コロナの特効薬mRNAワクチン

緊急事態宣言を発してもコロナの感染が止まらず、とうとう1万人の死者を出してしまった。世紀に一度のパンデミックとはいえコロナの感染の恐ろしさに驚いています。

いまから162年前の安政5年(1858年)に江戸でコレラが流行はやりました。上海から長崎出島に上陸し、大坂、江戸へと感染拡大したようです。余談になりますが、少々コレラについて書きます。

安政5年(1858) 36x50cm
天壽堂蔵梓の「項痢(ころり)流行記」の口絵

江戸だけで26万人が感染したそうです。当時、築地本願寺で13,500人の死者、浅草で15,148人、下谷で12,849人、小石川で1,907人、牛込で2,014人、深川で8,459人と、短期間で凄まじい感染だったと記録されています。

この時代、コレラ菌を発見したコッホ、ワクチンを作ったパスツールの25年前です。日本中がコレラに震撼し、医療は手探り状態で無力でした。キニーネと麻薬を与え温浴させるしか手がなかった。容赦なく感染は拡大し、屍累々とした情況だったのです。

因みに安政という年は、元年に東海地震、南海地震など大地震が起こり、翌年も江戸に地震があった。ハリスが下田に来航したのが安政3年、日米通商条約が引き金となり安政の大獄が始まった。安政5年から安政7年までコレラが爆発的に感染拡大したのです。鬼神乱れ、人心乱れる中で何故か疫病が蔓延してしまう、直接の因果関係はないにせよ、なにか歴史に不思議さを感じます。

さて、今回のコロナに話を戻します。
世界中が震撼し、有効な医療は手立てがないままに、人工呼吸器(ECMO)やレムデシビル、アビガン、ステロイド系抗炎症薬などの応急措置で対処してきました。
今、やっとワクチンが開発され日本で承認されて一部医療従事者から接種が始まりました。コロナの特効薬ができたのです。

このワクチンはmRNAワクチンと言って、従来のワクチンとは全く異なります。世界で初めて開発されたワクチンなのです。
ゲノムの時代、PCR検査も世界初の技術でしたが、このmRNAワクチンも世界初の画期的な技術から開発されたのであります。

ビオンテックがワクチン生産を始めたマールブルク工場=同社提供

バイオベンチャー、独ビオンテックの開発がなければこんなに速くワクチン開発はできませんでした。

開発は一人の科学者カタリン・カリコ氏から始まりました。
カリコ氏はハンガリーの出身で、1985年にUSAのペンシルベニア大学に移って研究を始めたそうです。

カタリン・カリコ氏(Katalin_Kariko)

東欧共産主義国だったハンガリーを出国するとき、外貨持ち出し制限があり、900英ポンドを娘のテディーベアに隠して出国したそうです。ペンシルベニア大学でも研究成果が出ずに、1989年助教授を降格されてしまったそうです。

ペンシルベニア大学のドリュー・ワイズマン教授と出会って共同で2005年に論文を発表しました。コロナのmRNAワクチンは、この発表での特許が基礎になっています。

ワクチンの開発には10年かかることも珍しくない中、コロナ感染が拡がって僅か1年、2020年12月には英国で承認されたのです。おたふく風邪のワクチンでさえ4年はかかったのですから超スピード開発でした。また、もしコロナが何年も前に発生していたら、今回のようなスピードでワクチンが供給されなかったでしょう。

ビオンテック社(Mainz.BioNTechSE)

不遇だったカタリンカリコ氏を2013年副社長に迎えたのが独ビオンテック社(Mainz.BioNTechSE)でした。

このビオンテック社が、ファイザーやモデルナへ技術供与しワクチンが作られることになったのです。

体内で異物として拒否される免疫反応を抑えるためにmRNAの一部を改変する方法をとるmRNAワクチンは、通常のワクチンと違い病原体を体内に入れるわけではありません。
mRNAで目的のタンパクを作らせることを阻害させます。そしてmRNAはすぐに分解され消滅してしまいます。
そしてこの新型コロナワクチンは、がん治療や再生医療にも道を開く「mRNA医薬品」としての可能性を秘めているのです。

2020年12月18日カリコ氏とワイズマン氏が自らワクチン接種を受けました。感無量であったに違いありません。

まるでコレラの現代版のようなコロナに、最新のゲノム技術に支えられた、mRNAワクチンという特効薬が開発されました。

コロナワクチンの接種が、人口の60%を超えれば終熄に向かうと言われています。

きっとノーベル賞に匹敵するゲノム編集、mRNAワクチンの開発者に敬意を表しつつ、ワクチン接種を受けたいと思っています。

 

 

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