日本の悲しい景観破壊

日本の町並みは決して褒めたものではありません。まず電柱、ガードレール、自販機、そして騒音であります。

戦後日本が失ったもの 」を書いた東郷和彦は、電柱は「昭和の落とし子」であると断じています。

今年、台風15号の被害を見れば、意外に弱いのが電柱です。

電柱は、電気、電話、ケーブルテレビ、専用回線までぶら下げて突っ立ています。道の両側に電線が張り巡らされて、おまけに貼り紙広告や看板まで取り付けらています。

日本人は景観に無頓着であるという訳ではありません。行政に、無頓着の罪があります。安全安心の理由でしか正当な理由にならない行政感覚が、日本の景観を台無しにしているのです。
事故防止のためなら文句なしに、何処にでもガードレールを付けます。安全安心を盾にしてゴミ箱のような景観にしています。

景観のために設置されたボラード(bollard)

白いガードレールを無くしボラードにしたら、日本も一歩文化都市に近づくのですが、誰も声を挙げません。

自販機は日本独特のものです。コンビニがどこにでもあるのにその上自販機が必要なのでしょうか。この自販機が日本の景観を損ねています。
自販機に税金かければ、一挙に無くせると思うのですが、如何?

最近、京都ではコンビニもファーストフードも看板の色を自粛しています。みんなで渡れば怖くない。みんなでやれば減販になりません。なのに誰だれも規制しようと声を挙げないのです。

日本では、騒音も無茶苦茶です。哲学者の中島義道は「うるさい日本の私で、静かな価値を全く理解しない国民を嘆いてます。

日本の駅では、不必要な案内放送が繰り返され、その上けたたましいベル(チャイム)音は鳴り止みません。ヨーロッパの駅では、何の放送もなく電車がスウーッと出発します。

日曜日の朝にガァッガァと掃除機かけると、近所から苦情がきます。静けさを大事にしていることがよく分かります。

中島義道は「察することを尊び、語ることを封じている」のが日本文化だと言ってます。
先ごろ「忖度」なる単語が変な流行語になってしまいましたが、不面目な思いを禁じ得なかった。

静かさとはなにか」そこにこそ、大切な日本の精神文化があると思っている一人であります。

プラットホームで、騒音をかき消すかのような大音量でアナウンスして、安全が確保されているとは思えません。これも「昭和の落とし子」なのかもしれません。平成も終わり令和となった今、いい加減に気づく時期がきてると思うのですが、如何でしょう?

先ごろ、来日したToru Kumagaiさんが、NHKの番組をみて「これじゃまるで民放だな」と思ったとFBで書いていた。

NHKも含め、テレビは吉本興業に席巻されたようで、軽薄で喧しくなってしまいました。

この国、日本は、もう少し住み心地の良い国になってほしい。と思いながら…

 

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