西部邁にしべすすむゼミナールに懐古

この記事は3年以上前に投稿された古いものです。

モリパパの世代は、全共闘だの全学連だの、大学は議論する場と化していました。朝、教室に入ると誰かが議論を吹っかけてくる。夜、下宿に帰ると誰かが議論に熱中している。間違っているだの、欺瞞だの、否定的な議論も平気で、日常的に行われていた。マスコミが学生運動を紹介しているような表面的な学生運動は、デモとゲバに終始したような表現で当時の状況を今も報道するが、それは真実を伝えていない。

当時モリパパは学生だった。誰でも構わず議論を吹っかけてくる奴、多少ヒステリックに政治や経済について議論する奴、議論のために議論する奴が、そこここにイッパイ居た。
そんな気風の中で学生生活を送っていた。モリパパの学生時代はそれほど特別なものじゃなかったと思う。1970年代の学生は、これがどこにでもある日常だった。
そんな学生時代の心象風景をすっかり忘れてしまっていた。忘れていたのは自分だけではない、世の中全体が忘れていた。半世紀も忘れていた。

そんな学生時代を懐古・復活したような番組を見た。
何か忘れていた物を思い出したような気がして、のめり込んで視聴してしまった。知らなかったが番組の題名西部邁にしべすすむゼミナール」で、MX2で数年前から放送されていたらしい。

西部邁ゼミナール:テレビMX2で毎週日曜日午後7:00~7:30に放送されている
西部邁ゼミナール:テレビMX2で毎週日曜日午後7:00~7:30に放送されている

西部邁のスタイルは、全学連や全共闘が年をとって半世紀後に、再び昔のように議論を吹っかけて来たような感覚になった。
同世代としてどこか共感を呼ぶ。
今また、こんな議論を聞くと嬉しくなってくる。何か若返った様な自由な気分になるから不思議である。

Oxymoron 即ち「阿呆な辛辣」ということらしいが、平易に説明すりゃ!「真剣なのかふざけているのか?真剣な冗談」とか「困っている人にやさしく猫なで声で同情する、野蛮なやさしさ」と言ったものだ。 これが分からない、受け入れられないような文化こそ、退化した文化である。

scholar(学問)と言うのはもともと“暇な人”ということらしい。ヒマでないと学者はできない。business(仕事)というのでは、Busy(忙しい)人なので学問にはならない。

といった類の議論は楽しい。西部邁自身が撞着語法= Oxymoron そのもので楽しい。
恐らくこの番組の視聴者は、1970年代に学生生活を送り、今は退官、退職した人たちだろう。かつてこの団塊の世代は、いつも時代の流行を作ってきた。そして昨今の高齢化さえも支えております。(笑い)

さてもさても、蘇った全共闘の諸君よ、また流行を作ってくれ!

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