連載の新・人間革命、常楽の章には珠玉の言葉が散りばめられています。
常楽19に、第2代会長牧口常三郎先生の殉教について、創価学会の精神の原点について、説明されています。
「なんのために死ぬのか」とは、裏返せば、「なんのために生きるのか」ということにほかならない。二つは表裏一体である。
日蓮大聖人の仏法では、生死は不二と説くのです。そして祈り方は…
広宣流布のために、”健康になります。健康にして下さい”
”経済革命します。経済苦を乗り越えさせて下さい” ”和楽の家庭を築きます。築かせて下さい” と祈りに祈り、学会活動していくのだ。
…と、そして私たちの祈りの姿勢について、触れています。
常楽47には、「牧口常三郎初代会長のように命ある限り、広宣流布への闘魂を燃やすよう」
今やアクティブ・シニアとなった団塊世代の我々への指導がありました。
いかに晩年を生きたかが、一生の総決算となる。青年時代から悪戦苦闘を乗り越え、懸命に学会活動に励んできたとしても、高年になって、広布への一念を後退させてしまうならば、人生の大勝利を飾ることは出来ない。
更に具体的に…
年齢とともに時間的なゆとりも生じよう。個人指導や仏法対話、地域友好・貢献にも、より多くの時間を費やすことができる。
また、失敗も含め、積み重ねてきた豊かな人生経験は、人々を励ますうえでも、仏法を語るうえでも、大きな力となる。人生のすべてが生かせるのが信心なのである。
たとえ足腰の自由が利かなくなったとしても、電話や手紙などで、人を励ますことはできる。さらに、皆の幸せを願って唱題することもできる。決して無理をする必要はない。大事なことは、戦う心を忘れないことだ。
人生も社会も、諸行無常である。しかし、生涯、誓いを胸に、同志と共に広宣流布に生き抜くなかに生命の大法に立脚した常楽我浄の人生があるのだ。
…と、常楽我浄の人生を、具体的に指導されています。
ああ偉大な師匠 池田大作先生です。