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ドイツのBike(自転車)事情

ドイツ旅行して自転車事情が随分違うことを感じます。
先ず、自転車の種類が多く、高価な自転車が多いことです。
自転車はエコな乗物として定着しています。

殆どの自転車がロードバイクのような自転車が多く、高価で殆どが1000€~2000€(16~32万円)もするのです。

電動アシストのロードバイクなどは、3000~4000€(48~64万円)もします。

また、子供を後ろに乗せるママチャリはありません。
殆どが前に子供を乗せる自転車です。

これは電動アシストですが価格6000€を超えます。

ちょっと買えませんね。

自転車道(赤い道)が歩道に乗り込んだり、車道に乗り込んでます

自転車が走る専用道も日本とはずいぶん違います。
歩道、自転車道、車道とはっきり分れています。うっかり自転車道を歩こうものなら大声で叱られてしまいます。
大人も子供も自転車道にうかつに入れません。

自転車は、S Bahn(路面電車)、U Bahn(地下鉄)、DB(旧国鉄)に乗せれます。大概たいがいは最後部車両か、中間に専用車両があります。

日本のように改札やプラットホームは有りませんから、一般道路からホームまで路面が続きます。自転車に乗ったままホームを走る人はいませんが、手押しで駅構内やホームに入ってきます。

驚いたのはDBの駅に、自転車専用のロッカーがありました。

さらにE-Bikeの充電ロッカーやタイヤ・チューブの自動販売機までありました。Bike旅の旅行者用です。(まだ珍しい)

ドイツはBike(自転車)王国だと思いました。Bikeと共に旅する楽しさを愛するドイツです。

日本のように輪行バックを持ち重たいリュックをかついで旅行する人は、ドイツでは見かけませんでした。

ぜひ日本でもBike旅を楽しめる環境を整えて欲しいものです。

蛇足ですが、ドイツでは月50€ の定期を買えば、S Bahn(路面電車)、U Bahn(地下鉄)、DB(鉄道)も自由に乗り降りできます。

ドイツは改札が無いけど、もし検閲で無賃乗車が見つかったら法外な罰金が課せられます。

ドイツは「法規と罰則」の国、日本は「安全と安心」という曖昧な国ですから、道交法でも「努力義務」みたいな言葉が生まれます。

ドイツのように徹底した「法規と罰則」が課せられると日本人は窮屈でやっていけないかな?

自分もE-Bikeに乗っているから、ドイツのBike王国がうらやましい。お国柄が違うと言ってしまえばそれだけのことですが、混雑しない地方のJRでは、Bike乗車の便宜を図ってもらいたいものだ思います。

 

ドイツ・デュッセルドルフ(düsseldorf)の旅

14年前デュッセルドルフ(Düsseldorf)に来たことがある。息子の下宿を起点に、20日間(7/24~8/12)ほど旅行した事がある町で、少し馴染みがある街です。

駅に降り立って14年前を思い出した。7年間この町に住んだ息子の目には「大きく変わった!」そうだが、私には「路面電車(S Bahn)が減って、地下鉄(U Bahn)が整備された」程度で、デュッセルドルフ(Düsseldorf)の街並みの様子はあまり変わっていない気がした。

旅行も終盤を迎え、デュッセルドルフ(Düsseldorf)に慣れた息子と一緒にちょいとビールを飲みに行った。アルト・ビールである。
DüsseldorfのBreuHaus でなければ味わえない雰囲気と旨いビールです。(Hamburgにはこう言った店はないようです)

ビール樽が地下からドーンと地上に誕生する。その新鮮なビールを待ち構えるようにしてグラスを空ける。ウエイターがサッサとビールグラスを取り替えに来る。注文なんか無視して勝手に空のブラス下げコースターに注文回数のチェックを入れる。

ここDüsseldorfでもKölnでもビールグラスを手で塞いてないと、ウエイターは勝手に次のグラスと交換してしまう。懐かしいビールの飲み方に酔いしれて、二軒目へとハシゴしてしまった。

