選挙が目的か?

トクヴィル (Tocqueville)

民主主義democracyとは「主義」ではありません。これは明らかに恥ずかしい誤訳であります。Democracyを訳すなら民主制という「制度」として訳さなければなりません。
民主主義とは「多数決でやるしかない」ということであり、即ちトクヴィル(Tocqueville)の云う「多数派の専制」であります。
日本的な言い方をすれば「勝てば官軍」ということです。選挙に勝てば「専横」が許されるのです。

「専横」「横暴」を許すことが前提の民主主義です。やれ法治国家だの、立憲政治だの喧しいといわれしまって無力です。
政治の世界とは、勝者はおごり「有権者から付託を受けた」と憚らず、専横的に振る舞います。これを横目で見て、敗者は一言の弁も有りません。「少数の意見を尊重しながら…」なんて勝者の謂であり、社交辞令に過ぎません。

衆院の解散権は首相にあります。しかるべき理由があって解散する時代は、とうの昔に終わってしまいました。
勝てるなら解散、解散を決意する時代になってしまいました。
解散権を振り回し、「勝てば官軍」と専横ほしいにする政治戦略が当たり前になってしまったのです。これが民主主義の実態です。

昔、「政治家は選挙戦で揉まれて育つ」などと言ったチャーチルの時代は優雅でした。選挙の怖さを知って、選挙を手玉に取ったのは、ヒットラーだったのではないか?

選挙至上主義に陥った政治は本末転倒です。その先にはパーフォーマンスだけで見せかけの政治になります。理念も根拠もなく甘い言葉で誘う、ポピュリズム大衆迎合が待ち受けているからです。

トランプ政権が誕生して、次々と政府高官が更迭、辞任、解任されました。大統領選はとっくに終わっているのに、今もパーフォーマンスとポピュリズムの扇動者となって歩き回っています。

  1. 理念なき政治
    (Politics without Principle)
  2. 労働なき富
    (Wealth without Work)
  3. 良心なき快楽
    (Pleasure without Conscience)
  4. 人格なき学識
    (Knowledge without Character)
  5. 道徳なき商業
    (Commerce without Morality)
  6. 人間性なき科学
    (Science without Humanity)
  7. 献身なき信仰
    (Worship without Sacrifice)

1925年10月22日、マハトマ・ガンジーは雑誌『Young India』にて、「七つの社会的罪」(Seven Social Sins)を指摘しました。

ガンジーは言っています。「理念なき政治」は、羅針盤を失った難破船のようなものです。
自らも何処へ行こうとしてるのか見失っています。

現代は、複雑な問題を沢山抱えています。高いレベルの専門性がないと判断できないことが多い。
ある意味で、優秀な学者や知識人を、政治に参加させないと、解決しない問題が多すぎるのです。

選挙と同じパーフォーマンスで、政治をやったら「アホ」です。

対立する意見にも心を留め、反対する人々とも対話を求め、感情的な問題にも心に寄り添う政治姿勢が重要になってきています。

既に久しい韓国の慰安婦問題は、元をただせば心情的な問題です。
これを10億円の手切れ金で「不可逆的」な解決としたのは、日本の一方的な言い分であります。

韓国の国民感情に寄り添う「」がなければこの問題は解決しません。「心がない」ことに対して、如何に現代は敏感になったか、時代の変化を読まなくてはいけません。

世論形成において客観的な事実より、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があります。虚偽・虚飾であっても感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ時代になったのです。

今や、ポスト・トゥルースpost-truth(脱・真実)の時代に入ったのです。
FaceBookで「いいね」などと、感情を付けた情報が拡散していく新しい情報化の時代に入ってきました。

米国の本音は、America is No.1 です。これは以前からあるのです。世界の調和の中でしか存在できないアメリカを認めたくない、そういった奢る気持ちが、国民全体に広がっていろのです。米国の好戦的な奢りが、これまでの政権を支えて来ました。

かつてのナチスのプロパガンダは、感情に訴えたことで有名です。
英国だって同じです。大英帝国Great Britainだと今も信じて疑わぬ人々がいます。自らを帝国だと言う人びとは、英国以外どこを探してもいません。そんな幼児性を持ったところが英国であり米国です。

人種主義Racismが、今凄まじい勢いで、西欧を覆っています。
だから、二律背反しない意識を持って欲しいのです。民主主義の背景(back yard)に、こんな暗黙な了解がないようでは、ものごとを前に進められなくなってきています。

最後に、決して戦争を手段としてはいけません。戦争は悲惨と同義語です。何としても戦争を食い止めなくてはなりません。
どんな正当防衛の理由があっても、殺人を肯定できないように、戦争を肯定することはできません。

ボクらは20世紀で何を学んだのか?もう一度考えてほしいのです。戦争ほど悲惨なものはない。戦争ほど残酷なものはない。

選挙至上主義が、戦争を肯定する時代を招きはしないかと、心密こころひそかに思うのはモリパパだけでしょうか。