勝海舟を偲ぶ

今日4月4日は、江戸無血開城えどむけつかいじょうの記念日です。そう慶応4年(1868) 4月4日、西郷吉之助(官軍大総督)が初めて江戸城に入場しました。江戸城が新政府へ引渡された無血開城の日なのであります。

150年以上も遠い昔のことですが、三百余年続いた徳川幕府は、血生臭い戦いを避け、無血で政権交代を叶えたのです。
勝海舟など幕臣に人物がいたから為し得たもので、今も日本が誇る歴史だと思っています。

穏やかな洗足池に桜とキンクロハジロ (2022.4.1)

無血開城の立て役者である勝が西郷と開城談判したの所が、池上本門寺です。勝海舟がその近くの洗足池あたりを歩いたのは桜の季節にだったと思う。

そんな想いで桜の季節に洗足池を訪れてみました。

のちに、勝海舟はここ洗足池に隠居を構えました。今は大田区の勝海舟記念館が建てられています。
勝海舟の図書を収集した清明文庫が有形文化財となって大田区の所有となり、リニューアル(2019.9.7)されています。

近くには勝海舟と妻”おたみ”の墓があり、いまも誰かが供物と供えていました。
勝海舟(1823~1899)は、ここで享年77歳で亡くなるまで洗足池あたりに居ました。

現役の頃は、赤坂の元氷川に住んでいました。安政6年(1859)から明治元年(1868)の足掛け10年住んでました。
ここに坂本龍馬や勤王の志士が出入りし、江戸城の無血開城を成し遂げるまで、忙しい日々を送っていました。

元氷川の旧邸(2021.11.19))
東京赤坂の元氷川にあった勝海舟の旧邸の今 (2021.11.19))

長崎で海軍伝習所を指揮したり、咸臨丸で米国に渡ったり、兵庫で海軍操練所を営んだり、江戸開城に苦心したりした頃は、この元氷川の邸が舞台でした。

今では旧邸の跡地にビルが建てられて、1階はBARになってるようです。周りも昔を偲ぶものはありません。

勝海舟の余生は長かった。江戸開城以降は余生だったと云える。

明治維新後、新政府の諸役に就くが、腰掛けのように短かった。

僅か70万石となった徳川の藩地駿府へ下ったが、再び東京へ戻った。

明治24年(1891)に洗足池の別荘「洗足軒」に隠居し落ち着いた。
亡くなるまで約8年間ここで過ごしたようです。

近代日本の黎明期、激動の時代を生きた薩長の群像の中にあってひとり江戸っ子気質かたぎの勝海舟の存在は一際ひときわ面白く思った訳です。

 

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