師弟不二、実は意外に簡単

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どうも人は、感情から入って理解するんじゃないかと思う。

3.16での戸田先生と池田先生のこの場面を思い出してしまいます。
3.16での戸田先生と池田先生のこの場面を思い出してしまいます。

師弟不二という大事なことも、感情から入っていくものじゃないかと思うんです。
自分として精一杯できたと思っているところに、にっこりと頷かれたりすると「良かった分かってくれた」といった感情が溢れてくるんですね。これが師弟不二の原点なんじゃないかな?戸田先生と池田先生だけではりません、その玉突き的 連鎖反応が創価学会の中には在るんです。

御書にもこんな一節ありますよね。人が本気で闘うのもこんなところが原点になっているんです。

四大天王・梵天・帝釈・閻魔法王・水神・風神・山神・海神・大日如来・普賢・文殊・日月等の諸尊たちにほめられ奉る間、無量の大難をも堪忍して候なり、ほめられぬれば我が身の損ずるをも・かへりみず、そしられぬる時は又我が身のやぶるるをも・しらず、ふるまふ事は凡夫のことはざなり。 いかにも今度・信心をいたして 法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、(諸法実相抄 p.1360)

子供が100点取って、自慢したくてしょうがない気持ちにあるときに、にっこり笑って褒めてあげたりするだけで、子供は天にも登ったような気持ちになるんですよ。そんな気持ちが人生を大きく変える原点になっていくこともあるんです。
でも、自慢気に思っていない時、褒めても効果はありませんね。無理にこじつけて褒められても反感を買うだけです。

我が身を損するも顧みないような気持ち、それが師弟不二を支えているんです。なにも師弟不二と声高こわだかに叫んでも、感情的な原点をもたないところのものは本物ではありません。
信心も師弟不二も、実は意外と簡単なところに原点があるんです。人間らしいところに原点があるんです。


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