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北海道移住して1年(創価版)

北海道に移住して近ごろ感ずることを少々まとめてみます。年をとりましたが、創価学会員としてイチからやり直しています。

三代城の北海道については小説「新人間革命」から、山本伸一の言葉少々長文になりますが、を拝借させていただきます。

[1978年(昭和53年)]5月31日に東北・栃木指導を終えてた山本伸一は、東京などでの諸行事に相次ぎ出席し、6月8日には北の大地に立っていた。北海道指導の開始である。
(中略)「私どもの信心は、それぞれのもつ宿命を転換し、人生を思う存分に楽しみ、幸せを満喫していくためであります。
ゆえに、私どもの指導の要諦は、どこまでも、「指導即希望」「指導即確信」であることを銘記し、希望と確信を与えていってください。
指導を受けた人が、”心から安心できる””身も心も軽くなる” ”希望が湧く”と実感し、喜々として広宣流布へ進んでいけるように、最大の配慮と激励をお願いしたい。
指導することによって、後輩を追い込んだり、苦しめたりするようなことがあってはならない。それでは学会の指導ではありません。一人ひとりに心から愛情を込め、手取り足取り、抱きかかえるような、慈悲の指導者であっていただきたいのです。」
(中略)北海道は、彼が夏季地方指導や夕張炭労事件など、広布開拓と会員の厳護に心血を注いで走り抜いてきた魂の天地である。また、先師・牧口常三郎、恩師・戸田城聖を育んだ揺籃の地であり、師弟の三代城である。
その北海道の、しかも恩師の故郷・厚田村に、後継の精鋭6千人が集って来たことを思うと、伸一は熱い感動を覚えた。そして、戸田と初めて出会った約30年前のことを、懐かしく思い起こしながら、語り始めた。
私は19才の時に、恩師・戸田先生とお会いして以来、早くも三十余年が過ぎました。その間、先生から受けた薫陶を最高の誉れとして、先生とお約束したことは、ことごとく果たし抜いてきたつもりであります。
(中略)
地位も、名誉も、財産もない、一人の無名の青年が、一人の人生の恩師を持ったことにより、なんの悔いもない大満足の人生を歩むことができたーーそれが、私の偽らざる心境です。ここまでこれたのも、全国の同志のご支援の賜物であり、この場をお借りして、心より御礼を申し上げたい。」
(中略)
伸一は、そのために、いかなる生き方が重要になるのかについいて、言及していった。
「それは地道な実践です。一攫千金を追い求めるような生き方では、人生の勝利も、広宣流布の本当の前進もありません。大事なことは、しっかりと、自身を磨き鍛え、社会に深く信頼の根を張っていくことです。
長い目で見た時、時代の流れは、地道さが求められる時代にならざるを得ない。基礎がしっかりと築かれていなければ、時代の変化のなかで、はかなく崩れ去っていきます。人生も広宣流布も持久戦です。
したがって、地道に精進を重ね、持続の信心、水の流れるような信心を貫いた人が、最後には勝ちます。堅実な戦いの積み重ねが、広宣流布の新しい時代を開いていくんです。
そして、人生を勝利するための信心の土台、哲学の土台を築き上げていくのには、青年時代しかないことを心に刻み、広布大願に生き抜いて頂きたいのであります。」
伸一が、青年時代に、恩師・戸田城聖との語らいのなかで、世界広布への雄飛を心に決めた師弟誓願の天地・厚田ーー今、その厚田に集った若き勇将たちは、30年後をめざして、新たな旅路を開始したのである。
【以上、新・人間革命 第27巻 p.383~p.388】

創価の三代城・北海道は創価学会の原点の地だと思っています。その原点の地で、再出発することを自ら選びこの地に来ました。
これまで共々に戦ってきた人々と別れを告げ、再出発しました。

実は、恵庭に来る前に隠していた心配事がりました。それは東京での検査で血便が判り、大腸ガンの疑いがあると言われました。恵庭に来て真っ先に行ったのが大腸の精密検査でした。結果は良性ポリープでした。それまでの心配が晴れ、本当に嬉しかった。

