ドイツ・旅行エピローグ

ドイツ旅行も最後になって風邪を引いたか?と思ったのですが、実はコロナにかかってました。海外旅行中でのコロナ感染は大変でした。最後に予定通り帰国できなかったという一席であります。

旅は予定通り行かないから面白いなんて言ってる場合じゃない。風邪じゃなく、コロナにかかったと分かったのは、簡易検査キットで調べて分かりました。

よりにもよって、明日出発するその日(10月31日)高熱とせきにみまわれ、コロナ感染と判明。悪いことにその日はドイツの休日で病院も休み。高熱で朦朧もうろうとして一日中寝ていました。

帰路(JAL便)の変更、旅行保険の延長など息子がやってくれました。旅先での病気になった老人は、何とも厄介やっかいな者です。

翌日(11月1日)コロナ患者は自宅待機で病院へは来ないよう」 言われた。
だが息子のかかりつけ医に「高齢者だから」と言ってやっと診てもらうことができました。
コロナで気管支炎になりかけていると診断されました。

当たり前ですが、ドイツで日本の健康保険は効きません。すべて自腹での診断になります。診察料と薬代で合計154€(約24,700円)もかかりました。

おまけにJAL便変更などで36,280円もかかった。この変更では、HamburgからFrankfurtまでのAir便が取れなかった。仕方なく、HamburgからFrankfurtまでAir便を自腹で手配する事になった。

加入していた旅行保険で賄えるかどうか分かりませんが、旅行保険の期間延期も行い、これに21,890円もかかってしまった。

大変な出費である。バカバカしいと言えばそれっきりですが、これで帰国できるなら致し方ないと諦めた。

ところが、悪いことはまだ続きがあります。延長変更した帰国日(11月5日)朝のことです。Hamburg空港で、車中立てこもり事件が発生。空港は全面閉鎖、全便欠航となってしまいました。

これじゃFrankfurt発のJAL便(帰路)に間に合いません。
息子と相談してDB(ドイツ鉄道)で行くしか方法はありません。息子にTicketを取ってもらい、鉄路で行くことにした。

Hamburg(Hbf)で皆とお別れ

Hamburg(Hbf)からFrankfurt(Hbf)まで特急ICEで5時間かかります。心細い思いで、重いスーツケースにリュックをかついで、Hamburg(Hbf)からFrankfurt(Hbf)まで鉄路の一人旅となりました。

中央駅(Hbf)から空港(FlugHafen)への乗り換えも初めてで心細く、不安でその上やみみ上がりで、体調も最悪でありました。

空港のチェックイン・カウンターで荷物を預け終わった時は、本当にほっとした。「あゝこれで日本に帰れる」とね。

実は、この旅は最初からハプニングだらけでした。往路の FinnAirが機材トラブルで羽田に引き返してしまい、乗継地ヘルシンキHelsinkiに4時間も遅れて乗継便に間に合わなかったハプニングもありました

後期高齢直前(74才)の長旅(海外旅行)はハプニングだらけでした。旅行保険が129千円おりました。旅先ではお金には代えられないと思うものです。高齢者は旅行保険は入っておくものですね。

よくもまあSOS寸前で乗切って無事に帰れたと思っています。長旅は今回を最後にしようと心底しんそこから反省しています。

Travel is Trouble のエピローグ付きのドイツ旅行でした。

 

ドイツ・ハンブルクの紅葉

ドイツ滞在の終盤10月29日の日久々に空が輝いた。そこには太陽に照らされた紅葉が目に眩しかった。Hamburgにはこんな言葉があるそうです。

Nirgendwo strahlt der Himmel so schön grau wie in Hamburch (ハンブルクほど美しく灰色の空はどこにもありません)Hamburgは「Himmel so schön grau」灰色に輝く空です。

そんな季節、Hamburgにも晴れることがある。太陽のまばゆい光が紅葉した木々に当たって見事な輝きを放っちます。思わずシャッターを切った一枚一枚です。

Hamburgに住むことは大変でしょう。灰色の空を「Himmel so schön grau」灰色に輝く空と言わなきゃやってられないほどに、冬は暗くて鬱陶しい季節なのです。

そのなか日に照らされた紅葉の美しさは格別なはずでしょう。

 

ドイツ・HOKKAIDO?

え!?ドイツにHOKKAIDOがあるの?とびっくりしました。
実は、地名でなくて「かぼちゃ」のお話です。

スーパーで食べ物としてちゃんと売っています。一個1.49€ですから240円くらいでしょうか?

調べてみると30年前にドイツに入って来て定着したそうです。
食べ物は変わるんですね。

何でも幼少期を札幌で過ごしたミュンヘン近郊在住の日本人が、1993年に種を日本から輸入したのが、Hokkaido Kürbisの始まりだとか。

何か北海道住民にとってドイツの「HOKKAIDO」って言う「かぼちゃ」が面白くて投稿してしまいました。恵庭では今年もハロウィンの飾り付けを28日から行うようです。(下の写真は昨年のもの)

この季節、ドイツでもハロウィンのかぼちゃが飾り付けられていますが、こちらのかぼちゃはHOKKAIDOとは形が違うようです。

その他、ドイツでは「柿」もあります。北海道ではない「柿」がドイツでは実がなります。ドイツ語でKAKIと言います。

これもスーパーに売ってますがスーパーのものはドイツ産かどうか疑わしい。

他にも、いちじくが売られています。恐らくトルコか何処か?外国産のものでしょう。

 

