オフクロの介護が本格化したのは、今年(2021年)に入ってからです。
2/9 酸素吸入が始まり、3/12 介護ベットを入れ、週3回看護師、週4回ヘルパーさんに来てもらうようになりました。
次第に体力が衰えてきましたが、これまで介添えが必要な状態ではありませんでした。しかし介護が必要になってしまいました。
どこから介護と言うのか人それぞれでしょうが、痴呆と排泄の問題が起きてからが、本格的な介護だと思います。オフクロは痴呆は全くありませんが、排泄の問題には直面しました。
自宅の居間に介護ベッドを搬入設置し、酸素吸入をして、尿管を挿入してからは、一切ベッドの上での生活になりました。
ベッドからトイレへ行けないから大便の排泄が問題になります。週3回 看護師の訪問を受け、座薬や浣腸で便を掻き出してもらうしかありません。オフクロは、息子に下の世話をさせるのを嫌がります。
食が細って大便が少ないうえに、便秘気味で、下腹に力が入らず、大便が出難くなります。看護師やヘルパーさんに面倒を見てもらい、下剤や座薬などを使って、大便をほじくり出さなくては出ません。これは大変なようです。
近くへ買物にいく程度しか外出ができなくなりました。誰かもうひとり家人がおれば良かったのですが一人での介護は大変です。
母と息子一人の介護奮闘記「老母絢爛、木石も動く」では、痴呆が入ってきた母の介護日記で、実に凄まじい。大小の便の排泄が生々しく、痴呆で目が離せない母の介護に奮闘する様は凄い。これからみれば自分などまだ生易しいと慰められたほどです。
本格的な介護は、痴呆と排泄です。特に、排泄介護は誰も必ず通る道です。
定期往診いただてる主治医の診断レポートに書かれていました。
ご子息とご一緒にいる安心感、人生を受け入れるご本人のお気持ち、看護師、ヘルパーさんの尽力によって、とても穏やかにお過ごしです。
少しばかり心強く、安心し、介護する気持ちが楽になりました。
命と申すものは一身の珍宝なり、一日もこれを延ぶれば千万両の金にも過ぎたり
オフクロの強い意志もさることながら「一日の命」は宇宙の至宝との信念を疑わずに、人生終末期の闘いに挑んでほしいのです。これは介護を受ける側(オフクロ)の心得です。
一方、介護する側(自身)の心得もあるように思います。…ふと思い起こしたのが後藤新平の自治三訣です。
「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」(後藤新平の自治三訣)
ボーイスカウト初代総裁になった後藤が、大正14年(1925)に「自治三訣 処世の心得」として発表したもので、後にボーイスカウトのモットーとなったものです。
実は、オフクロの母(祖母)の妹、きみは後藤新平の妻でした(正確に言えば妾で後妻)。だからこの自分も後藤新平の遠い縁者に当たります。この自治三訣は家訓にしてもいいほどに気に入っています。【きみとスマの来し方(ヒストリー)参照】
ついでながら、後藤が初代校長となった満州哈爾賓学院の校訓でもあります。ここを卒業した杉浦千畝もこの校訓を覚えたことでしょう。(杉浦千畝:ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人を救ったリトアニア大使)遠い親戚縁者に後藤新平なる偉人をもったことを誇らしく思っています。
話が逸れてしまいました。介護の最終は命の終焉であります。恢復をめざす看病とは違います。そして介護は誰しも身に降りかかる問題なのです。人として当たり前の道だということです。
健常と医療の間にあるのが介護です。介護施設では医療行為は出来ません。介護から医療に委ねる時期をどう過ごすかは、介護を受ける側にとって実に重要です。
今年4月、オフクロは重篤な状態を脱し、命をつなぐことができました。医師が見放しても恢復することがあります。人の命は不思議というか「妙」なものです。
親子・身内の介護で、日一日と命を延ばすこともできます。最後の最期まで在宅で過ごしてもらうつもりでいます。
介護も重症・長期化すると、介護者が心身健康であることが大切になります。介護者のためのレスパイト入院も一つの方法です。
レスパイトとは介護する側の一時休息です。時々入院も在宅介護の在り方です。親身になって付き添い介護できるよう、穏やかに過ごすことができるよう、一日でも命を延ばせるよう、そんな介護で在りたいと思っていますから。
介護受ける者の信念と介護する者のお世話が大切だと思います。最後にもう一度御書の一節をひいて、オフクロが一日でも長生きするように願い、この稿を締めくくりたいと思います。
命と申すものは一身の珍宝なり、一日もこれを延ぶれば千万両の金にも過ぎたり