昭和の爺さんとジェンダーギャップ

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

最近、日本のジェンダー・ギャップ(Gender Gap)が問題になってます。発端はオリンピック組織委員会の森喜朗の発言でした。

2月3日,日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で、「女性理事を選ぶってのは、文科省がうるさく言うんです。だけど、女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」と女性蔑視と取られた発言でありました。

2/28のNHK日曜討論でも「ジェンダーギャップ解消へ 与野党に問う」というテーマで議論してました。しかし、女性だけをパネラーにしてDebateさせること自体おかしい。

Gender Gapを議論するなら昭和の爺さんたちを出すべきです。そりゃ面白いことになること請け合いです。Gender Gap問題は男性側にあるのに、それを棚上げにしてるところに日本のレベルの低さがあります。民度が低いのです。

3年はど前、ジェンダー・ギャップ(Gender Gap)について少々勉強したことがあります。世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表している GGGI (Global Gender Gap Index)では、日本は今も153ヶ国中121位で一向に改善されていません。日本はひどいもんです。

Ruth_Benedict
Donald Keene

これは、日本の歴史的な背景が起因しているといっても過言ではないでしょう。

『菊と刀』を著したルース・ベネディクトも、『果てしなく美しい日本』を著したドナルドキーン「日本は家族ヒエラルキーで社会が成り立っている」と指摘してます。アメリカ人にとって日本人の家族ヒエラルキーは異質で特異な文化に映ったようです。

日本人の家族ヒエラルキーという特殊性は、女性の社会進出、社会的地位の確立を遅らせてきました。

それは江戸時代から近代国家となった明治、昭和へと、天皇を頂点とする家族制度によって制度が築かれてきからです。
家族ヒエラルキーの中で、長い間女性はその地位を築けなかったばかりか、社会的な地位を得ることを著しく遅らせてきました。

謂わば、江戸時代の垢とでも言ったらいいのか、家督相続が日本の家長制を支えてきたところがあります。家督は経済的基盤であり、社会的基盤でした。だから隠居とは家督を譲ることです。
これを世間の習わし(世古せこ)として、面目が立つ立たないということが、価値基準として古来日本では大事にされてきました。それが家族ヒエラルキーの基礎となってきたのです。

今は家督のような制度はありませんが、この日本的な制度から生まれた風習は残ってしまっています。それがGender Gapの理解を阻めているのでしょう。

昭和の爺さんの時代、会社でも官公庁の職場でも、女性は結婚までの腰掛け仕事だと思われていました。
事実、寿退社を祝い、祝ってもらうのが、社会人としての一般的な幸せで、常識でもありました。

それが近頃、女性にも能力を求め、能力のある女性が活躍できる職場が求められてきました。そして事実、そんな職場が現れるようになってきたのです。

そうした変化に昭和の爺さんはついていけないのであります。
ジェンダーギャップだと言われても何が不適切な発言だったかも分からないのですから、困ったものであります。

無意識のバイアス、即ちアンコンシャスバイアス(Unconscious bias)とは「無意識の偏見」といわれています。例えば…

  • 学校行事の手伝いは働くママが有休をとるのは仕方がない(父親の有給や育休申請は非常識)
  • 女性を単独で海外出張させるのは危険(男性は上昇志向が強く、女性は安定志向)
  • 子育て中の女性に時短勤務を認めるのは、子供のいない女性に対して不公平
  • 外国のひとと一緒に働くのは大変。休暇は取得すると周りの人に迷惑をかける。

こんなアンコンシャスバイアスに気づかない昭和の爺さんのモラル意識が、今も残渣のように世の中にこびり付いています。

日本は1986年に男女雇用機会均等法が施行され、2016年には「妊娠・出産等に関するハラスメント防止措置」も定められました。マタハラを規制することは進められるべきですが、企業内では妊娠中の女性や産休明けの女性に必要以上の配慮や気遣いが行われることもあります。

これは「マミートラック」とも呼ばれ、それまで営業職であった女性を事務が中心の管理部門へ異動、以後の昇進に影響をしてしまうことです。
一方で育児休暇を取得しようとする男性に取得を許さない、嫌がらせをするなど「パタニティハラスメント」も起きています。

昭和の爺さんには分からぬ”Gender Gap”もHeForShe(ヒーフォーシー)も本当のところ理解できません。
女性のエンパワーメントのための前提条件だと言われても、昭和の爺さんたちは背を向けて、議論できないのです。

東京オリンピックの開催ができるかどうか今も危ぶまれていますが、オリンピックの準備段階でジェンダーギャップが議論され、問題にされたことは、新しい時代を迎えるに良い機会だったと思えてなりません。昭和の爺さんの一人として・・・

 

 

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