かつて息子の下宿近くにあったギリシャ料理の店にも足を運んだ。昔と同じうまい味を堪能たんのうした。息子が何やら店員に話しかけたら、店員も一緒に一杯やろうと、祝ってくれ盛り上がってしまった。

懐かしい düsseldorfの夜を楽しんだ。ドイツ旅行の終盤らしく楽しいひと時を過ごした。


翌日は雨だったが「ライン川を見たい」と希望し、息子に連れて行ってもらった。僕にとってDüsseldorfといえばライン川です。
特に理由わけはないが Düsseldorfといえば、ライン川が似合うだけのこと。Shumannはライン川を見て曲を書いた。ライン川に身を投じて自殺しようとした。今もライン川は急流です。

14年前とは景色が変わってしまって少しがっかりしたが、ライン川の速い流れは昔と同じ。この流れがSchumannの交響曲「ライン川」とよくマッチしていると今も思う。

ぶらぶらと街なかを散歩しながら、市庁舎(RatHaus)前でコーヒーを飲んだ。おや?イスラエル旗とウクライナ旗がたなびいている。そうだった。世界はどこかで戦時中なのだ。

右にイスラエル、左にウクライナの旗がたなびく

さて、ハンブルク(Hamburg)に帰るとするか! たなびく旗を見ながら、帰り支度をする気になった。

 

ドイツ・ビラザクセン(Villa Sachsen)の旅(その2)

ドイツ・ビラザクセン(Villa Sachsen)に14年ぶり、2回目の訪問をさせて頂きました。今回のドイツ旅行クライマックスです。

ビラザクセンの遠景

ビラザクセン(Villa Sachsen)は元ワインセラーの所有する大邸宅でした。
この文化財の保存に悩んでいたビンゲン市から、創価学会が買い取って整備してきたものです。今も綺麗に維持・整備されています。

午前10時に着き、朗々と朝の勤行をさせて頂きました。STさんの勧めで、後継の息子が導師となりました。有り難いことです。

ここに安置されている御本尊は、昭和四十三年一月二十三日、
ドイツ会館安置、願主 池田大作 と脇書された御本尊様です。

右からRüdigerさん、息子、私(moripapa)

いま、このビラザクセン(Villa Sachsen)の管理責任者は、写真右のRüdigerさんです。

仏壇の製作まで自身で行っていただいた方だそうです。

素晴らしい方が、管理・運営されてくださっています。


ColinLagen(当時)

当時、根の葉もない誹謗・中傷を押し切って、創価学会のドイツ文化会館をBingen市に誘致した(当時・市長)コーリン・ランゲン(ColinLagen)さんも、いまは鼻が高いことでしょう。文化財を守るのも学会精神です。

写真撮影の了解を得て70枚も撮ってしまいました。下手な写真ですが、先ずは行ったつもりになって見て頂ければ嬉しい。
(時間がなくキャプションも付いていませんが‥時間を見つけて後で付けていきます)

創価学会が誇る文化的遺産でもあります。機会があればどうぞ行って見てきてください。

1991年6月9日 池田先生撮影

池田先生が1991年(平成3年)6月9日に撮られた写真が掲げられていました。

はるかなる
ドイツの皆様
さち光れ
断固と生き抜き
今世こんぜを飾れや

どれだけ多くのドイツ在住者が先生から激励をいただいたことでしょう?先生は激励の名人です。

左はSTさん、右は息子

このあとSTさんのご自宅に招かれ、素敵なお部屋で食事を頂きながら、長時間の歓談をさせて頂きました。本当に有難うございました。

息子もドイツに来て、人に話せない様な苦労をしたらしい。
STさんは、にこやかに息子の話を聞きながら、自らの体験を通して激励したくださった。

気がつけば、12時~20時まで、語らいが続きました。

STさん宅の素敵な窓辺(ビンゲンを一望できる)

こんな信心の大先輩がいるから今のドイツSGIがある。

STさんに心から感謝して、ビラザクセンの街、ビンゲンを後にしました。

 

