私は雑草になりたい。冬(逆境)をも味方につけ、その場で自ら変革する力を持ち、苦難を乗り越える。そんな雑草になりたい。
「植物はなぜ動かないのか」という、ちょっと変わった題名の本を読みました。
今年(2016)4月新聞のコラムを書いた雑草学の稲垣栄洋氏に興味を持ったからです。
読み了って、もの言わぬ雑草の声が聞けたら、こんなことを言うのでは?と想像してみました。
オレ達、雑草は、誰も世話してくれねぇんですョ。だからといって放っておかれると、これまた生きてはいかれんのですョ。
踏まれたり、時々草刈りや草むしりされないと、オレ達は生きていけねぇんだ。ちぎれた根から芽を出したり、地中の種に光があたって、また雑草になるのさ。
放っておかれる方が困るんだ。
放っておかれると、オレ達より大きな樹木が繁りだして、オレ達は追っ払われちまうんでさッ。
踏まれてもオレ達は平気なんだが、樹木の奴等に陽の光を奪われちゃうと、もう生きてられねぇんです。だからオレ達は逆境を利用して生きてるってことになるのさッ。
寒い冬だって、霜に当たりながら、我慢して葉を広げてりゃ、春になったとき、いの一番に花を咲かせられるんだ。
ほかの花が咲く頃にゃ、さっさと種を付けて、種を飛ばしてんだ。冬だってオレ達の味方なんだぜ。
まっ、言ってみりゃ自ら逆境を選んで生きてるってところかね。
踏まれても立ち上がらねえのさ。横に這いつくばって伸びりゃ花は咲き、種だって立派に付けられるんだ。
花を咲かせるのが目的じゃねえんだ、種をつけて子孫を残すのが大切だからね。
それにオレ達は、あちこち動き回ることができない代わりに、住む場所で大きさを10倍にも変えられるんだ。調子がいい時は巨大になれるし、調子が悪い時はちっちゃくなってんさッ。
そしてちっちゃな時だって、ちゃっかりちゃんと種をつけてんだョ。
肝心なことだけど、オレ達はどんなに不適・不遇でも、臨機応変に適応して生きてってるのさッ。
河原でも、道端でも、空き地でも生きていけるし、一年草になったり、多年草になったり変幻自在ってところさッ。
結局のところは、オレ達は動けない分、その場で立ち向かって、乗り越えるのに、自ら変革するしきゃならなかったのさッ。
そうりゃ簡単なことじゃねぇョ、どんなに辛いことがあったことか。それでも決して避けねぇで、苦難を乗り越えねぇとなッ。
とにかく、大目的の子孫を残すことだけは、譲らねぇでやって来たって訳さ。
変えなきゃいけねぇものと、変えてはいけねぇものが、見えてくりゃ、生き方が分かるッてことョ。