 

‥ということで、北海道へ今日発ちます。

 

 

ドイツのBike(自転車)事情

ドイツ旅行して自転車事情が随分違うことを感じます。
先ず、自転車の種類が多く、高価な自転車が多いことです。
自転車はエコな乗物として定着しています。

殆どの自転車がロードバイクのような自転車が多く、高価で殆どが1000€~2000€(16~32万円)もするのです。

電動アシストのロードバイクなどは、3000~4000€(48~64万円)もします。

また、子供を後ろに乗せるママチャリはありません。
殆どが前に子供を乗せる自転車です。

これは電動アシストですが価格6000€を超えます。

ちょっと買えませんね。

自転車道(赤い道)が歩道に乗り込んだり、車道に乗り込んでます

自転車が走る専用道も日本とはずいぶん違います。
歩道、自転車道、車道とはっきり分れています。うっかり自転車道を歩こうものなら大声で叱られてしまいます。
大人も子供も自転車道にうかつに入れません。

自転車は、S Bahn(路面電車)、U Bahn(地下鉄)、DB(旧国鉄)に乗せれます。大概たいがいは最後部車両か、中間に専用車両があります。

日本のように改札やプラットホームは有りませんから、一般道路からホームまで路面が続きます。自転車に乗ったままホームを走る人はいませんが、手押しで駅構内やホームに入ってきます。

驚いたのはDBの駅に、自転車専用のロッカーがありました。

さらにE-Bikeの充電ロッカーやタイヤ・チューブの自動販売機までありました。Bike旅の旅行者用です。(まだ珍しい)

ドイツはBike(自転車)王国だと思いました。Bikeと共に旅する楽しさを愛するドイツです。

日本のように輪行バックを持ち重たいリュックをかついで旅行する人は、ドイツでは見かけませんでした。

ぜひ日本でもBike旅を楽しめる環境を整えて欲しいものです。

蛇足ですが、ドイツでは月50€ の定期を買えば、S Bahn(路面電車)、U Bahn(地下鉄)、DB(鉄道)も自由に乗り降りできます。

ドイツは改札が無いけど、もし検閲で無賃乗車が見つかったら法外な罰金が課せられます。

ドイツは「法規と罰則」の国、日本は「安全と安心」という曖昧な国ですから、道交法でも「努力義務」みたいな言葉が生まれます。

ドイツのように徹底した「法規と罰則」が課せられると日本人は窮屈でやっていけないかな?

自分もE-Bikeに乗っているから、ドイツのBike王国がうらやましい。お国柄が違うと言ってしまえばそれだけのことですが、混雑しない地方のJRでは、Bike乗車の便宜を図ってもらいたいものだ思います。

 

ドイツ・デュッセルドルフ(düsseldorf)の旅

14年前デュッセルドルフ(Düsseldorf)に来たことがある。息子の下宿を起点に、20日間(7/24~8/12)ほど旅行した事がある町で、少し馴染みがある街です。

駅に降り立って14年前を思い出した。7年間この町に住んだ息子の目には「大きく変わった!」そうだが、私には「路面電車(S Bahn)が減って、地下鉄(U Bahn)が整備された」程度で、デュッセルドルフ(Düsseldorf)の街並みの様子はあまり変わっていない気がした。

旅行も終盤を迎え、デュッセルドルフ(Düsseldorf)に慣れた息子と一緒にちょいとビールを飲みに行った。アルト・ビールである。
DüsseldorfのBreuHaus でなければ味わえない雰囲気と旨いビールです。(Hamburgにはこう言った店はないようです)

ビール樽が地下からドーンと地上に誕生する。その新鮮なビールを待ち構えるようにしてグラスを空ける。ウエイターがサッサとビールグラスを取り替えに来る。注文なんか無視して勝手に空のブラス下げコースターに注文回数のチェックを入れる。

ここDüsseldorfでもKölnでもビールグラスを手で塞いてないと、ウエイターは勝手に次のグラスと交換してしまう。懐かしいビールの飲み方に酔いしれて、二軒目へとハシゴしてしまった。

かつて息子の下宿近くにあったギリシャ料理の店にも足を運んだ。昔と同じうまい味を堪能たんのうした。息子が何やら店員に話しかけたら、店員も一緒に一杯やろうと、祝ってくれ盛り上がってしまった。

懐かしい düsseldorfの夜を楽しんだ。ドイツ旅行の終盤らしく楽しいひと時を過ごした。


翌日は雨だったが「ライン川を見たい」と希望し、息子に連れて行ってもらった。僕にとってDüsseldorfといえばライン川です。
特に理由わけはないが Düsseldorfといえば、ライン川が似合うだけのこと。Shumannはライン川を見て曲を書いた。ライン川に身を投じて自殺しようとした。今もライン川は急流です。

14年前とは景色が変わってしまって少しがっかりしたが、ライン川の速い流れは昔と同じ。この流れがSchumannの交響曲「ライン川」とよくマッチしていると今も思う。

ぶらぶらと街なかを散歩しながら、市庁舎(RatHaus)前でコーヒーを飲んだ。おや?イスラエル旗とウクライナ旗がたなびいている。そうだった。世界はどこかで戦時中なのだ。

右にイスラエル、左にウクライナの旗がたなびく

さて、ハンブルク(Hamburg)に帰るとするか! たなびく旗を見ながら、帰り支度をする気になった。