 

ドイツ・ビラザクセン(Villa Sachsen)の旅(その1)

ワインシュトラーセ(WeinStraße)の旅に別れを告げ、10月22日、ビラザクセン(Villa Sachsen)のあるビンゲン(Bingen)の街に降り立ちました。

再びの「ドイツのVilla Sachsen」です。
前回2009年7月30日の夏に来ています。

今回14年ぶりの再訪です。楽しみしてきたVilla Sachsenは、明日訪問することにして、ライン川を挟んで対岸の街リューデスハイム(Rüdesheim am main)からVilla Sachsenの遠景を望むことにしました。リューデスハイムは初めての訪問です。

ライン川を挟んで対岸にリューデスハイム(Rüdesheim am main)の街を望む

リューデスハイム(Rüdesheim)は日当たりがよく、良いワインができるワイナリー(Wein Gut)がたくさん有ります。今では有名な観光地になり、にぎわっています。

ぶどう畑の上を通る観光用のロープウェーSeil Bhan(Kabinen Bhan)があり、今は色づいたぶどう畑を眼下にみながらライン川を望み観ることができます。

さて、対岸にビラザクセンVilla Sachsenも遠くに望むことができます。明日訪問すること楽しみしてるVilla Sachsenの遠景です。

観光用のロープウェーSeil Bhan(Kabinen Bhan)の頂上に、普仏戦争の戦勝記念碑Nieder Wald Denkmalがあります。

【普仏戦争】1870〜1871年、ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻もうとするフランスとの間で行われた戦争。プロイセンが圧勝、統一を完成して、ドイツ帝国の成立を宣言した。

ビンゲン側からもこの記念碑が見えます。ドイツが勝った唯一の普仏戦争。勝利の年は1871年で、牧口先生ご生誕の年でした。


明日ビラザクセンにいく前に、地元ドイツSGIのSTさんと、夕食を囲みながら、お話しすることができました。

STさんは私より4才位ほど年上の方で、同行の息子が若かった頃大変お世話になった方です。息子にとっても懐かしい思い出の話や近況報告に花が開きました。

前回も今回もビラザクセン訪問に際してはお世話になりました。旧友との再会は楽しかった。ワインやビールを頂きながら、弾む話に時の経つのも忘れて楽しいひと時を過ごさせて頂きました。

 

ドイツ・ワインシュトラーセ(WeinStraße)の旅

4泊5日のバスツアーはバートデュルクハイム(BadDürkheim)に連泊して、ここを拠点に観光地を巡る旅です。

バートデュルクハイム(BadDürkheim)がワインWein シュトラーセStraße(ワイン街道)の真ん中にありますが、ワイナリーWein Gutの立ち並ぶなかでも、ダイデスハイム(Deideshaim)はワインの街の至高。
ここにはビラVila=館ではなく、シュロスSchloß=城があります。
ちょっと格が上なのでしょう。見れば素晴らしいの一言です。

バスツアーの最終日、晴天に恵まれ素晴らしい景色でした。この小さな街ダイデスハイム(Deideshaim)は、ドイツでは珍しくいちじくも柿も育ち、ワインの葡萄もよく育つ地域なのです。北ドイツとは+5~10℃は温かく過ごしやすいので、リゾートホテルや高級老人ホームもある地域です。

更にノイエ・シュタット(Neue Stadt an der WeinStraße)にも立ち寄って、ワイン屋でグラスワインを飲み、昼食でワインを頂き、とても幸せな一日を過ごしました。

自分もワインが大好きですが、息子もワイン好きでドイツ・ワイン通です。親子してワインを毎日頂きました。

ドイツワインで310€(約5万円)もするワインって、どんな味なんだろう?上を見ればきりがない。

さて、これでバートデュルクハイム(BadDürkheim)を拠点としたバスツアーとはお別れして、いよいよドイツ創価学会の文化センター(Vila Sacksen)があるBingenへ移動します。楽しみだな~。