高貴なる敗北者

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「歴史は勝者の記録である」という意見に賛成できません。
世俗的な勝者(成功者)が歴史を作ったのではありません。まして日本では、敗者となった英雄を称える美学があります。

mononofubaka

以前、見えざる日本の心の文化には、敗北者の系譜(小説「もののふ莫迦」中路啓太著)といった、際立った特徴があることを書きました。日本では敗者にこそ、美学を感じる文化があります。

源義経は、九郎判官義経くろうほうがんよしつねとして親しまれ、兄 頼朝の権謀術数にかかった敗北者ですが、今も人々から愛されています。平家物語の冒頭は、日本人なら誰でも知ってます。

祇園精舎ぎおんしょうじゃの鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹さらそうじゅの花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。(平家物語より)

このような『平家物語』に始まり、『吾妻鏡あずまかがみ』や『義経記ぎけいき』として義経は伝承され、謡曲の「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」などで、義経は英雄として愛されてきました。
頼朝は武士による鎌倉幕府を作り、以降700年間に及ぶ日本の封建体制の基礎を作りました。歴史を築いたという偉業を成し遂げたのに拘らず、英雄的な評価は、義経に奪われてしまいました。yoshitune義経は、21才のとき華々しく登場します。そして30才で亡くなり、短くもドラマチックで、哀感あいかんを呼ぶ人生です。
一の谷・壇ノ浦と全戦全勝を重ねた後、逃亡者として没落し、自刃し果てるまで、あたかも花火が放物線を描いて消えゆくような短い生涯でした。そして、後々の時代の評価は、義経を事実以上に美化してきました。

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Ivan Moris(1925-1976)

高貴なる敗北の著者アイヴァン・モリスIvan Morisは、義経を以下のように紹介してます。

義経の生涯についての事実よりも、数百年を経るうちに日本人が次第に義経を美化し没落の中から生まれ出る完璧な英雄の典型に仕上げてきたことである。
たとえ歴史上の義経が存在しなかったとしても、この英雄像は必ず創造されたに相違ない。義経ほど人に愛され、彼ほど長く名声を保っている英雄はほかにいるだろうか。

ある意味で「敗者の美学」とでも言いましょうか、日本人には、何と悲劇の英雄像が多いことか。幾多の時代を経て、敗北者をでるこの国の文化、日本には敗者の美学が作られてきました。

masasige敗北を承知で、湊川みなとがわに賭けた楠木正成くすのきまさしげもその一人です。義経と同様、正成も史実より伝説的な人物であります。
史実に照らして確証が得られるのは、たった5年間(1331-1339年)だけです。とにかく、37才までの正成の生涯は空白であります。
ときは、鎌倉幕府の北条が衰え、自由狼藉、寝返りの時代でした。次の時代は王政復古ではなく、次なる封建勢力のままに迎える無法時代でした。南北朝が56年も続き、そして疲弊した時代(室町幕府)へと進みました。この時代を綴った『太平記』は、表題とは裏腹に戦乱の軍記となってしまったのです。

正成は、足利尊氏に敵対し、無能で時代錯誤だった後醍醐天皇に巍然ぎぜんたる節義を貫き通しました。
卓越した戦略師であった正成が最期を迎えた湊川みなとがわの合戦。これに際して、正成まさしげ正行まさつら父子の別れは、大楠公の歌(唱歌)として有名です。特に明治政府の頃、殉ずる正成の姿が喧伝され、美化されました。武士道と愛国心を煽るために利用されてしまいました。

その後の日本史も、万民救済の蜂起に挑んだ大塩平八郎や、天啓愛人を教え自ら国賊の道を選んだ西郷隆盛など敗北者の英雄は実に多いのです。

日本人の文化には、俗にいう勝者(成功者)には同情的ではありません。逆に、悪徳さえ見つけています。
「平家物語」冒頭の部分も含めて、「英雄とは『あわれ』を理解する人格者」であるといった、日本人の心(美徳)を描き出そうとしているかのようです。ここに日本人の美意識があります。

祭祀さいしとしての英雄または王の破滅は世界各地の神話の基本的主題である。ところが西洋と日本には次のような差異がある。
つまり西洋ではその破滅の原型のほとんど全体が神話にのみ属しているのに対して、日本では歴史の次元に入り込んできて実在の人物の上に投影されている。(「高貴なる敗北」より)

このように、事実としての出来事より、神話的要素が投影された(神話的)主題が重要になるほど、象徴的な日本の心(美徳)です。

もし、ナポレオンが日本人であったらどうだったろうか?
哀感と共感をもって語られ、高貴なる敗北者として、オペラの一つも生まれただろうに。

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