信心こそ無限の希望

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

今日(2014年10月19日)の聖教新聞に掲載された、名誉会長と共に「新時代を開く」に共感した。
今回の教学試験で勉強した内容を自分なりに、まとめたいと思っていた。しかし、その必要はなくなった。
想っていたことが、実によくフォーカスされていて、実によくまとまっている。
一つ一つをその通り!その通り!と頷いて読んでしまった。


祈りから宗教が生まれた。

宗教以外に祈りはない。
信仰は社交辞令でもなければ、付き合いでもない。本源的な「生きる」意味を問う行為だ。その中に真剣な祈りがある

幸福になるために、信仰は生まれた。

人生の目的は「幸福」であり、それは取りも直さず信仰の目的だ。

(中略)

強盛なる信力・行力によって、限りない仏力・法力を引き出していける。

肝心なのは信力・行力。
それがなければ仏力・法力を証明することはできない。
自身の真剣な信力・行力があるからこそ、ご本尊がある。

仏法は、より高い境涯へわが生命の変革を教える。

境涯こそが幸・不幸を決定づける最大要件だ。

その究極が「一生成仏」であり「人間革命」である。

一生成仏=人間革命だ。そして…
生きている間にしか『人間革命』はできないではないか!

すべては人間から始まり、人間に帰着する。

これを忘れた時に、不毛が始まり、混迷が訪れる。

(中略)

人間こそ大地であり、宗教は心の大地といえる。大事なのは、その大地が、きちんと耕されているかどうか。
健康で豊かな、みずみずしい生命力をもっているかどうかである。

すがすがしい一生をどう築くか?
最も大切な人生の劇場をどう仕上げるか?

信仰とは最極の信念である。
最も尊く、最も強い。
信仰ある人は、大変であればあるほど、
「人間革命のチャンスだ」と喜び勇んで挑戦していける。

「最極の信念」に間違いない。その大変さは想像を絶するような「大変さ」だけど、みんなに希望と勇気を与えるんだ。
壮絶ならばこそ、歓喜に涙して人生を語るんだ。
我が婦人部長さんYご夫妻の素晴らしき人生に盛大な拍手を贈ります。今日(10/19)の体験発表に感動しました。ありがとう!

(中略)

信心こそ無限の希望なのである

そうだ!信心とは言葉を換えるなら、希望を生み出す源泉なんだ。


モリパパのモットーは「誠実、忍耐、希望」です。
その最後の希望とは信心と置き換えて読むべきなんです。

以上の記事原文のPDF版を添付します。 ⇒ 2014.10.19聖教

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