の不幸と悲惨をなくしたい。これを広宣流布という。
どうだ、一緒にやるか!

これが創価学会の原点です。これが好きで好きでたまらないのであります。故に、学会のメンバーとなり通してきました。

 

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