里山の過去・現在・未来

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日本は17世紀(江戸時代)、里山はハゲ山だった。 現在「里山」がブームとなっている。NHKの番組に限らず、里山資本主義だの、環境庁まで里地里山の保全・活用とかいってます
江戸時代、里山なんかなかった北海道でも北の里山街道なんてものまであります。

ところが里山は江戸時代ハゲ山だったそうです。建築材や薪炭の原料となる材木は里山近くで伐採されたので、里山は殆どハゲ山だったと言うんですから、いまでは想像もできません。
でもよく考えれば、江戸時代は燃料・エネルギーの全てを樹木に頼っていたんですから、樹木が手当たり次第伐り倒されても可怪しくはありませんね。
モリパパの世代(昭和20年代生)は、まだ七輪ひちりんで炭を使って煮炊きしていた記憶があります。暖をとるのも薪や炭でした。
石炭や石油、天然ガスを利用し始めたのは、つい最近1950年以降なんですね。それから数十年で急速にエネルギー事情が変化し、薪炭は殆ど使わなくなり、樹木の伐採が必要無くなってしまったという訳なんです。

かつて里山を中心に衰退していた日本の森林は、わずか四、五十年の間に回復して、四百年ぶりともいえる豊かな緑を取り戻している。今や日本は世界有数の森林大国なのである。 私たちは今、日本の森林が極めてドラスティックに変化している時代に生きているのである。これまで徐々に変化してきたものが、たった四、五十年という極めて短い時間に変化のスピードを上げ、「はげ山」を消してしまったのである。こんな変化は日本の植生史上なかったことである。

森林飽和とは旨く表現したものです。著者:大田猛彦は農学系の研究者で、農工大、東大、農大の教授を歴任した人です。
理学系の宮脇昭とは、系列が違いますね。

樹齢が20年を超えれば表層崩壊をほぼ食い止めることができるから…
…落ち葉や枯れ枝の層(A0層)あるいは下草で覆われた森林土壌のことをあえて「健全な森林土壌」と呼ぶ…
…土砂災害や洪水氾濫が、少なくとも三百年を経てここに克服されたと断言してもよい。

いま、この森林飽和のお陰で、土砂災害や洪水氾濫の災害は激減し、私たちはそんな環境を享受しています。その利益は意外に大きいことを、私たちは認識しておかなくてはいけないと思います また最近、森林バイオマスが注目を集め、これまたブームになっています。森林資源を利用することはカーボンニュートラルで、二酸化炭素の循環に影響しない。化石燃料を代替するバイオマスと捉えられています。
化石エネルギーに対して、再利用可能な循環型エネルギーへの転換が叫ばれていますが、エネルギー転換にばかりに目を向けないで「せっかくの森林飽和を今後どうするか?」といったことも考えておかないといけないと思うのですが、どうでしょう? 実は、里山では高齢化、人口減少の問題を抱えている以外に、里山の森林自体にも課題を抱えているんです。

里山では総じて生態遷移が進行し始めたわけだが、これは里山の奥山化を意味する。
里山を管理することは、植生遷移の進行を止める、継続的な管理をする必要がある。

モリパパは「日本の海岸にある松林『白砂青松』を残したい。」と思っています。松は日本を象徴する樹木です。美しい松林を見ると、日本の文化遺産となってもおかしくないとまで思っています。だから奇跡の一本松が生き抜いて欲しいと思った一人です。 瓦礫を活かす森の堤防を提唱した宮脇先生は、理学系のPure Scienceの学者ですから…

…如何に素晴らしいクロマツの防砂林もヤブツバキクラス域に植林されたものは、植物社会の配列秩序に従う必要がある。

ところが、農学系Application Scienceの大田猛彦先生の見方からすれば、

…クロマツ以外でも生育するではないか」といわれた時に、ただ「そうですね」と相槌を打つだけでは、マツを苦労して育て維持してきた先人たちの労苦を無にすることになって悲しい

九州・唐津市の「虹の松原」 道路に天蓋のように茂ったクロマツ林。
九州・唐津市の「虹の松原」道路に天蓋のように茂ったクロマツ林。この素晴らしい景観の中を、よくバイクで走ったものです。

防災のために、愛着や郷愁とキッパリ決裂して「海岸に定着できるようになれば常緑広葉樹林を植えるのは正しい」のかもしれない。
でも、歯切れが悪い大田猛彦のいう意見に耳を傾けてしまします。 数十年後の日本に、原風景としてどんな景観が残されるのか、どんな里山が残されるのか、いま私たちは問われているんです。
江戸時代、里山がハゲ山だったことをわすれている私たちに!

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