もう一つ心配事がありました。自宅マンションの売却が思うように行かなかったことです。21年も経った中古物件です。
購入したときの半値でいいから売却できれば、老後の資金になると思っていましたが、それがなかなか売れないのです。

住宅は買うときは簡単ですが売るのは難しいものです。最終的に不動産会社に直接売却しました。それでも購入価格の1.5倍の値段で売却することができました。ゆとりの老後資金を得ることができ、本当に嬉しかった。

ゆとりは表情にも現れるのでしょうか? 旧友から「経済的なゆとりが出来たから、表情までゆとりを感じる」と言われました。

その友人に「長年創価学会で頑張ってきた功徳だと思っている」と正直に言いました。
この仏法は下種仏法だから、相手が発心するかどうかは別です。創価学会の仏法を話すことが自体が大事だと割り切っています。


木漏れ日の語らい

ただ、話はなかなか伝わりません。
仏法のことに無関心なこと驚くばかりです。それが現実なんでしょう。友人は「真言宗だと思うよ」と言うけど、「坊主は変だ」と思っている程度で何も知らない。
しばし「真言密教」について説明した。密教たる所以を説明した。しかし関心が薄く話が続かない。でもこちらは、下種こそ大切だと思い、非常識にならない程度に、強引にならない程度に、正直な話をしました。

本当は、功徳を頂いたという、おすがり仏法ではないことまで、話を深化させたかったのですが、そこまで踏み込めなかった。

この一年、こうした対話ができる人が新規に2,3人できました。
もう若くないが対話するに遅くはない。そのうち聴いてくれる人も出てくるかも知れない。そんな北海道移住一年となりました。

座談会でも自身の体験談を話し、有り難いことに座談会の御書を担当させていただき、自らの体験談を混じえて講義をさせてもらっています。本当に有り難いことだと感謝しています。

新天地、北海道で新たな信心の舞台を切り開けそうです。感謝!

 

レンズを買い戻してしまった

LUMIX GX7 MarkⅢのレンズキットに付いていたレンズ LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.を売却・手放してしまってから、また欲しくなって買い戻したというオソマツなお話です。

LUMIX GX7 MK3にLEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.つけたもの

LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH. は使い勝手が良いから、初心者向けのキットレンズになってたんですね。

手放した理由は15 mm(35㍉換算30mm)という画角はスマホのカメラ(35㍉換算26mm)で代用できると思い、手放してしまいました。

LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH.

代わって25mm(35㍉換算50mm)標準レンズ LEICA DG SUMMILUX 25mm / F1.4 II ASPH. を愛用してきました。

でもやはりスナップではもう少し画角が広いほうが、何か表現力があるようで15mmを買い戻してしまいました。15mm(35㍉換算30mm)という画角は広角でも標準でもない中途半端な画角のような気がしますが、なんのなんの意外に使いやすい画角なのです。

最近撮った写真を載せてみます。

自宅 東窓からみた午前の風景

9月20日16:04自宅の東窓から撮影。北海道の秋の空は高くなった。恵み野の街の向こうに夕張岳の山系が見られます。のんびりとした景色ながら、ビビットな秋の景色です。

自宅の西窓から夕日を撮る

9月20日17:09自宅の西窓から見た夕日を撮影。もう夏は終わりいよいよ秋の始まりを感じます。これもLumixプロファイル風景で撮ったものです。

鵡川駅

9月21日10:17JR鵡川駅を撮影。日高線の終点となった駅には人影もなく、裏寂れた感じがよく出ています。これもLumixプロファイル風景で撮ったものです。

鵡川の河口 探鳥散策の入り口

9月21日11:09撮影、最近タンチョウが飛来するようになった。その季節ではありませんが、少し秋になった原野の風情です。これもLumixプロファイル風景で撮ったものです。

自宅の西窓から

9月24日22:38自宅の西窓から撮影。中央のマンションの向こうに「月が低く沈む」様子を撮影しました。Lumixプロファイル風景で撮ったものですが、あまり良くありませんでした。

