感傷の 姫路・岐阜の旅

オフクロの介護は1年2ヶ月続いた。最期の頃は昼夜転倒して、これ以上、男一人で介護できないと限界を感じ諦めかけていた。

そんな矢先にオフクロは亡くなった。呆気なく介護が終わり、介護から解き放たれると一人残された寂しさに襲われた。その寂しさを紛らわすように旧友を訪ねて姫路と岐阜へ旅行に出ました。

駅前から真正面に姫路城を望むことができる。

昔、姫路城を車窓からみて、一度は姫路を訪ねてみたいと思っていた。

姫路駅は城を正面にするよう意図的に建てたのだろうか?
駅から見る姫路城は偉容であります。

晴れてはいたが、やはり梅雨空で湿度が高くかすんでいた。これほど堂々として迫力がある城は、皇居(江戸城)以外に無いだろう。

午後になって早めではあったが、旧友と酒をみ交わした。40年も昔からの旧友はこころよく迎えてくれた。
互いに白髪となり人生の大半を終えての再会でであった。

住むところも境遇もまったく違っているが、高齢となったいま、日々の日常のこと、病気や健康のこと、子供や家族のこと、何でも踏み込んだ話しは、飾らずに楽しいものだった。

健康が最大の関心となる後期高齢(75才)を控える身となって、我が人生を俯瞰できるようになったのだろうか?殆どのことを受容できるようになったのだろうか?時間を忘れて語った。

姫路を後に、ゆっくり半日かけて岐阜に向かった。関西の景色を車窓に見ながら、かつて仕事で行き来した頃を思い出した。

遠くに金華山(岐阜城)を望む。その先は百々ヶ峰。

岐阜は出生地ではないが、4才から12才まで過ごした故郷のひとつです。
かつて住んでいいた所は、今どうなっているのか訪ねてみたかったが、岐阜駅に着いたとたんその気はせてしまった。

もう故郷など何処にもない。この数十年でビルが建ち並び、すっかり変貌してしまった。地名だけが昔を偲ばせるだけで、感傷的に故郷をおもうことは諦めました。数十年の時間は懐古的な気持ちを拒絶するほどに遠い時間になったと思い知らされました。

再会した旧友との話は尽きない。自宅に招いていただき、あれこれ話している間に、あっという間に3時間も経っていました。

更に、外で酒を酌み交わして遠慮ない話は尽きませんでした。
かれこれ40年以上にもなるだろうか?ちょっと数えきれないほど昔の旧友であります。
ここでも健康のこと、これまでの経緯や先々のこと、語れば話は切がありません。何もかも時間の流れとともに変わってしまったが、友情は変わらない。否、旧友の友情は磨きがかかってきた。

Lineで「楽しい時間でした。サードライフの準備がんばってね。又 何処かで会いましょう」とのメッセージをくれました。

感傷的なひとり旅でしたが、旧友との再会が楽しさを彩ってくれました。そうね、サードライフの準備にかかろうかね。

 

 

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