ニュースが作るパラダイム(社会規範)

ニュースは、我々に対して認識を形づくります。共通の体験や共通の知識という基礎となり、これがパラダイム(社会規範)となって、民主主義を支えています。

朝一番TVを点けて見るのはニュース番組です。そして昼メシを食べながらニュースをみます。夕飯を食べながらまたニュース。三度の飯より、三度のニュースになっています。

おまけにNHKのニュース解説を見たり、民放のワイドショーを見たり、最近では「池上彰のニュース、そうだったのか」を見ておもしろがっています。今や私達はニュース漬けになってます。

社会のめまぐるしい変化が、即座にニュースで取り上げられるようになりました。自分とは関係がないニュースも、知らなくてもいい出来事も勝手にニュースとして押し付けてきます。

勝手に情報を押し付けてくるTVやラジオをPush型といい、要求しなければ、情報を返してこないPCやスマホをPull型といいます。ボクらは相変わらず、Push型情報を浴びせかけられながら、日常生活を送っています。
アップル社のスティーブ・ジョブズはこんなことを言ってます。「頭を使いたくないときは、テレビを見て、頭を使おうと思ったときPCを使うのです。」

ボーッとしてニュースを見ている間に、その時代のパラダイム(社会規範)としての思考の枠組みができ上がっていくのかも知れません。

イーライ・パリサーは「フィルター・バブル」の中でニュースをこのように解説しています。

ニュースは、我々の世界に対する認識を形づくっています。何が重要なのかという認識を形づくる。直面する問題の大きさや特色、性格などの認識を形作る。それだけではない。共通の体験や共通の知識という基礎としての民主主義を支える。社会が直面する大きな問題をまず最初に理解しなければ、皆で協力して解決することは不可能だ。このことを近代ジャーナリストの父、ウォルター・リップマンはこう言ってます。

『今日的な意義と信憑性を持つニュースが継続的に提供されなければ、民主主義に投げかけられた厳しい批判がすべて正しいことになる。』事実を知ることのできない国民は、無能に無目的、堕落に不誠実、パニックに大災厄に見舞われるのだ。

ラジオやTVなどのマスメディアは、ニュースを押しつけてきます。しかしもネット(Internet)情報は、いろんなメディアのニュースの中からフィルタライズされたものを提供してくるのです。GoogleのCEOはこう言ってます。

ほとんどの人がモバイル機器でパーソナライズされたニュースを読むようになり、新聞を読む人は減るでしょう。これは、とてもパーソナルで、かつターゲティングされた消費の形態となります。あなたが何をよんだのか、全て覚えていてくれるのです。こういうことを知りたいのではありませんかと提案してくれます。広告もあるでしょうね。そして、新聞や雑誌と同じくらい、読んでいて楽しものになります。

ネットでのパーソナライズやフィルターライズは、フィルターバブルを引き起こすと言っていますが、旧来のメディアは今も溢れかえっています。

ニュースは、何が重要なのかといった認識を形作り、情報を分散し拡大してきたのは確かでしょう。
共通の体験や共通の知識という民主主義」を形作ったのがニュースなのかもしれません。

パブロ・ピカソは「コンピュータは役立たずだ。答えしか与えてくれない。」と得意な表現をしています。
コンピュータは予想外の発想や驚きを与えてくれません。創造性の源となる精神的な驚きを与えてはくれません。

更に、パーソナライゼーションされた情報からは、思いもつかない新しい発想を生むことはないようです。即ちセレンディピティ(Serendipity)といったような発見をすることは出来ません。
その時代の社会規範のなかで、常識的な考えに馴れていくのに、ニュースは一役買っています。

(次ページに続く)

 

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