弛まず駆ける

今朝も聖教新聞の配達をしながら、ちらりと新聞一面の「わが友に贈る」を見て、心温かな励ましを受けた気持ちになりました。

新聞を配達するようになって何年経っただろうか?
2009年12月からだから、数えてみると9年と5ヶ月になる。

さすが70才になると新聞配りもゆるくはなく、配達後は一休み。でも今年の年末で10年になりますから、それまでは頑張って配達しようと思っています。

日本人は節目が好きな国民だそうです。お正月やお盆、桃の節句や端午の節句など、そのほか二十四節気や七十二候など季節の節目まであります。そして、誰もが節目を大事にしています。

たのまれなくても、ある種の使命感で新聞配達をはじめました。雨の日はカッパを着て、まだ人気のないマンションから一人出て行く様は、少々寂しいこともありました。

若い頃から「創価学会をやてるんだって」と後指あとゆびされることも多かったが、それに負けじと不退の学会員であり続けました。
その代表的な姿が聖教新聞の配達員です。これを暖かく「無冠の友」と名付けてくれました。その励ましが人生を支えてくれています。

かつて父は高等学校の校長に内定していたが、辞令直前に「きみなにかやってないか?」と言われ、昇進差し止めとなったそうです。創価学会員であることが不遇を招いた事例は枚挙に暇がありません。後に、父は定時制高校の校長となり、短期大学の教授となりました。

モリパパ自身も、かつて人事部長から「まだこれ(合掌)やってんのか?」と確かめられたことがあります。人事部長もお役目上、噂話かどうか確かめたんでしょう。

不退の決意こそが、学会員の信心であります。これが個人を強くします。日蓮仏法は一度だって祭り上げられたことはなかった。崇められたり、尊敬されたこともなかった。

逆に、権力に擦り寄ったためしもありませんでした。仏法正義をきっぱりと貫き通した宗教であります。
日蓮仏法の血脈を受け継ぐ創価学会も、また同じであります。

ただ一えんにおもい切れ・よからんは不思議わるからんは一定とをもへ、  (聖人御難事 1,191ページ)

これを「これ強盛の信心」というのではないでしょうか。今年の年末向けて、新聞配達10年の節目に向けて「弛まず駆ける」ぞ!

 

 

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