島原の朝

レスパイト旅行(第2弾)九州の旅

レスパイトrespiteとは一時中断とか一時休息といった意味で、介護者の一時休息のために、レスパイト入院があります。オフクロがこのレスパイト入院中、今回は九州に旅行しました。行き先は福岡の大牟田、長崎の島原、雲仙、佐賀の有明海をぐるりとひと回り。

実を言うと40年来の親友HGを訪ね、ゆっくり積もる話をするためで遠慮なくHG宅に泊めてもらい、遠慮なく酒も頂きました。
九州交流、旧交を愉しむ」から6年目、今回もHGさんとその家族にすっかりお世話になってしまいました。m(_ _)m

有明海の夕日

着いた日は快晴で、有明海の夕日を見に連れて行ってもらったり、シギやチドリを見に早朝未明に荒尾干潟へ連れてってもらったり、その上、有明フェリーで島原、雲仙まで突き合わせてしまった。

そして最後に東よか干潟までお付き合い頂き、シギチ観察に心残すこと無く見させて頂きました。

シギチなどに興味ない人には、申し訳ないと思いながら、大満足の九州旅行でした。

HGさんとは創価学会男子部の頃、一緒の戦った同志です。旧交を温め40年、気兼ねや遠慮など全く無いお付き合いで、今も変わりません。

亡くなった妻のこともよく知ってくれていて、同じ学会員でこんな長いお付き合いになるなんて本当にありがたいことです。

有明海の対岸は長崎 島原・雲仙です。夕日が沈み光景は荘厳です。

旅行中、晴天が続き、島原からも旭日を見ることが出来ました。

ブルーアワーとサンライズとの中間の時間の朝焼けは格別です。

島原の朝
朝日が昇る前、有明の静かな夜明けは神秘的です。
島原のホテルから旭日を望む。

大牟田から普賢岳の噴火を眺めたのは30年も以前だったろうか?

普賢岳の普賢は、法華経最後の第28品菩薩勧発品に由来します。
普賢岳が噴火した年(1991年)、創価学会は宗門から11月28日付けで破門通告書を受けた。学会の「魂の独立記念日」となった。

普賢岳の噴火で出来た平成新山は右奥の尖った山です。(島原城天守から望む)

1990年11月の噴火から1996年6月の収束宣言まで、6年続いた普賢岳の噴火の歴史遺構を伝承するために、雲仙岳災害記念館として「がまだすドーム」が建てられています。
がまだすとは、島原で「精を出す、頑張る」ことだそうですが、九州の他の地域でも「がまだす」は同じ意味で使われています。

  • 熊本では「いっちょがまだそーかね」
  • 福岡では「がまだしよんなはっですかー」

さてさて、人生100年まだまだこれからであります。
がまだそーかね」と思いながら、良い旅行であったと締め括りたいと思います。HGさんとご家族に感謝して‥

 

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