これは自慢話であります。人の自慢話ほど聞くに堪えないものはない、そう思ってらっしゃる方は、どうぞ読まないでください。
老人になって道楽を見つけました。BirdWatchingとCamera 即ち鳥とカメラ合わせてトリカメ道楽です。道楽とは趣味にふけ、剣道、柔道、茶道、花道と同じく道に享楽を覚ることであります。
俳句と作品写真は似てる
作品としての写真を作品写真と言い、単に記念写真として撮るものではありません。作品写真にはそれなりの理屈があります。
情景を切り取る点で、作品写真は俳句に似てる処があります。
正岡子規は『俳句の初歩』で「理窟を含みたる俳句といふ」と云ってます。
作品写真も理屈がありストーリー性を持っています。
俳句も作品写真も一瞬の面白さにあると思います。
カメラと作品写真には理屈がある
一瞬のシャッターチャンスに準備します。WB(ホワイトバランス)、ISO感度、撮影モード、AFモード、露出モードなどの設定です。
そしてフレームの中で主題は何か?被写界深度は?前or後ボケ?構図は?そしてF値とピントを合せます。瞬時に考えて、被写体にストーリー性を持たせ作り上げます。
写真の設定は理屈です。それを知った上で、フレームの中で何を訴えるのか?
被写体にストーリー性をどうもたせるかがないと心に響く写真にはなりません。
ロバート・キャパの写真の素晴らしさはストーリー性があるところです。
見入ってしまうような写真が撮れたときそれは感動です。それは作品写真です。
昔のフィルム・カメラと比べ素晴らしく性能が良くなりました。いまのデジカメの進歩は素晴らしい。一眼レフを脱しミラーレスに移行しデジカメの本領発揮です。またオートフォーカスも手ブレ補正も素晴らしい。何よりレンズが一段と良くなりました。
カメラの理屈はともかく、いい写真を撮りたいといった願望は愈々強くなり、作品写真を撮りたいと思ってます。
目黒区の写真展で図らずも受賞しました。まだ素人ですが嬉しかった。
いつかは、人が見入ってしまうような、しみじみとした写真を撮りたいと思います。
デジカメ写真はRAW編集が前提です
昔、写真編集をレタッチと言って、出展写真はレタッチしないのが基本でした。しかしデジタルになって考え方は変わりました。デジカメはフィルムと違い、撮って出しは基本じゃありません。
デジカメではJPEG画像と並んでRAWモードでも記録できます。実は、カメラ内でRAWデータを現像してJPEG画像として出力してるのです。更に、カメラ内でRAW編集しJPEGにもできます。
実は、先のすすきの写真は撮った時間はまだ日が高く左のような写真(Before)だったのです。これをRAW編集して、少し夕暮れの色合いにしたもの(After)でした。
いまやプロもRAWモードで撮ってRAW編集して現像する時代になりました。写真はレタッチが前提に撮影されています。
RAW編集では、露出補正、色味、鮮やかさ、ザラザラ感、レンズ歪みなどの編集ができます。
しかしピント、シャッタースピード、F値の変更はできません。
ピンボケばかりはRAW編集でもどうにもなりません。シャッターが遅くて飛ぶ鳥の羽の動き(ブレ)も変更できません。F値では、遠近感の変更も、ボケ修正もできません。
RAW編集はデジカメに必須です。だからカメラメーカーから無償のRAW編集ソフトを提供しています。(尤も、RAWデータはカメラメーカー独自のFormatになりますから当り前といえば当り前ですね)
RAW編集は、料理で言えば「もうひと手間」と同じです。作品写真でも、もうひと手間を惜しまないことが大切なのです。
取りあえず、無償のソフトでRAW編集を勉強しています。それからAdobeのライトルーム(Lightroom)で本格的に勉強するか見極めようと思います。
RAW編集でもPC負荷をかけないように、新しくPCを購入しました。RAW編集で自分の好みが分かってくれば、撮影時の設定にも役立ちます。ただ今RAW編集の勉強に挑戦しています。
野鳥撮影は本当にマニアックだと思う
野鳥を撮るデジカメを買おうと思い立ってから1年半、本を読み、何度も講習会に参加し、買ったカメラは3台目です。
もう一寸と、道楽の域に達しカメラ沼、レンズ沼に嵌ってしまいました。いまも写真を撮りまくっています。これまでに撮った写真枚数は1万5千枚にもなりました。
BirdWachingは宝探しのようなもので、鳥を見つけてもシャッター・チャンスに恵れず、枝カブリで撮れなかったりします。
鳥が向こうからやって来るまでジッと待つくらいでないと思うようなシャッター・チャンスに巡り合うことができません。
野鳥撮影は本当にマニアックです。野鳥の習性を知った上で撮影しないと、その野鳥の特徴をうまく捉えられないのです。
野鳥公園でボランティア活動しています
ボランティア2年目に会長になってしまいました。もうBird Watchingを楽しんでばかりいられません。
ボランティア活動は「ゆるくて自由な活動と負担を感じない程度にやり甲斐がある」ことのバランスが大切です。
いまもガイドしながらBird Watchingをしていますが、打ち合わせや会議に出席する時間が多くなってしまいました。
特に今年はコロナ禍でイベントの自粛やマスクの着用、ソーシャルディスタンスなど、運営にも苦労の多い年となりました。
自由にみえるボランティア活動にも規定があり、それが負担になると楽しくなくなります。ボランティアは社会貢献だと大上段に振りかぶった思いで、参加したら長続きはしないものです。
公園内はBird Watching用の高級な超望遠カメラの展示会場のようです。来園の皆さんと同じように双眼鏡とカメラを持って公園内を歩き、ボランティア活動=トリカメ道楽となっています。
ありがたいことに自慢の目と耳があります
何が自慢か?目と耳であります。年を取っても人並み以上に健在であります。
遠くにいる野鳥を素早く見つけ、微かなさえずりを聞き分けたりするには目と耳が大切。トリカメ道楽には必須の資質です。
世にメガネは多く、色盲色弱も意外に多い
父は赤緑色盲だったし息子も色弱です。幸い正常に生まれました。しかも年を取っても視力があまり衰えません。少し老眼になり反って遠くを見るのに都合が良いくらい
また聾も難聴も世には意外に多いのです。
父は軍隊でビンタを食らって片耳聞こえませんでしたし、母は高齢になり難聴です。
自分も何歳まで正常でいられるか分かりませんが、鳥のさえずりを聞き分ける耳は、Bird Watchingでは大切です。
齢70過ぎても、目も耳も自慢できるほど良く、実に有り難いと思っています。
普通であることを有り難いと思うようになったのは、年取った証拠でしょうか?
言わばこれをエイジング・パラドックス(Aging Pradox)というのでしょうかか?
おめでたいことです。
写真もBird Watchingも立派なActivityであります
いい写真を見たら、Exif(イグジフ)のdetaを読むようにしています。自分が撮った写真も良く見返します。写真展示会や講習会にもよく出かけました。(今年はコロナ禍でイベントがなくなりましたが…)
Bird WatchingはActivityです。野鳥公園に行くと1万歩を超えます。鳥を探すとき狩猟本能が目覚めてくるのでしょうか?夢中になって探してると、歩くことが苦になりません。スポーツじゃないが、こうして歩くことは健康に良いと思っています。
野鳥公園ボランティアのメンバーには、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)の方もおられます。人生100年になりました。いい趣味を持った人は幸いです。