小樽駅構内

9月26日8:46小樽駅構内を撮影。Lumixプロファイル CineLikeⅤで撮影しました。小樽はシネマティックな雰囲気のある街です。

小樽駅 付近

9月26日8:54小樽駅付近の市街で撮影しました。これも小樽らしくプロファイルはビンテージ07で撮影しました。レトロな雰囲気が似合う小樽の市街です。

小樽駅 付近

9月26日9:00小樽市街に残された廃線を撮影。これもプロファイルCineLikeⅤで撮影しました。廃線も観光地にする小樽です。

Cafe Lico Lico 木漏れ日の語らい

9月28日13:49 喫茶店Cafe Lico Licoでのひととき、もう飲み終わったコーヒーのテーブルに木漏れ日が差し込みました。LUMIXプロファイルCineLikeⅤで撮影しました。語らいの後の 静けさが伝わってきます。

Green Pointという田舎のレストラン

9月28日17:00 恵庭に近い田舎のレストランですが、レトロな佇まい。中二階から見下ろす角度でCineLikeⅤで撮りました。

Green Pointという田舎のレストラン

9月28日16:58 レストランの中2階の様子です。照明ランプは昔どこかで見たような、懐かしいスタイルでした。これもLUMIXプロファイルCineLikeⅤで撮影しました。田舎には粋な雰囲気で、ステーキとワインが安くて美味しいレストランがあるのです。

自宅 室内

9月20日22:26 ベッドの傍らにあるスタンドを撮影したものです。これもLUMIXプロファイルCineLikeⅤで撮影しました。

少々蛇足になりますが、9月29日6:36 自宅西側に虹がかかりました。撮影の後加工でAdobeビビッドで現像しました。何か良いことありそうな?

 

北海道移住して1年

9月15日は北海道へ移住して1年の記念日です。昔、関寛斎というひとがいました。明治35年(1902年)72歳にして一念発起し、徳島を離れ、北海道に移住した変わり者であります。

陸別町にある寛斎の像

千葉・東金の生まれで、佐倉・順天堂の佐藤泰然に学び、26才のとき長崎に遊学したというから優秀な人物だった。
後に四国・徳島藩の藩医に迎えられ、人望も厚く町医者として慕われたと言います。

関寛斎に習った訳でありませんが、74歳にして縁もゆかりも無い北海道に移住して丸1年となりました。

どうして北海道に来たのか?それを北海道の人からも尋ねられ、困って「北海道はあこがれ地」だからと軽く応えてきました。

自宅から見た景色、鉄塔の向こうに恵庭岳です。画像クリックすると、昨年(2022)のブログに遷ります。

内省的な表現をすれば「好きなことに心血を注ぐような生活をしよう」と思った故なのであります。

ところがその願いが叶う前に、この1年忙しい日々に追われてしまいました。
北海道では何もかもが初体験で、あっという間に1年が旅行のように過ぎてしまいまった。これが正直なところです。

更に、北海道は内地とは違って季節が急速・・に変化します。尤も、真夏は最高気温が32℃になり、真冬は最低気温が-25℃にもなり、この温度変化、即ち変化量が大きいため季節は急速に変化するのでしょう。これを身をもって感じた一年でした。

画像をクリックでブログ「ブラッキストン線」へ遷ります。

もちろん寒冷地ですから自然は全く違います。所謂、ブラキストン線を超えた新世界なのです。草も木も鳥もすべてが内地とは違います。

北海道の自然を学ぶため?特に野鳥を観察する同好会「オコジョの会」に参加して道央のあちこちを散策。野鳥や野草、季節の自然を楽しむことができました。だから最近、このブログは北海道版になってしまいました。

北海道の季節の変化が急速・・なだけでなく、個人的にも次から次へと諸事重なって、時間が飛ぶように過ぎてしまいました。
多事、忘れっぽくなったので、メモを付け始めました。それが今では習慣となって毎日「日記」を書くようになりました。

駒崎弘樹 @「こども達のために日本を変える」フローレンス 会長 ...
NPO法人フローレンス会長 駒崎弘樹

日記は人に見せる必要はないので、人には言えないことも書けます。だから気楽な書物です。更に、手書きで書けば忘れかけてる漢字を思い出します。ボケ防止にもなりそうです。
駒崎弘樹 氏は日記は「ジャーナリング」だと言ってます。「書く瞑想」という人もいます。

