ゼロ成長、資本主義の終焉

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

ひょっとして資本主義が終焉に向かっている。経済は時代の気分を反映します。「安定は、希望です」というキャッチコピーは、いまの時代の気分として正鵠を射たものだと思います。

「資本主義の終焉と歴史の危機」の著者:水野和夫 氏
「資本主義の終焉と歴史の危機」の著者:水野和夫 氏

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書) 」の著者:水野和夫氏はアベノミクスを痛烈に批判しています。

安倍政権になって、アメリカも上向いて、ユーロ危機も一段落し、(更にまた原油安)の幸運が続いただけです。やったことは市場にお金をぶち込んで、お金をじゃぶじゃぶにしただけです。
市場は「このバラマキは何なの?」と詮索しているにすぎない。 そしてデフレの現実を、目の当たりにすることになる。
同じようなことを2003年にもやったじゃありませんか?
アベノミクスはケインズが批判した古典派経済学のゾンビのようなものです。周辺の搾取を強化します。
成長はあくまで手段であって目的では有りません。「成長なくして希望なし」これはアベノミクスが取り憑かれた本質です。
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それなのに、Base Maney をじゃぶじゃぶに増やした黒田総裁。円安になり株価が上昇し、PER は15位まで低くなり改善しました。でも製造業は円安で、為替だけで増益になった恰好で、実態は何も変わっていません。
日銀が更に国債を買いまくれば、国債市場は機能しなくなって一斉に売りに出たら国債は下落し、金利急騰をまねきます。
こんなリスクが現実にならないよう手を打つ必要があります。
日本はバブル後20年は正常化へのプロセスを進んでいたのですが、アベノミクスはその時計の針を戻してしまった。 アベノミクスで実現できたのは、円安と株価だけです。

そもそも資本主義“Capitalism”は、1215年ローマ教会が金利を認めた時から、欧州で資本主義が始まったんです。
仕組みは簡単です。儲けることができれば借金してもOK、その利潤の中から利子を払えば良い訳で、資本は増えます。
利子率に資本主義の本質があるんです。言い換えれば利潤は利子率として現れ、利子率は資本の利潤率の代理変数なんです。
利子率がゼロになるということは、成長力がゼロ近くなったことで、資本主義の増殖ができなくなったことに繋がります。
即ち、利子率が殆どゼロになった現在、資本主義は終焉したことを意味しています。ポスト近代に向かっています。

Immanuel Wallerstein
イマニュエル・ウォーラーステイン

Immanuel Wallerstein

デフレの原因は、成長力がゼロ近くまで低下したためです。
イマニュエル・ウォーラーステインの世界システム論にもある通り、歴史的にみてヘゲモニーhegemony国家(覇権国家)は変遷してきました。
17世紀中葉はオランダ、19世紀中葉はイギリス、そして第二次世界大戦後からヴェトナム戦争までアメリカがヘゲモニーを握っていたんです。
帝国主義は、絶えず周辺・辺縁を拡張し続けながら、その中心と周辺を結びつけてきました。その膨張政策は、正に資本・帝国主義のイデオロギーだったのです。
ところがITによって、偏在する世界の資産は、資源にせよ、労働にせよ、金融にせよ差益を産まない構造になっていったんです。即ち、時ここに至って世界何処も、成長力がゼロ近くまで低下してしまった訳です。
アメリカの次のヘゲモニー国家は存在せず、資本主義、帝国主義そのものが消えようとしているのです。

金融界では、自由化からグローバリゼーション(Globalization)が始まりました。
images アメリカの単独覇権が確立され、冷戦終結後の自由貿易圏の拡大、企業の多国籍化、そしてIT技術が進化した金融がグローバリゼーションを推し進めました。
金融のグローバリゼーションによって、金融危機は瞬時に伝播しました。そして今日振り返ってみると、金融商品を作るための”株式会社”になってしまったのです。
市場経済化、それは金融化だったのです。

“株式会社”は誰のものか? 長年、同じ企業に務めて会社に愛着を持っているサラリーマンにとって、情けないことに、その答えは「”株式会社”は”株主”のためのもの」だったんです。
それも浮気っぽい流動的な”株主”なのです。PERによって世界を徘徊する資本(株主)のことです。 その流動性もミリ秒、1/10ミリ秒単位で、瞬時に移動してしまいます。
その動きは「金融は美人投票」といった品のいいものではありません。買い漁り、売り浴びせられる対象としての”株式会社”になっています。こだわりも愛着も全くありません。

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こんな”株式会社”社会では、安いものを買って、使い捨てる消費が、技術を劣化させています。
また安く受注することは、「この価格で、そこまでは出来ません」とクレームも排除できます。
同じように雇用の劣化が始まっています。社員の非正規化によって、総人件費を減らし、流動費化することで成長と言って到来した時代が今です。今や人材を育成する現場(仕事)が無くなってしまっています。
企業内研修ではアメリカスタンダードを徹底的に学習し、自らを “株式会社”という商品として市場に投入しているんです。”株主”は市場そのものでした。

財やサービスには、飽和状態即ち上限があるんですが、面倒なことに金融には上限がないんです。
即ち、株や債権は、数量ではなく価格で調整されます。いま焦点になっている TPP という新自由主義も数量でなく、徹底的に価格で市場を調整しようとするものなんです。
価格変動が大きくなればなるほど、投資家の利益へ繋がりますから、思う壺です。

各国の10年国債の利回り
各国の10年国債の利回り

国債金利が2%を超えない状態が長く続いています。これは景気循環などで説明がつかないわけで、資本主義自体の中身が変わってきてしまっていると捉えるのが素直な見方です。
金融のグローバリゼーションによって、ゼロ成長時代へと突き進んでしまったのです。

ゼロ成長時代は、量から質への転換です。今「成長」の意味が全く変わってしまった。質の尺度はGDPでは測れないのです。
GDPの成長が目的ではありません。成長に期待された、豊かさが目的です。要は、ゼロ成長でも雇用が維持されて、うまく経済が回るような仕組みを作れば良いのです。
資本主義は「次の次」がないと成り立たない仕組みになっています。そういった意味から日本も世界も飽和してしまったのです。
成長は必ずしも必要ないが、豊かさへの希望は必要です。即ち
「安定は、希望です」

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