民主主義の学会組織

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

1990年の頃だったと思うけど今だに思い出します。当時、目黒で支部長をしていた時のことです。
KY本部長と激論になったことがあった。当時モリパパ41才で、まだ青臭いところがあって、今となっては恥ずかしい限りです。

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KY本部長は「信心はどこまでも愚直で、言われた通り素直にやるべきだ」という。これに対し「学会でも民主主義が通らなければおかしい」と反論して、議論は並行線となってしまったことを、今だに思い出します。

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学会組織が民主的かどうかなんて、当時は議論にもならなかったんです。

でも、いま連載されている新・人間革命の力走の章に、このようにかかれていました。

そして、支部の運営は、あくまでも協議会を中心に行っていただきたい。支部長が自分一人で、なんでも勝手に決めてしまうようなことがあってはならない。それは、民主主義の精神に反しますし、皆が本当に合意していなければ、力も出せないし、団結もできない。歓喜ある活動もできません。

こんな指導があったのは1978年だったそうですから、モリパパはまだ男子部だった頃です。僕達はだいぶズレていたのかも知れません。
たしかに協議会は当時もありました。しかしその内容は協議ではなく、上から下へ伝える連絡会のようなところがあったんです。

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池田先生が、敢えて新・人間革命に書き残していらっしゃるのは、実はこうした活動が難しいからなんです。
協議会が、上から下へ伝える連絡会になってしまうと、
誰も自分で考えなくなります。考えることを停止してしまいます。実は、そのほうが楽だからなのです。
そしてついには判断能力が無くなって行きます。

また、大勢のなかには、信心利用、組織利用の人もいるかもしれない。会員を守るために、それを鋭く見破り、よく注意していくようにお願いしたい。真の学会員としての道を歩まず、広宣流布のための仏子の集いである学会の組織を撹乱し、社会に迷惑をかけるような人を、看過してはなりません。

組織がなければタダの人、でも組織の中では偉そうに胸を張っている人が、実はいるんです。
これを見破って、注意していけるような組織こそ、民主的な組織なんです。
創価学会の組織を見ていると「民主主義の原点はかくありなん」「民主主義の最前線はかくありなん」と思えるような組織になっているのです。
その代わり、真剣に自分で考えることを求められます。


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