初めてのPMF

PMF(Pacific Music Festival)には一度いってみたいと思っていました。
このブログ”アメリカの血筋を引く北海道”で投稿した通り、札幌は冬は「雪まつり」夏は「PMF」で楽しめます。

PMFは33年前レナード・バーンスタインが創設(1990)したそうです。彼は当初、中国公演へ出掛ける予定でしたが、天安門事件(1989)で公演が中止となり札幌に来ることになったそうです。

「親愛なるレニー」には、バーンスタインとの恋に落ちた橋本邦彦(LGBTQ)はその手紙の中で、芸術や愛について綴っています。

そして、PMF創設した数カ月後、バーンスタインは亡くなっています。

前置きはこの程度にして「初てのPMF」のお話をします。
それは、2023年PMF開催ニュースを目にしてからです。

既にメインのPMFオーケストラ演奏会は満席で予約できず、ベルリン演奏会の席がやっと取れて、7月14日に参加させてもらいました。

19:00~開演なのに、札幌に着いたのは15時半でした。
たっぷり時間があり、札幌でデパートに立ち寄ったり、街を探索した後でのPMFとなりました。
地下鉄南北線に乗らず、東豊線に乗って豊水すすきの駅で下車、時間つぶしに創成川づたいに歩き、中島公園まで歩きました。

創成川は札幌市内を流れる人工の河川で、中島公園南で豊平川から取水しています。この中島公園近くの創成川は、昭和レトロのような、すすきのの裏通りを歩くような雰囲気を味わえました。

札幌コンサートホール(キタラ)近くの菖蒲池の前にあるカフェ花月でビールをたのみ一休み。

あいにく小雨が降り始めましたが時間はたっぷりあります。小雨が上がるまでゆっくり過ごし、パラソルの下で心地よい風に吹かれ、時間をつぶしました。

さて、腰をあげようかと席を立つと、後ろで犬を抱いていた婦人から「犬はお嫌い?」と声を掛けられました。「キレイな目をした犬ですね」と返して、荷物を肩にかけキタラへ向かいました。そんな雰囲気のある中島公園が好きで以前から気に入っています。

ゆったりした時間を楽しんだ後で、初めてキラタに入りました。素晴らしいコンサートホールです。パイプオルガンもある本格的なコンサートホールです。
東京のオーチャードホール、オペラシティーホール、サントリーホールに劣らず、すばらしいホールに驚きました。かの有名な指揮者サイモン・ラトルも絶賛したというホールです。

PMFベルリン演奏会の最後の曲は、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」組曲でした。

帰りの時間を気にしながら足早に、地下鉄 中島公園駅に向かいました。自宅の恵み野駅への終電は深夜まであります。札幌から遅く帰ったのは初めてでしたが、何も心配ありませんでした。

何かとても幸せな「初めてのPMF」を過ごさせて頂きました。


後日、バーンスタインがPMFにかける想いを読んで感動した。

音楽のために、そして音楽を通して人々のために何をなすのがベストであるのか。神から与えられた残りの時間を、一番最初に愛したピアノに立ち返り、ベートーベンのソナタ全曲を演奏すべきものなのか。
あるいは指揮者としての活動に専念し、ブラームスの交響曲全曲を演奏し続けるべきか。それとも作曲家としての活動に専念し、様々な曲を作るべきなのか。
71歳にもなれば、そのような問題について考えるものです。
そして、それほど迷うこともなく、このような結論に達したのです。
残ったエネルギーと神が与えたもうた時間を教育に捧げ、私が知っていることすべて、分かち合えるものは何でも、多くの若い世代、その中でも特に若い人たちと分かち合うべきだと。
音楽についてだけでなく、芸術についても、そして芸術についてだけでなく、芸術と人生の関係についても。
更に、自分らしくあることについて、真の自分を知ること、
「自分が何であるのかを知ること」、そして最善をつくすことにも。このようなことについて、できるだけ多くの人々に伝えることができるなら、私はとても幸せです。
(1990年6月26日 PMF1990閉会式での挨拶)

 

 

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「初めてのPMF」への1件のフィードバック

  1. バーンスタインのPMF1990閉会式での挨拶、最後の段の訳はこちらの方が良いと思って追記します。

    自分のままであること、ありのままの自分を見つけるということ、自分という人間を知るということ、できるかぎりの最高の仕事をするということ。そうしたことについて、私が知っていることを、分かち合いたいのです。
    (「親愛なるレニー」P344、より引用)

    こうした人生を生き切ってみたいものです。

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