俳人でドイツ文学者の田中亜美さんは「俳句は海外でも人気の日本文学です。俳句に関心があるドイツ人がたいてい知っているのは、芭蕉、一茶、子規、そして兜太なんです。兜太の弟子というだけで、すごいところに自分がいるということを、痛感させられる」といいます。俳句には全く縁も感心もなかったので、金子兜太なる人を知りませんでした。
急に兜太に興味が湧いたが、俳句は分からんので兜太の書下し随筆「悩むことはない 」を読みました。
第1章 冒頭のエッセーに圧倒され、俳人、兜太に ビックリ!
「幸せ」と「不幸」をどうとらえるべきか
自分の妻が難病をわずらって、もう生きる見込みがないという状況は、一般的には不幸として扱われやすいですね。
妻は無邪気で、人間として非常にすばらしい、感性の澄んだ明るい人でした。
こんないい女性はいないと思ったから、こちらから望んで結婚したわけだ。
日銀サラリーマン時代、女房にはたいへん迷惑をかけまして、苦労に報いることもなく、ろくなことをしてこなかった。その妻が、不治の病を患い、主治医に恋情とも呼べるほどの過度の信頼を寄せていた。そのことを私がどう思い、どう対応したか。
(中略)
私の動揺や葛藤の有様を聞き出そうとした。でもね、正直に言ってそのときは、「それでよかった」としか思えなかった。嘘偽りなく、そう思ったんだ。
この気持ちの根底には、私が女房のことをそのままの女房を見る思いで見ていたということがあると思う。女房の病と死は、私にとって不幸などではなくて、そのことはただ客観的な現実だったんです。
(中略)
幸せだという言葉がもとから念頭にない。だから不幸という言葉もない。幸・不幸とはつまり、便宜的な概念なんだ。だから幸・不幸にとらわれて悩むことはない。
今から13年前同じ経験をしました。妻を肺がんで亡くしました。今だから白状できるその時の心情を、鮮やかに言ってのけている兜太。さすが俳句の重鎮だけのことはある。
だが、それ以降の第2章、第3章には付いて行けず、読み飛ばしました。
この人は奇人です。ではあるが心の奥底に迫ってくる。
今年97才になる。私はどうも死ぬ気がしない というが、今もお元気の様子です。
「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」ですから、長生きしてください。
ところで、どなたか俳句を教えてくれる方、いないかな~?
<<追記>>
2018年2月20日、金子兜太さんがお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。