祖父もサラリーマン(銀行員)でした。父もサラリーマン(教員)でした。そして、ボク自身もサラリーマン(会社員)でした。
親子三代、半ば一世紀に亘って「サラリーマン」でありました。
サラリーマンとは和製英語で、大正時代に日本で生まれ、給与生活者を指して用いられたものです。
家業を継ぐことがない世代が、この日本に現れ、サラリーマンとなったのです。江戸から明治まで家業を継ぐことが当然とされた時代からみれば、新しく画期的なことだったともいえます。
地縁や血縁に依存してないために、個人の能力によって職業を得ていくしかないサラリーマンとなった。子供に継がせる家業に代わって、子供に学力と学歴を付けさせ、よりよい給料のサラリーマン、そしてその主婦になってもらうしかなかったのです。
こうして「教育家庭」になっていき、それは言うまでもなく学歴社会へとつながっていく現象でもあったのです。
併せて、都市部のサラリーマン家庭の購買、消費文化も大きく変わって行くことにもなりました。家業と一体化した家族のあり方は一変し、主婦を主体とした生活様式に変わっていきました。
エノケンの「狭いながらも楽しい我が家」といった、借家ぐらしであれ「一家団欒」の家庭が浸透していった時代だったのです。
それまで職人や職工の殆どは借家ぐらしが当たり前で、戦前まで圧倒的に多くの人が借家に住んでいました。そこにサラリーマンの価値観が生まれました。
このころから「就職を教育の最終目的」であるかのように考える学歴社会が生まれ始めたと言われています。
大正という「踊り場の時代」に生まれたのは、職業観だけではありません。男女性別による役割意識という家族像を産んだ時代でもあったのです。 そして政治的にも転換期を迎えました。
ちょうど今から100年前の1918年(T7年)は原敬が首相となった年です。9月29日に組閣された内閣は、陸相と海相を除き、ほとんどのポストを政友会で固めた。
日本で始めて政党政治が実現し、大正デモクラシーと称される時代を迎えました。
日本的な民主主義の萌芽ともいえる時代でありました。
1910年~1920年代、即ち大正時代に現れた大きな時代の転換期「踊り場の時代」を、現代の中にも読み取ることができます。
第一次世界大戦、大恐慌に世界が同時に巻き込まれるなど、現代への起点となった時代と見ることができるのです。
いま、ライフ・ワーク・バランスが問われ、ライフ・シフトが提唱され、リカレント教育が注目されています。「LIFE SHIFT」の著者であるリンダ・グラットンは、「教育 → 仕事 → 引退 」 と
いった、サラリーマン像が否定されはじめたと言ってます。
これまで100年続いてきた「サラリーマン」から、新しい「ライフ・シフトの時代」が、模索され始めたと言っています。
いま大きな時代の転換期を迎えています。
さらば!サラリーマン、次世代は何処へ向かえば良いのでしょう?