日本は小国寡民で良いのでは?

実は、すばらしい日本になったと思っている。劇作家の山崎正和(故人)は「日本は小国寡民を目指せ」と言っていた。

小国寡民。
使有什伯之器而不用。 使民重死而不遠徙、雖有舟輿、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗、隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往来。     “出展:「老子」(老子道徳経)独立第八十”

小国寡民しょうこくかみん
什伯じゅうはくの器有れども用ゐざらしむ。
民をして死を重んじんて遠くうつらざらしめば、舟輿しゅうよ有りといへども、之に乗る所無く、甲兵こうへい有りといえも、之をつらぬる所無ところなし。
民をしてなわを結びて之を用ゐ、其の食をうましとし、其の服をうつくしとし、其のきょやすんじ、其のぞくたのしましめば、隣国相望あいのぞみ、鶏犬けいけんの声相聞あいきこゆるも、たみ老死に至るまで、あい往来せざらん。

 

こんな小さな国が、経済(GDP)世界第3位であることが不思議。小国でも豊かで安全な国になることの方が大切だと思っている。日本より小さな国がヨーロッパには沢山あります。

まだ経済成長できると、成長神話を煽ったアベノミクスや、これに同調した日銀が、異次元の量的質的金融緩和、ゼロ金利政策などの政策で「借金に麻痺した日本」を作り上げてしまいました。
この先20、30年で返せる財政赤字ではありません。借金に依存した政府は何も問われず、コロナ禍で有耶無耶になってしまいました。でも未来への膨大な借金が消えたわけではありません。

人口減少は止まりません。明治初期6千万人程度だったのですから1億2千万人ははるかに過密なのです。
人口減少にはわびしさを感じますが、成熟な国を目ざすことだと考えれば、決して悪くありません。ただ東京首都圏に一極集中するのが問題です。

日本でもコロナ禍に見舞われたのは、都市の過密による弊害かも知れません。今や適度な空間的余裕がないと、健全な生活が成り立たなくなって来ています。

また日本は憲法で戦争を放棄を謳い専守防衛を国是としました。徴兵制もありません。非核三原則を貫き核(原爆)はありません。戦争を手段としない文化を育ててきました。

ジェンダー・ギャップGender Gapに、社会は敏感になっています。「男らしさ」や「女らしさ」を求めるのではなく「自分らしさ」を求める社会に成熟してきました。

女性の平等へ努力する中で、さまざまな障壁を乗り越えなくてはなりません。これからその作業をやる時がきています。従来は家庭内で完結しようとしてきた育児も、介護も、社会化してきました。

女性の権利を大切にしなければ”人間の権利” を大切にする社会を築けないことに気づきはじめたのです。育児や介護などのケアが、公的な責任を担った社会を築くために。

コロナ禍は「生命の世紀」の最初の試練となりました。新型コロナとmRNAワクチンは、人類の新しい戦いとして象徴的なものです。何より大切なものは生命いのちなのです。

あらゆる分野でパラダイム・シフトが起こっています。

米国や中国などの大国が幅を利かすような世界は終わらせなければなりません。

日本は「小国寡民」を貫く使命も資格も持っていると思います。小国寡民となっても日本は世界に対する役割を持っていることは少なくない筈です。

帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か(出典:立正安国論 御書P31)

この精神が小国寡民の日本の精神とならんことを祈って、この投稿を終わります。

 

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