牧野植物園を訪ねた

練馬区の東大泉に牧野記念庭園があります。植物学者の牧野富太郎が晩年暮し、つい棲家すみかとなったところです。現在は都市公園として、練馬区立の記念庭園となっています。

富太郎は、1919年(T8)2月から渋谷・道玄坂上に住んでいたそうです。その後1923年(T12)9月1日関東大震災に遭い、1926年練馬大泉へ転居しています。
道玄坂上に暮していたと聞き、訪ねて見ようと思いました。
住所は「中渋谷」というから、急に富太郎を身近に感じました。そこに6年半暮していたようです。

貧乏に貧乏を重ねた富太郎、漸く池長孟の好意で大泉に土地を借り、1926年(T15)、64才に居を構える事ができたそうです。
しかし、その2年後に妻(すゑ 54才)に先立たれます。(転居2年後に妻に先立たれたとは、モリパパの境遇と似ています)
仙台で見つけた新種の笹に、妻の名に因んでスエコザサと命名したそうです。

「家守りし妻の恵みや 我が学び」
「世の中のあらむかぎりや すゑ子笹」
この二首の歌の石碑のもとには、スエコザサが植えられていました。

その大泉に暮らすこと30年。ここが富太郎の終の棲家となりました。老後は、娘さんに世話になっていたと聞きます。人の出入りも多く、けっこう賑やかに晩年を送ったようです。享年94才、家族に見守られ、当時としては長命で人生を閉じました。

この庭園を訪れて、秋の日差しを感じながら、富太郎が愛した草木に囲まれ、喧騒な都会暮らしを少し忘れることが出来ました。モリパパも生来、都会ぐらしには向いていないのかもしれない、と感傷にふけって、牧野庭園をあとにしました。