羊蹄山は恵庭から見ることはできません。恵庭から西方に位置し札幌岳より更に西向こうにあります。
一度も見たことがない羊蹄山を見ようと出かける事になりました。そこで予備知識として事前に勉強して行くことしました。
1898mの富士のように美しい山で、蝦夷富士と親しまれています。
また、旧名は後方羊蹄山とも云われ1962年 国土地理院の地図で変更されました。
後方羊蹄山はシリベシヤマと読みます。後方(シリベシ)羊蹄山(ヤマ)です。アイヌ語でマテネシリ(女山)が語源だそうですから女性です。尻別岳はピンネシリ(男山)で男性です。いずれも後志地方を代表する名山です。
函館本線は函館から旭川までの北海道を貫く幹線です。函館から出発し、森町を抜けて、長万部から内陸に入り、この羊蹄山の裾野を右に巡り、ニセコ、倶知安、余市、小樽と通って札幌、旭川へ向かっています。鉄路が主だったころ、函館から札幌に入るこのルートが北海道の幹線でした。今や空路新千歳空港から札幌に入るので、千歳線が幹線になってしまった。でも新幹線が開通すれば、函館本線が蘇ることになります。
ニセコ駅の東、倶知安駅の南、京極町の西に羊蹄山は聳え立っています。何処からでも蝦夷富士の威容が見られるはずです。
今やニセコはインバウンド観光の中心ですが、明治時代は開拓地の前線でした。ニセコは以前 狩太と称され1964年ニセコに改名されました。その狩太の開拓前線に目を付けたのが、事業家の有島武です。有島武郎の父であります。
有島武郎が代表となって成功検査を受け、自ら所有する土地としました。その面積は300haです。ニセコ一帯を所有したことになります。彼は札幌に住まい、開拓は管理者の吉川銀之丞に任せました。その後拓銀の担保流れを取得し第二農場としました。
タダ同然で取得した有島農園は、今では考えられないほどの値段になります。明治40年代の古いお話しであります。
羊蹄山を見に行った日は曇り空で、残念ながら羊蹄山の全容を見ることはできませんでした。雲間に頂上が覗いたのを見ることができただけ。再度また来るようにと姿を隠してしまいました。
次回来るときは「その全容を見せて下さい」と頼むようにシャッターを切って一路恵庭へ帰りました。
名山は人を拒む。必ずや晴天の下に蝦夷富士こと後方羊蹄山を見に来ます。できることなら高山植物を見てみたいが・・・