ジャーナリングとは、簡単にいえば日記のようなもので、自分の仕事やプライベートを振り返り、自身の“心の内”を書き出していく作業です。言ってみれば、自分自身との対話のようなものですね。
単なるメモは、外部からの情報を書きとどめておくものなので、断片的で系統立ったものではありません。それに対しジャーナリングは、外部からの情報を自分なりに咀嚼し、再構成していく作業です。そこでは自身の感情も含めて書き出していくことになるので、それを振り返ることで自分では気づかなかった自己に出会うことができます。
 
紙に書き出すことで頭と心が整理される“書く瞑想”というメソッドを提唱されている方もいます。まさに、書くということには目の前にある状況を整理するということだけでなく、眼前にある状況に対して、自分がどのように感じているのかを見つめて心を整理する作用があると思います。
 
忙しい日常の中では、出来事に対して、なんとなく不愉快だった、なんとなく不安に感じたという程度で処理しがちです。しかし、言語化することによって、自分の内的世界の解像度を上げることができます。その意味で、ジャーナリングには精神的にすこやかに、そして前向きに外的世界と接続できるようになる効果があります。

少し、横道に逸れてしまいました。北海道に来て1年何が起きたか話を戻します。季節の変化量が大きいだけではありません。
北海道は観光立国です。だからついそちらに気を取られたしまったのです。

札幌という街が代表するように、とにかく観光のためのイベントが多いのです。

「自然は一流、施設は二流、料理は三流、サービスは四流、関係者の意識は五流」…と北海道の観光を揶揄することばもありますが、イベントの多さは全国一だと思います

4/10~5/19 定山渓温泉鯉のぼり
5/15~21,5/23~28 札幌ラーメンショー
5/17~28
大通さっぽろライラックまつり
5/17~21 川下公園 ライラックまつり
6/14~16
札幌まつり
6/1~10/31
定山渓ネイチャールミネ
6/23~25
サッポロ フラワー カーペット
7/21~8/16
さっぽろ夏まつり(大通ビヤガーデン)
7/21~8/16
狸まつり
7/9
真駒内 花火大会
7/29
道新UHB 花火大会
8/27
北海道 マラソン大会
8/3~5
すすきの祭り
9/3
モエレ沼 芸術花火
9/8~30
さっぽろオータムフェスト
10/1
札幌マラソン大会
ブログ;札幌雪まつり(夜の部)

この他に有名な札幌雪まつりがあります冬の雪さえ観光イベントにしてしまう。

札幌だけではありません。北海道中が札幌に刺激されて、観光立国を目指しているかのようです。

地元の小さな町恵庭でも6/28 ~7/2まで「えにわ花と暮らし展」を盛大に行いました。春夏秋冬、あちこち見て回ったらあっという間に1年過ぎてしまいます。

ルルマップ散策路にてリスを見た。見つめられた。

こりゃいかん。少し落ち着いた生活を取り戻そうと思っているのですが、それがなかなかできません。

田舎のプチカフェやプチレストラン、日帰り温泉などなど、ちょいドライブで一日楽しめる地元観光がいっぱいあるのです。

これも、あれも行ってみたい、見てみたいと思っているうちに、北海道の1年旅が終わってしまった。北海道には179町村あるそうですが、その各町村が観光立国を目指しているんだから気を取られるのもしょうがない。

これは「心血注いてやったよな」といった生活は何時来るのでしょうか?あっという間に1年が旅行のように過ぎてしまわないようにしないと‥。人生はもうそんな長くはないのだから。

 

 

コロナ禍で変わったこと

コロナの終息は簡単ではなかった。コロナ収束に期待したのは、もう2年も前(2021年10月)のことでした。

今年(2023年)5月8日からコロナは5類感染症になりました。これまで緊急事態宣言や行動制限、入院勧告など外出自粛はなくなり、インフルエンザと同じ扱いになりました。これまで毎日のように、コロナ感染状況が報じられてきましたが、最近ではこのニュースもなくなりました。

