かつて「団塊の世代」のいま

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

先週土曜日、社総研の講演会に参加しました。講演会のテーマは「ドイツにおける移民/難民との共生」です。少しばかり興味があっての参加でしたが、その内容についてではありません。話は開催会場だった、この機械振興会館からの連想です。

まだ会社で現役だったころ、この会館に毎月のように来ていました。

この会館には、何とか工業会といった事務所が沢山入居しており、その数や、数十はあるかと思います。毎日どこかの業界の人々が集まって来ている場所です。

坂を登った左手に機械振興会館がある

業界の例会に毎月来ていた懐かしい場所だったのです。

先日のように暑い日には、背広を脱いで、上着を片手に持ち、この急な永井坂を、とぼとぼと登ったものです。
会場 近くまで来ると、現役だった頃を思い出させる場所だったのです。

会場にお集まりの方々は、かつてはどこかの業界を代表するような立場だったんでしょう。

今やいずれも頭に富嶽の雪のように白いものを戴きました。

失言が業界の騒ぎになることもなくなり何を言っても大きな影響を与える立場でもなくなりました。

それを自ら自覚してもなお、講演の後に質問する人は多かった。質問というより意見に近く、更には現役時代の自慢話に聞こえるようなものまでありました。

自分も含め「団塊の世代」は学生時代は、ほとんど勉強せずに卒業してしまった。
そう全学連や全共闘に、大学は封鎖され、教室に立ち入ることもできなかった世代なのです。いつも休講でした。

立て看板とアジ演説が大学の光景でした。麻雀やフォークソングやインスタントラーメンで過ごした学生時代でした。
勉強しないで、よくも卒業できたものです。心のどこかに反骨精神を身につけて卒業した「団塊の世代」は、社会に出て何か言わないと気が済まない人々になった。

それなりに業界を仕切るような立場になった「団塊の世代」は、誰が聞こうが聞くまいが、今も自分の意見や主張を言い放っています。
ならい習性というものは、容易には抜けないものです。ここに集まった老人は学生時代、社会人となった現役時代の気持ちが、今も抜けないで、言い散らしています。

人口構成の中で一番多い「団塊の世代」は、いまや現役を退いて十年以上になりました。社会への責任も、影響も少くなった今、それでも主張し、意見を言いたがっています。

京大の数学者:森毅もりつよしさんが言い残した「人生三回説」で云うなれば老後は第三の人生であります。第三の人生では、老年の自立が大切で、次のように言っています。

老年の自立っていうのは、今まで世界は会社とかそういう共同体。いわば会社の一員ですよ。
60過ぎたら基本的に自由人です。だから会社人から自由人にどう移行するかっていうのが問題やね。
昔のOB集めてゴルフ行ったりするっていうのは、あれは会社離れを遅らすからね。むしろ巧く自由人に離陸するにはどうしたらいいのか考える方がずっといいと思う。

会社離れを志して、十年経ちました。そろそろ体調を気にしながら、老年の自立の域に達しただろうか、自由人になれただろうかと、振り返っているところです。

あぁそう言えば、今週金曜日は会社のOB会の予定だった。
「OB会で自由人として振る舞えたら…」などと考え、どこかの高級カメラのキャッチコピーではないが「目立たず静かに」いってこようと思っています。

 

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