司馬遼太郎の独創

司馬遼太郎の小説・随筆が好きで、私淑ししゅくする作家の一人です。
彼の随筆はブログの書き方を学ぶ教科書だと思ってるほどです。
大切なのは独創性です。これがなければ随筆もブログも実につまらない。また昔から日本人にとって独創性は課題だったのです。

司馬遼太郎は随筆集「風塵抄2独創についてこのように書いています。

明治人はえらかったという話である。
明治は、西洋文明を受容した。世界史上、植民地になることなく、自前で他文明を摂取した国は、”明治国家”しかない。

狩野亨吉(1865~1942)

三、四十年経って二番目の総合大学として京都帝大が創設された。マネよりも独創の場をつくろうとした。文部省から創設を命じられたひとりが、初代文科大学の学長、狩野亨吉こうきちだった。
かれは「日本人に独創性はあるか」という、ゆゆしい問題を自らに問うた。
古本の中から安藤昌益しょうえき(1703?~62)を発見。更に、本多利明としあき (1743~1820)、内藤湖南こなん(虎次郎・1866~1943)を発見した。               (風塵抄 2 89独創 p.124)

一高の校長から京大に転じ、初代学長を務めた狩野亨吉は、のちの独創の京大を作った。そう思われてる人物なのであります。
京大は多くのノーベル賞の受賞者を排出しました。湯川秀樹、朝倉振一郎、福井謙一、利根川進、野依良治、赤﨑勇、本庶佑などです。京大卒ではないが山中伸弥も京大で育ったひとりです。

安藤昌益

狩野亨吉は変人奇人のたぐいだといえるでしょう。その亨吉が発見した安藤昌益もまた変人奇人であります。独創とは変人奇人と隣り合わせなのかも知れません。
昌益の唱えた「直耕」「互性」の思想も独創といえば独創。当時としては思想を覆す思想「危険な思想」でした。残念だがこの独創を引継ぐ者はいなかった。

明治の日本は「猿マネの国」だとか「横文字をタテ文字ににするだけの学問」などと自嘲されてました。それも今では昔話しとなりました。
いま、問題なのは一極集中化する日本です。中央からの遠心と中央への求心が、社会を均質化しているように思えてなりません。
権力構造だけでなく、文化も芸術も東京が中心になっています。こんな環境のもとで豊かな独創が育つとは思えないのです。

風塵抄2」の先の独創こそ、司馬遼太郎の独創性でしょう。
多少狂気じみたところがあっても、独創が尊ばれなくてはなりません。それは”Originality”にも通ずるものですから。

フランス人は偉い。Originalityに最大の価値観を持っています。そこいくと日本人は多様性がなく創造性がないように見えます。

司馬遼太郎

司馬遼太郎は多くの共鳴を集めました。
風塵抄2」の「在りようを言えば」のなかで、日本人の特質として実直を挙げています。これは5回も連載を重ねて、実直こそ日本人であると論じています。いまも司馬の独創は、読者の心をきつけています。

風塵抄2」の最後は「日本に明日をつくるために」と題したものでした。ここで、バブルと土地投機に対し問題を投げかけています。これが司馬の絶筆となりました。
司馬の独創的な慧眼を放って、もっと深く追求してもらいたかった。日本人の土地への執着について「風塵」を巻おこしてもらいたかった。惜しまれます。