牧野富太郎と妻すゑの生涯

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

「草を褥に」の著者大原富枝の父も土佐の佐川の出身で、富太郎の教えを受けたことがあったようです。そんな縁を感じてこの本を書いたのかもしれません。この小説の執筆を終えた後、大原富枝は亡くなっています(2000年12月)。享年87才でした。

富太郎は道楽にも通じる、植物採集、標本蒐集、精密描画、植物雑誌の編集であった訳です。植物学という学問への関心というより、好きで好きでしょうがない道楽に興じた「うらやましい人」だったのであります。
道楽もここまで来れば、一流であります。当人は望まず博士号を取り、牧野富太郎を知らない人はいないほど有名になりました。

没後60年、「牧野新日本図鑑」は今も現役です。モリパパも若い頃、植生調査に持ち歩いたものです。余りにも重いので、屋外用に学生版を購入しましたけど…

モリパパが持っている図鑑は、昭和54年第35版のもので13,000円もした図鑑です。
この図鑑を見ると、むかし懐かしい思い出がよみがえります。

屋外で野草をみては、この図鑑で確認し、和名を覚えていきました。350種ほど覚えたでしょうか?それでも殆どの野草の名前を言い当てたものでした。
(でも、今は殆ど忘れてしまいました。)

これがまた役に立つような生活をしたいものだと思いながら、大事に本棚に飾ってあります。

(終わり)