「読者の側」に立つ聖教新聞

以前、ブログの書き方なんて、生意気な投稿を書いて赤面の至り
新聞記者の足元にも及ばない素人が生意気なことを書いて、恥ずかしい限りであります。 何より大事なことは「読者の側」に立つということだったんです。

座談会に入って頂いた時の原田光治氏(2014.11.7)
座談会に入って頂いた時の原田光治氏(2014.11.7)

聖教新聞代表理事の原田光治さんが、今日(2016.4.18付)の聖教新聞「4・20創刊65周年」で、こう書かれています。

先生は、”記事を見てあげるから持ってきなさい”といわれ、書いた記事をチェックしてくださいました。ですが、出来が悪く、厳しい指導をいただきました。
”書いた記事が身の丈の高さにまでたまって、一人前になるんだ”
(中略)
私だけでなく、記者一同、先生から教わったことは、身に染みて覚えています。 先生は、聖教の「一番真剣な読者」でもあります。そして常に「読者の側」に立たれています。

つたないブログとて同じことです。ブログでは”身の丈”とは参りませんが、  さく しん (鉄のおのを磨いて針を作る)の気持ちで書き続けなければ、ものにならないということです。

また重要な事は「読者の側」に立つことです。よく分かります。

昨日の座談会に入って頂いた、本田 元聖教新聞編集長からお聞きしたのですが、聖教新聞社では毎日、配達員20万人の名簿の入ったDVDを御宝前に置いて、勤行唱題されているそうです。

更に昨日の座談会では、この春、聖教新聞に入社した男子部のNNさんも参加してくれました。新しい人材が育っています。
何か嬉しくなりました。

社会に開かれた新聞「人間の機関紙」として、今や世界に開かれた新聞になっているとのこと、まことにその通りだと思います。
聖教新聞は、新聞社、配達員、読者が共に作り育てている、庶民の新聞です。

 


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