今日(2018年3月23日)の小説「新・人間革命」勝ち鬨88に掲載された内容に、心打たれるものがありました。
一九八二年(昭和五十七年)二月七日の午後、山本伸一は、水戸婦人会館を視察したあと、水戸市内の茨城文化会館を訪問し、落成を祝う県代表者の集いに出席した。
この席で彼は、「今回の訪問で一人でも多くの同志と会い、希望の目標を示し、新世紀への出発をしたい」との思いを語った。
翌八日には茨城文化会館の落成記念県幹部会に出席。ここでは、学会の幹部でありながら、退転していった者の根本原因について言及していった。
「信心がむしばまれていってしまった人に共通しているのは、強い慢心があることです。そこに最大の原因があるといえます。
実は、慢心と臆病・怠惰とは、表裏をなしている。それゆえに慢心の人は、広布への責任をもたず、新しい挑戦や苦労を避けようとする。だから進歩も成長もない。その結果、信心は淀み、心はエゴに支配され、憤懣があふれる。それが、広宣流布の破壊の行動となっていくケースが多い。
また、慢心の人は、必ずといってよいほど、勤行を怠っている。傲慢さに毒され、信心の基本を軽く見ているんです。
若くして幹部になり、指導的な立場につくと、自分に力があると錯覚し、傲慢になり、周囲を睥睨する人もいます。しかし、役職があるから偉いのではない。苦労して、その使命と責任を果たしてこそ立派なんです。
役職は一つのポジションであり、皆に使命があることを忘れてはならない。さまざまな立場の人が団結し、力を出してこそ、広宣流布を進めることができるんです。役職は、人間の上下の関係などでは断じてありません。
私は、三十数年間、多くの学会員を見てきました。その結果としていえることは、“策の人”は長続きしない。“要領の人”は必ず行き詰まっていく。“利害の人”は縁に紛動されてしまう――ということです。
結局は、求道の人、着実にして地道な信心の人、生活という足元をしっかりと固めてきた人が、人生の勝利者になっています」
本当にこの通りだと思います。昔、女房から「今の言い方おかしい。人を見下したような言い方に聞こえるよ!」と叱責されたことがありました。ドキッとして返す言葉がありませんでした。
人は知らず知らず、こういった魔性に食い破られてしまいます。気をつけても、それを注意してくれる人が傍にいないとダメですね。女房のように、自分もそんな人を見ると胸が悪くなります。
宗門も、当初は慢心と臆病に食い破られた結果なのです。
勤行を絶やさないこと、題目をあげ抜くことは、実はこの慢心と臆病に食い破られないため、対決するためにあるような気がします。