平和・文化・教育という理念

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平和・文化・教育の三つの理念が、いつから始められたのか?
知られているようで知られていない。1949年(S49)、池田先生が5月に中国、9月にソ連を初めて訪問した時のことです。

原田稔会長は、このように語っています。

共産主義、社会主義という異なる政治体制の国で暮らす人々に、どうやって仏法について理解を求めるか、大きな課題でした。池田先生は『平和・文化・教育』という3本の柱を考えられた。私が体系的にうかがったのは、昭和49年5月、初訪中に同行していたときでした。

初訪中の4ヶ月後、池田先生はソ連のコスイギン首相と会見し『平和・文化・教育』というキーワードを明言しました。

創価学会が、世界宗教へと発展するためには、政治体制を乗り越え、宗教の違いを超えて、交流を結ばなくてはなりません。
その出発点となった考え方が『平和・文化・教育』の理念です。

ただの理念で終わってはいません。理念はすべて具現しました。
創価学会は公明党を生み育て、文化では民音など国際交流を先駆けし、教育では創価大学などから多くの卒業生を輩出しました。

イタリアに例をとるまでもなく、今では世界中にネットワークを築きました。192ケ国の何処にでも創価学会のメンバーがいます。

1974年(S49)といえば、モリパパが社会人になった年です。広布史に自身史を重ね合わせ、『平和・文化・教育』から始まった世界広布のなかで、自分の使命は何だったのか思い巡らしました。

モリパパの家族は国際的です。長男はドイツ・ハンブルクで、妹はニューカレドニアで、共にSGIメンバーで頑張ってます。
妹の子供ヒナノは、創大2年生、タイナは今年創大別科に合格し9月にも来日します。新しい国際的な人材となるでしょう。

これからどんな時代になるのでしょう。想像もできませんが、小さな島国日本の創価学会ではないでしょう。仏法史を、思想史を画期するでしょう。その未来のためにボク等はここにいます。
最も大切な、大事なこの時代に生まれ来て、ここにいます。

第7の「七つの鐘」が終わる西暦2300年頃は、どんな世界になっていることでしょう?  230年先のことは想像も付きませんが、

2015.8.28 聖教新聞
2015.8.28 聖教新聞

『平和・文化・教育』が見事に開花する時代になって欲しい。

そんな思いを込めて、合言葉は前進です。