・・・とは言っても、今年9月20日から第7回目の新型コロナ・ワクチン接種が始まります。接種の話題さえも少なくなりましたが、未だに根絶されたわけではありません。

厚生省2023年5月7日発表をNHKがまとめたもの

久しぶりに厚生省のサイトを見て確認しました。コロナで亡くなった方は、これまで約7万5千人だそうです。この中にも入らず「生きて有りつることに」感謝の念を禁じえません。

少々話題は飛びますが、明治維新(明治元年)から終戦(昭和20年)まで77年でした。エッたった77年でしかなった。 終戦から数えて77年後(令和4年)の今、コロナ禍に見舞われています。同じ時間軸で見るのもどうかと思いますが、感慨深く思ってしまった。

明治維新以降77年間、富国強兵を掲げ、戊辰の役、西南戦争、日清日露戦争、満州事変、そして太平洋戦争にまで突入してしまいました。いわば「戦争の世紀」をたどりました。

戦後77年間は何だったのだろう?「もう戦後ではない」と言って高度成長期を迎えた。東京オリンピック(1962年)、ビートルズ来日(1966年)昭和大阪万博(1970年)ニクソンショック(1971年)第一次オイルショック(1973年)、第2次オイルショック(1979年)公害訴訟 (1971~1973年)プラザ合意(1985年)天安門事件(1989年)、ベルリンの壁崩壊(1989年)バブル崩壊(1991年)リーマンショック(2008年)などまだまだありますが、戦後の時代は「経済の世紀」だったと言えるでしょうか?

経済視点からコロナ禍を評価するだけでは何かおかしいように感じてます。

僕らは何のために生きているのか?問い始めなくてはならない。そんな時代に生きてるような気がしてならないのです。幸せとは何かとね。

そう、新しい時代が来ているような予感がするのです。

札幌夏まつり

観光都市「札幌の夏まつり」は大通り公園のビアガーデンです。

ビアガーデンのテントが並ぶ札幌大通り公園

コロナ禍で3年ぶりの開催になりました。今年7月21日から8月16日まで開催されました。

初めてのビヤガーデンは実に楽しかった。平日に2回も行ってしまいました。(ビール好き?)

昼3時に集まって、ワイガヤで実に楽しい。

ビールジョッキは当たり前ですが、何とここではタワーサーバーをたのんで、ジョッキに注ぎます。

ビールのタワーサーバー

タワーサーバーは4.2㍑入っています。これから注ぐのも楽しい。
サッポロの生ビールはどんどん無くなります。

札幌も暑い日が続きました。30℃超えは当たり前になった頃の日での、ビアガーデンは最高でした。

どんどんビールを飲んで、トイレに行きたくなっても安心。

大通公園にはキレイなトイレが完備されています。

トイレが完備され、清掃が行き届いてて待たなくてもすぐに用が足せます。

何と行き届いた公園ではありませんか。

さすが観光都市 札幌ですね。

ワイワイガヤガヤで、あっという間に夕暮れ時を迎え、お開きとなりましたが。札幌は北緯43度の街です。だから日が沈むのが遅いのです。まだまだ夕暮れ時です。(逆に冬は早く暮れますがね)


札幌の夏まつりと同じ時期に、繁華街の狸小路では「狸まつり」が行われています。

観光都市 札幌は、冬は「雪まつり」夏は「夏まつり」と観光客を呼び込む街です。国内だけでなく海外からも観光客を呼び込む楽しい街です。

ビヤガーデンのテントは、テレビ塔からサントリー、アサヒ、キリン、最後にサッポロといった順序で大テントが並んでいます。

テレビ塔の下にもビアガーデンがあって、定番のジンギスカンとビールです。

このテレビ塔からの景色もなかなかなものです。

夏の真っ盛りで、モヤってましたがビヤガーデンのテントや創成川を眼下にして面白かった。

初めての北海道、そして札幌の「夏まつり」を満喫しました。

北海道の中心 札幌は観光で成り立っています。それに初めての北海道、初めての札幌の「夏まつり」を満喫しました。楽しかった。