同調圧力

同調圧力の正体」といった面白い本があった。政治でも、会社でも、学校でも、芸能界でさえも「ムラ社会」という閉ざされた集団組織というものがあって、日本では自然発生的に、情によって繋がれた組織が生まれるというのであります。

同書の受け売りで少しメモってみた。少し主観を交えて、その内容を以下の通り紹介します。


離脱を許さない圧力釜のような組織は窮屈で、同質情意が生まれ忖度そんたくが生まれる。コンテキスト(背景、流れ)が共有され、そして同調圧力が生まれる。それは小さな組織ほど圧力は強くなる。

閉鎖的、同質的、そして「個人の未分化」のなかで同調圧力は起きる。「個人の未分化」すなわち、個人の自由な活動や社会生活といったものが、役割や役職と分離されていないところにある。そういった組織は、今の日本にも通奏低音として流れ続けてる。

メンバーは単に組織の一員として、役割を果たせばよいという訳ではなく、組織に対する絶対的な忠誠や帰依を求められる。個人の心理は組織の中で認められることが圧倒的に重要なになる。

そのため組織に対する忠誠や献身の度合いが高い者ほど組織の中枢に位置付けられる。メンバーは「分」をわきまえ序列に従うことが要求されている。

周囲に同調し、そこには自ら進んで「空気」に従い。周囲に同調することで承認を得られようとする。
ウチの常識はソトの非常識という特異な慣行に従うことになる。

純然たる役割や役職としてではなく、非公式な人間関係や感情などによって結びついている。そのため内部序列は単なる権限の序列にとどまらず、人格的序列の様相を帯びる。
俗っぽい言い方をすれば「偉さ」の序列となる。この
「長幼の序」の文化が、組織のなかに蔓延はびこっている。

他人の活躍や成功に嫉妬することも、突き詰めれば「ゼロサム」原理、すなわち、誰かが得すればその分誰かが損をするという、ゼロサムの心理が働いている。だから和を乱さないことで認められる傾向すなわち「裏の承認」が優先され、組織の利益に貢献したことよりも重視されている。
イジメやパワハラ、仲間ハズレをする側に加わらないと自分が仲間ハズレにされる。こうして承認欲求は生まれ起こる。

団結を強めるために共通の敵を作るのも同調圧力から生まれる。国家レベルではナショナリズムであろう。共通の敵に立ち向かうために大同団結することになる。

少数意見や異論を受け入れることが成熟した社会へ移行するための課題となってきた。

日本の軍国主義はドイツと違って強力な独裁者が導いたものではなく、一面ポピュリズムとして突き上げられたものだった。(戦前のポピュリズム「日比谷焼き打ち事件」はその象徴だった)

組織主義の恐ろしさは、ファシズムや軍国主義と同じように、洗脳された人たちが無感情になり、ときには自ら進んで残虐行為に及ぶことである。

組織へ一元的に帰属するなかでは、成果より負担が重視される。「汗をかき」「自ら身を切る」ような自己負担に対し報酬が支払われている。
タテ方向の家父長型同調圧力から、ヨコ方向の大衆型同調圧力がここにある。タテの同調圧力より、ヨコの同調圧に対する保障は手薄であり、人権侵害が生じやすい。

日本には異論を受け入れるふところの深さがない。外国では世論が沸騰すると、必ずといってよいほど別の視点から一石を投ずる少数の存在がある。その結果世論が一色に染まることはまずない。

日本が戦争へ軍国主義へ突入したのは独裁者の出現によってなされたのではない。民衆の草の根的な主導によって導き出された。大衆型同調圧力の歴史を日本はたどってきた。

今回のコロナ禍での自粛警察やマスク警察もそうだし、東日本大震災の後の「不謹慎狩り」や戦時下の「ぜいたくは敵だ」「パーマはやめましょう」なども同じ類いである。
リモート会議でも序列が意識され、上役や先輩より先に退室できない。

特に日本的な組織では、人々に溶け込むこと、ひっつくことを求めるのに対し、コロナ禍の下では基本は人を分けること、離すことだった。

世間の目を心配する日本では、コロナ自粛警察を生んだ。日本人として自粛するのは当たり前であり自粛しない人は許せないという感情が自粛警察を生んだ。

自粛でなく、それがいつの間にか他粛となり白い目で見られる。日本では緊急事態宣言も「お願い」であったり、先生が生徒に「~しましょう」といった「お誘い」であったりする。

私達は過剰な同調圧力を苦々しく思いながら、いっぽうで他人に圧力をかけている。また、そのことに無自覚である。

FB、Line、InstagramなどSNSが同調圧力として、とりわけ近年いきを増した。大衆型同調圧力を増幅させた装置になっている。

これまでの日本の組織の特徴は、全会一致を原則とした意思決定方式であり、減点主義、無謬むびゅう主義(完璧主義)であった。
「裏の承認」と偏った風土、これらは安定した環境を前提にしているため、イノベーションを妨げる。そもそも前例のない新たな問題解決には適さないし、決定に時間がかかる。
(脱線するが、この点どこか幕末の江戸幕府に似たところがある)


以上、「同調圧力の正体」には同調圧力の分析に鋭いが、その対応についての言及は少ない。
同調圧力に立ち向かうことができるのは「役割と行動の切り離し」だと著者は言っています。

むかし僕らは、戦後の幼児、初等教育で協調性を学ばせられた。それが長じて同調性となり、同調圧力として我が身に返ってきているようです。

日本で協調性を重視するが、フランスで初等教育で育ったおいめいは、よくオリジナリティーを主張します。

最近になって、ダイバーシティDiversity&インクルージョンInclusion(多様性と包摂)が叫ばれるようになりました。
性別、年齢、障がい、国籍などの外面の属性や、ライフスタイル、職歴、価値観などの内面の属性にかかわらず、それぞれ個を尊重し、認め合い、良いところを活かすことを求め始めました。

ポスト・コロナの新しい時代をどう向き合うか問われています。いま組織にも個人にも、精神的なパラダイム シフトが起きようとしています。

最後に思い起こすのは人間主義であります。すなわち人間自身の幸福な生存こそが目的価値なのです。「国家」「イデオロギー」「資本」、いかなる主義・主張も、構造も制度も、組織は人間に奉仕すべき存在だということです。これを忘れては新しい時代へパラダイムシフトを起こすことなど出来ないということです。

 

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