童話「セレンディップの三人の王子たち 」が昔し、英国で流行ったそうで、その三人の王子は絶えず物を紛失するクセがあって、それを探していると、思いがけないものが飛び出してくるという物語だそうです。
Serendip とはセイロン即ちスリランカのことです。これを、18世紀のホレス・ウォルポール(英)がセレンディピティ(Serendipity)と名付け、友人に手紙で紹介したことから「意図しない偶然の発見」をセレンディピティと言うようになったそうです。
日本や英国ではセレンディピティに冷淡ですが、アメリカでは何故か好まれて使われたそうです。
理化学系では意図しない偶然の発見があります。
フレミング博士(英)のペニシリンの発見も、うっかりシャーレの蓋をし忘れて帰ってしまったことが、ペニシリンの思わぬ発見につながりました。
ノーベル賞を受賞した田中耕一氏も、間違えてグリセロールとコバルトを混ぜてしまった材料で「レーザーイオン化質量分析計用の試料作成方法」を見出しました。
また、ノーベル賞を受賞者の白川英樹氏も、ポリアセチレンの合成実験の際、触媒の量を間違えるミスから、黒いフィルム(薄膜)ができこれが導電性プラスチックの発見へと繋がりました。
理化学での実験では「意図しない偶然の発見」即ち、セレンディピティが有ることは良く解りますね。でも偶然を偶然として片付けないで、研究努力したから凄いのです。凡人には及びつかないところがあるのです。
さて、人文系ではセレンディピティといったことが有るんでしょうか?
外山滋比古氏は、手当たり次第に面白そうな本を読み散らす「乱読」を奨めていますが、結局は好事家(dilettante)である。趣味の赴くままにあっちこっち首を突っ込んでも、セレンディピティは生まれないと言っています。
更に、読書のように、一人じゃダメで、三人以上の「乱談」は、”おもしろさ”を生む、”おもしろいこと”を生む力を持っていると言っています。しかし外山氏のような高邁なオシャベリは、一般人(凡人)には無理です。
モリパパは、人文系のセレンディピティを「脱線する」ことだと思っています。書きながら、話しながら「脱線する」ことです。
「ところで…」、「話は違うが…」とやれば、それが人文系のセレンディピティだと思うのですが、如何でしょう?
所詮、このモリパパ・ブログも好事家そのものあります。趣味の赴くままにあっちこっち首を突っ込んで、物書きよろしく振る舞っているにすぎないのです。
でも最近、とんでもないことに興味を惹かれ、それがこれまでのどのカテゴリーにも属さないことがらだと、発見することがあります。好事家といっても、ヒョットしたらセレンディピティがあるのではないか?と思うのです。ただ、研究努力しないモリパパのような凡人は、それで終わりになってしまいます。でも…
おもしろさは発見の前ぶれだそうですから、楽しみにしてブログを書きまくりましょう。
外山滋比古氏は2020年7月30日、96才で亡くなりました。ご冥福をお祈りします。