アホノミクス

この記事は3年以上前の古い投稿記事です。

最初にアベノミクスを、アホノミクスと言ったのは浜 矩子のりこですが、彼女自身こんな書き方をしている。

浜 矩子
浜 矩子

少々品位に欠けることを省みず…
次第に、これでさえ、いささか過大評価ではないかと思うようになった。過大評価が言いすぎであれば、筋違いと言っても良い。
端的にいって、アベノミクスは何ノミクスにもあらずだ。(中略)
安倍政権の経済政策は、人間に目が向いていない。労働者をみるべきところに労働力をみている。生産者をみるべきところに生産力をみている。技術者をみるべきところに技術力をみている。学生をみるべきところに学力をみている。国民をみるべきところに国力をみている

まぁ、こんな調子でこの本は書きはじめられています。
アベノミクスとはレーガノミクスをもじったようですが、新自由主義(Neo-Liberalism)とグローバリズム(Globalism)で書いたように、中身は新自由主義の復古以外の何ものではありません。

浜氏に言わせれば、復古願望と英雄待望論がつけ込むポピュリズム(大衆扇動)に乗ったアベノミクスという妖怪なのだそうです。今じゃドアホノミクスだとか?

今「アベノミクス」という名の妖怪が日本の巷を徘徊している。えらく鼻息が荒い妖怪である。その鼻息が吹き出されるたびに、一緒に濃厚な毒ガスが溢れ出てくる。
そろそろ、妖怪「アベノミクス」なるものの向こう側を展望する時が来た。

…と舌鋒は鋭い。浜氏は同志社大学院教授の経済学者ですから、日本経済の経常収支とか資本収支、更には財政収支(赤字)にまで話を掘り下げています。そして、第2章「日本経済はいまどうなっているのか?」で、今の日本経済をこのように解説しています。

成長経済と成熟経済はどう違うのか。答えはシンプルだ。成長経済に必要なのは発育することだ。成熟経済に必要なのは均衡を保つことっである。(中略)
均衡維持に目配りしながら、過去における発育の果実を上手に味わって生きて行く。それが成熟経済の麗しくも賢明な姿だろう。 成熟経済を無理やり成長経済に仕立て直そうとしてはいけない。それは危険行為だ。

更に、浜氏は、日本経済をホットスポットとコールドスポットの不均一が出来てしまう欠陥ホットプレートに例えて、巧みな説明をしています。
ホットスポットの住人は僅か一割で、大衆の殆どはコールドプレートの住人であります。

円安になり、株価が上がり、都市部の地価が上がる。ホットスポットの住人(資産家)は儲け、景気が良くなったように思う。しかしコールドプレートの住人(庶民)は、株が上がっても地価が上がっても、暮しに関係ないばかりか、パートの賃金は上がらないし、物価が上がって暮しにくくなる一方で、ますます所得の格差が広がってしまっています。
これがアホノミクスです。そして消費税の軽減税率についても「軽減税率は徴税減収になり、他に財源確保できない」なんて国民をバカにしたようなことを平気で言います。政府は誰のために働いているのか?!国家のために国民がいるのではない。

浜氏は、まだ軽減税率が決まっていなかった時から、このように主張しています。

生活物資への軽減税率の適用は必須だ。そのためには中小企業向けの簡易納税方式の見直しも必要だ。軽減税率とは逆に、高額商品に対する「重増税率」の適用が考えられてもいい。

これは公明党が主張し訴え、実現した軽減税率の考え方と一致。
そしてこれまで公明党が主張してきた、大衆福祉とともに歩んだ公明党の理念にも近いのです。

「公明党50年の歩み」のまえがきに、党代表の山口那津男は、このように書いています。

冷戦後世界が得た真意は、「国家」とか「イデオロギー」のための個人や人間ではない。人間自身の幸福な生存こそが目的価値なのだ。「国家」「イデオロギー」「資本」、いかなる主義・主張も、構造も制度も、全ては人間に奉仕すべき存在だということではなかったか。それが「戦争」と「革命」の世紀といわれた20世紀の総括であり、21世紀への申し送り事項であったはずだ。

これは名文であります。公明党が50年かけて、中道主義=人間主義を一貫してつらぬいてきた自負であります。

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